上京

上京。

強い言葉だなー、と思う。
第2の都市、大阪に出るという意味で、一応「上阪」という言葉があるらしい。
でも、自分が元々大阪にいたからかわからないけど、使っている人なんて見たことない。

それに比べて、上京という言葉はあらゆるところで使われていて、音楽の世界でも、地方から出てきたアーティストは、上京をテーマにした曲をよく作っている。

なんでこんなブログを書いているかというと…実は3月に上京しました。
だけど、上京したいなんて思ったことはなかった。
そんな僕が、なぜ上京したのか、そして上京して何を感じたか、何を思ったか、初心忘れるべからずとして、ブログに残します。

さっき書いたように、それこそ、アーティストやタレント、芸人なんかにとって東京は、やっぱり活躍できる機会も地方に比べるときっとずば抜けて多いだろうし、「上京して夢を叶える」というある種のテンプレートのような人生に憧れを持つ人も多いと思う。

だけど、自分はそもそもアーティストになる気なんてないし(そもそもなれない)デザインに関わる仕事で生きていければいいやと思ってた。
デザイン仕事なんて、このインターネットのご時世、やる気さえあればきっとどこでだってできる。だから上京する必要性なんて感じていなかった。

と言っても、別に地元・大阪にこだわっていた訳でもない。
いろんなところを見てきて、改めて地元の素晴らしさに気づいて戻ってきた、とかなら全然いいけど、一度も住む土地を離れて広い世界を見たこともないのに「地元最高〜!!ここで生きていく〜!」なんて視野狭窄もいいところだと思っていたから、大阪という土地の雰囲気・文化・人柄は自分に合っていてすごく好きだけど、一生をここだけで過ごすとは思っていなかった。

要は、「住む場所なんてやりたいことに応じて変えていけばいい」ってことで、自分をどこかに縛り付けたくなかった。だから、これからどこかの国のデザインのことを深く知りたいと思ったら海外で暮らすこともあるかもしれないと思っていたし、東京だって地方だって、目的があれば別にどこで生活してもいいんじゃないか、ってのが自分の考えだった。

そして、いざ上京。
今回は転職に伴って上京することになった。
自分の望んだ環境で、自分のやりたい仕事ができる、その場所が東京だったから、結果的に上京することになっただけで、上でつらつらと書いたように、上京に憧れていた訳じゃない。

だけど、引っ越してきて2週間が経って、上京の持つ意味が少しずつわかるようになってきた。
「夢を持って、やりたいことがあって上京してきた。」という点で、アーティストやタレントと少し被るところがあるのかもしれない。あと、僕の就いた仕事は、あまり一般的な仕事じゃないということも影響しているのかも。だから、今の気持ちを少し書いてみようと思う。

なんといっても、ここで暮らしていると独特の孤独感を持つことになる。
3月の下旬から、彼女も上京してきて一緒に暮らすことになるけど、現状僕は約1ヶ月の一人暮らし。と言っても、一人暮らしは初めてじゃなく、大学生の途中から社会人の期間、合わせて計4年半を狭い1ルームで暮らした。
言っても距離的に実家と近かった一人暮らしと単純な距離の違いはあるけど、頻繁に実家に帰っていた訳じゃないから両親ともあまり会っていなかったし、その点は何かが変わった訳じゃない。こっちにはこっちで友達もいるし、あまり1人を寂しいと思うタイプではない。

ということは、これは一人暮らしからくる孤独感じゃない。

何に近いか考えてみると、小さいところから大きなところへ、例えば高校から大学へ進んだときの感覚と似てる。数百人に囲まれていた世界から、何千人という人に囲まれる世界に行ったとき、自分をどうやってアピールしていくか考えたあの頃。当時感じたあの感覚が、何百万・何千万とさらに大きくなったようなもの。
孤独感というよりは、自分という人間の小ささを強く感じる感覚。

100人の中では目立っていても1000000人の中で目立てるかはわからない。
地方ではダイヤモンドのようにキラキラ輝いていた人材が、東京に出てきたらあれ?丸めたアルミホイルかなんかでしたか?みたいな、現実でもそうやって東京で打ちのめされて帰っていく人はいくらでもいるし、自分がそうならないとも限らない。

でも、この感覚はいい意味で「焦り」を産んでくれる。
この環境で自分をさらに輝かせていくためには、今まで以上の苦労をしなきゃいけない。
追いかけてくる焦りや不安のスピードが大阪の頃より圧倒的に早いから、逃げ切るために自分という人間をどんどんアピールして、もっと早く走らなければいけない。ひたすらそれを続けて、自分を磨いて輝かせていくほかない。そうしたって生き残れる保証はない、その環境がさらに人を成長させる…そんな気がする。

仕事の転勤で上京した友達が、口を揃えて「東京はクソやわ」というのも、それに当てはめるとなんとなくわかってくる。要するに「光らせるものがない」からそうなってしまう。
自分にはたまたま好きなことがあって、たまたまそれを仕事にすることができたから、色々な目標を立てることができるけど、それは運が良かっただけで、みんながみんなそうじゃない。

想像もできない大きな世界と大勢の人に囲まれて、自分の何を出していけばいいのか、どこを磨いてアピールしていけばいいのか…。自分の自信がどんどん東京という都市に埋もれていって「東京はクソやわ」という思考になっていく。

ただ、俺はそんなことをいう奴に、断固としてなりたくない。
東京という土地でやっていけるか…。まだまだ暮らして2週間。今後のことなんてどうなるかわからない。ただ、自分が東京という都市に負けたからって「東京はクソ」っていうような人にはなりたくない。生きていたら勝つこともあれば負けることもある。たとえ負けたとしてもそれを正直に受け入れず、突っぱねて土地のせいにするほどダサいことはない。負けたのが悔しかったら、もう一回挑んでいけばいい。

と、こんな書き方をすると負けることが前提に思えるけど、そんな気持ちは一切ない。
自分で決めた道なんだから、折れるわけにはいかない。というシンプルな理由もあるけれど、決めた時には想像もしていなかった気持ちが自分の気持ちをさらに強くしてくれている。

それは、様々な別れ。
友達との別れ、前の会社との別れ、住み慣れた土地との別れ、家族との別れ、いろんな代償を支払って俺は上京してきた。これだけのものを捨ててやってきたんだから、それ以上のものを、想像以上のものを東京で得ないと割に合わない。
待ってたって何もくれるわけなんてないんだから、そのためには今まで以上に気合を入れてやっていくほかない。

人が冷たいやら嘘ばっかりやら、そんなのはどこでも一緒。人が絶対的に多いからそう感じることも多いだけで、別に東京に限ったことじゃない。うまくいかないからって八つ当たりして東京のせいにしてる奴に、俺はならない。

だけど最後に…大阪はいいところだった。振り返ってみれば、いい友達に囲まれていた。いい環境に身を置いていた。出ていく2、3日前になってすごく寂しくなってしまって、自分がそんな風に思うなんて、正直意外だった。結構すっぱり割り切るドライなタイプなのに。
今は、24年間暮らした大阪に、いつかまた帰りたいと思える。そう思える場所があるっていうのは素晴らしいこと。でも、そうやってノスタルジーに浸っていたら成長できない。人は新しい環境に足を踏み入れるほど成長できると信じてる。

うまくいくかなんてわからないけど、とにかく脇目も振らずに思いついたことをすべてやっていく、そんな気持ちで生きていきます。

住む場所は変わりましたが、これからもどうぞよろしく!!

※旅と本の続きはまたそのうち書きます…

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旅と本(1)

突然ですが…ある日遠出をしていて、出先で人と話していた帰り際、趣味を聞かれました。

興味があるものは数多くありますが、趣味という言葉をあまり日常で使わないので少し考え、最初に頭をよぎったのはギターでした。
しかし、僕はギターをうまく弾けるわけでもなければ、バンドを組んでいるわけでもありません。何十年も姿形を変えず存在し続けているギターが、モノとして好きなのです。
その人は音楽に密接に関わっている人だったので、「普通にギターが趣味です」と答えるとギタリストと勘違いされてしまいます。それを否定するために、モノとして好きだと補足の説明をするのは、帰り際のちょっとしたトークにしては野暮な気がしたので、ギターという答えは保留にしました。

そして僕は「仕事もそうですけど、やっぱり趣味もデザインですね。」と当たり障りのない返事をして帰ったのです。しかし帰り際、あの答えは我ながら面白くなかったな…。そう思いながら新幹線に乗り、本を開きました。

今思えば、この状況こそが趣味を体現している状態だったんです。

そう、僕の趣味といえば、新幹線や飛行機、車やバスを使って行く旅や、様々なジャンルの知識を自分に与えてくれる本なのです。
そんな旅と本について、文章にしてみようと思います。長くなりそうなので、ひとまず今日は、旅から。

旅について
そもそも「旅」と「旅行」。よく似ているこの言葉ですが、そこに含まれているイメージは少し違う。「旅」が好きな人はこの意味の違いを考えたことがあるはず。
ただ、ドライなことを言うと、明確な違いなどないのです。国語辞典を引くと、旅の項目には旅行のことと書いてあり、旅行の項目には旅のことと書いてあります。同じなんですね。

ただ、言葉の意味というものは人々の日々の生活の中で作りかえられていくもの。
イラついて壁をどついてしまう、というスラングだった「壁ドン」が、女性を壁に追い詰めてどつく行為に変わったように、多くの人が理解する方へと言葉は意味を変化させて行きます。
新しいは「あたらしい」と読みますが、「あらたしい」の読み間違いが広がって正しくなったんですよ。

ということで、僕の思うイメージをまとめたいと思います。

まずは、「旅行」。
わかりやすいところから挙げると、スケジュールがかなり明確に組まれているものが挙げられると思います。例えば修学旅行や社員旅行、旅行会社企画の○○ツアー等…。
団体行動も多いので当然と言えば当然ですが、誰かの考えた旅程をなぞる要素が強いです。

そして、次に「旅」。
基本的に旅とは、行き当たりばったりなところがあると思います。どこどこへとりあえず行く、そんなことをざっくりと決めて、あとは出先で考える。そんなイメージでしょうか。
ときには本当に何も決めずに出かけて行く超人も。そうなると、必然的に個人単位での動きになるため、自分で企画して自分で動くものという印象も非常に強いです。

さて、ここで僕の個人的な考えを書くと、この「自分で企画して自分で動くもの」という点が旅・旅行問題のミソだと思っています。
要するに「どれだけ自分の意思決定で行動したか」が重要ということです。
自分の意思決定の濃度で、「旅行」は「旅」になっていく。

あとは、いわゆる僕の思う「旅」というものは、とにかくリスキーな要素が非常に多いのです。

と言っても、旅行がノンリスクというわけではもちろんありません。
集合時間に遅れればほっていかれるし、交通機関が常時問題なく動く保証なんてどこにもない。ですが、基本的には「なんとかしてくれる誰か」がいることが多いのです。

一方で、旅における「なんとかしてくれる誰か」は自分しかいません。
その旅を企画したのも自分、手配を行ったのも自分、「移動手段」「宿泊先」「目的地」。
何にトラブルが発生するはわかりません。そんなとき、なんとかするのは自分なんです。

そんなことを考え出すと、不安になってしまうこともあるかと思います。
しかし、旅の不安は実はスパイスなのです。

不安を抱えているからこそ、様々な不安を乗り越えて目的地にたどり着いたとき、そこには想像以上の光景が広がります。
そのとき、あれだけ自分を嫌な気持ちにさせていた不安は払拭されて姿を変え、今度は最高のスパイスとなって、ただならぬ感動を自分自身へと与えます。
その感覚が病みつきになって、また新しい旅を考え始めるのです。

と書いていると旅の綺麗な部分ばかり書いているようですが、、、

中には「旅に出ている自分がかっこいい」的な人も数多くいます。
旅と聞くと、今書いたような「自立」の印象が強く、尊敬されたりするからかもしれません。
最近よくいる「ノマドワーカー」とか言う人たちはさも「こんなことができる自分は凄いだろう」と言うような切り口でネット記事みたいなのをよく書かれていますね、、、
「こんな風に好きなことでお金を稼ぎ、悠々自適な時間に縛られない仕事をしたい方はこちら!」みたいな一文がだいたい添えられていますが、自分の思い出を書き連ねる為に存在している旅の記事を集金のタネにするって、せっかくの楽しかった最高の旅にドブ水をぶっかけているような感覚があって、僕には理解できません。
そして、そもそも旅に出ること自体、別に自慢するようなことでもないと思います。

なぜなら、人は本能的に「100があるなら100が見たい」という思いを持っているからです。

いろんなところに旅に出たいと言うのは当たり前の感覚なんです。
例えば、服とか買いに行った時、いくつか店を見て回るのも、「もっといいものがあるかもしれない」と思うからですよね。その思いはきっと誰でも持っていて、旅が好きな人は、そこが人よりちょっと強いんです。やたらと自慢げに語るノマド野郎たちもそうなんでしょう。
でも、決して特別なことではありません。

せっかくいろんな世界があるんだから、できるだけ広い世界を見てみたい。
だから少しアンテナを敏感に張って、興味が沸いたら好奇心で計画を立てて実際にその場所へ向かっていく。それだけです。

「こんなところ行ってみたいな」
そう思うことは日常で多々あるかと思います。だけど、実際に自分を取り巻く環境や金銭的な問題、いろいろなことがストッパーになって実際に行動するのが難しいのは世の常です。

でも、そこをどうにか掻い潜ってでも、旅に出る価値はあります。
なんなら、目的や理由なんて1つでいいし、小さなものでいいんです。
1つの目的で行った旅先から得るものは、必ずしも1つだけじゃない。
自分次第で得るものは10にも100にもなるんです。

旅先の土地の空気や、地元の人との触れ合い。
その地域でしか見つけられない文化からは、自分が想像しなかったものを学ぶことができます。
そりゃそうですよ。世間には虫食って生活する人が当たり前にいるんですから。
ただ、自分もそこで生まれたら疑うことなくそうなっていた。きっとここで育っていたら、どこかで自分たちの文化と他の文化の違いに悩んで恥ずかしく思ったり、かと思えば時間をかければ逆にその文化を誇らしく思うようになって、、、と言うようにその土地と自分を重ねて考えて見たりして、そしたらそれがきっかけで、海外のすごく特異な文化も受け入れられるようになったりとか、、、とにかく、日常では得られないきっかけや気づきを自分に与えてくれるんです。それを繰り返すことで、バンバン適応能力が上がっていきます。

少し横道にそれてしまったので…もう少しまともに話しましょう。

人は新たな環境に突っ込めば突っ込むほど成長するものです。
新しい人間と出会って、新しい世界を知って、新しい経験をする。
そうやって、自分の人間レベルを上げていくほかありません。

と言っても、現実的に日常でそんなことができるのか、というとなかなか難しいものです。
新しい人間、と言っても会社関係の人が多いでしょうし、身の回りの新しい世界なんてたかが知れています。だからこそ、やっぱり旅に出てこそ、人は成長できるんです。

そして何より、自分の思う道のりを自分で選択して進んでいくと言う行為に意味があります。

世間には「運命」と呼ばれる目に見えない何かがあるとされており、僕も時には「これは運命かもしれない」と感じる瞬間は確かにあります。
ただ、基本的に運命なんてものはクソです。今までの自分の考えや行動、そして道のりがあらかじめ決まっているなんて冗談じゃない。時に、チェックポイントのような形で運命を感じたとしても、僕は運命なんてものに縛られず、自分の思うように自分の人生を生きていると信じています。

そんな僕にとっては、特に旅はその行為が色濃く「決められた運命」みたいなものを吹っ飛ばして、自分で明日を作っている。そう強く感じさせてくれるんです。
だってそうじゃないですか。子供のころ見た映画の場所に行きたいと思わなかったら僕はベネチアへ行きませんでしたし、ガス灯のある温泉街に行きたいなと思わなかったら銀山温泉にも行かなかった、自分で考えて自分で決断したからこそ、放ったらかしたら訪れていたであろう退屈な日々を、自分の手で刺激的な日々へと変えることができたんです。運命なんかに縛られちゃあいない。そこに影響しているのは僕の思い1つです。

ただ、旅といっても、何週間、何ヶ月が関の山。
どこぞの大富豪でもない限りは、終わりが訪れるものです。
しかし、その決して長くはない日々を、自分の選択と決断で作り出したんです。

その事実は自分のとっての「自信」になります。

僕は、自分で選択し決断するという経験が、人生にとって非常に重要な役割を果たすと信じています。

1つ経験談を話すと…。
僕は大学を出ましたが、周りの同級生は、就活の時期になると一斉に服装と髪型を整えて、毎日必死に駆け回り面接に行っていました。(僕は大昔のブログに書いたように、悩んだ末のデザイン業界一点突破でした。)
この就活、僕は僕でそれなりに悩んで苦労しましたが、同級生たちは別の意味ですごく苦労していました。どれだけ安定している会社か、転勤はないか、給与形態は、、、様々なことを考えて、取捨選択を行ってどんどん受けてはどんどん落ちて、そしてどんどん次へ行くのです。

これが、僕の知る2010年代後半の文系大学生の一般的な就職活動の姿でした。

彼らは、悪い言い方をすると主体性のある人間ではありませんでした。
やりたいことが特にある訳でもなく、周りの多くの学生たちと協力して有力企業を探し、面接を受けに行く。苦労していない訳ではありません。なんなら肉体的には本当にきつい日々を過ごしていたんだろうと思います。

いわゆる、普通に学校に行き、普通に進学し、普通に就活して、普通に仕事をする。
一般的なサラリーマンの人生でしょう。
就職から約2年、そんな同級生たちは続々と仕事をやめて再び地獄の就職活動をしています。
やりたいことではなかった以上、なかなか入社後の自分が掴めずに、結局嫌になって辞めてしまうという人が非常に多かったんです。
別に彼らに根性がなかったとか、そんなことを言いたい訳ではなく、ただ普通に生きているだけで人生はそこそこ難しくて、大変なんです。

そんなことを経験してきた人たちに「好きなことを仕事に」なんてことを言うと「そんな甘くないよ」と多くの人が言うでしょう。

ですが、彼らの選択と決断では旅に比べて大したものではありません。
受験の時期になると、周りの受験勉強の空気を感じ取ってなんとなく勉強を始めて、実際に学校を選ぶ時期が来ると、みんなでどこどこが良いらしいと情報交換をして、大学に入って新しい環境になると、大学が始まる前からSNSで連絡を取り合い、同じゼミに入り〜
みんな、流されてその場の成り行きで生きてきた人間なんです。

知らず知らずのうちに自分自身で決断することなく人生が進んで行く。
全力で頑張っていて、苦労もしているから、そこに気づかない。選んだ気になってしまう。
流れに逆らう行為は、想像以上に難しいものなんです。

ルイス・キャロルの小説、不思議の国のアリスで、赤の女王はアリスにこう言います。
「ここでは、同じ場所に留まるためには全速力で走らなければならない。
別の場所へ行くならば、2倍の速さで走らなければならない。」

進みたい道へと行きたいならば、赤の女王のいうとおり2倍の速さ、2倍の選択と決断をしなければいけません。それがどれだけ難しいかは、ここまで散々書いてきたとおりです。

しかし、旅をしていると選択と決断の連続です。
度々繰り返したその選択と決断が、その自信が、時に2倍の速さになるまで自分の足を速めてくれる。

現に僕は、旅から得たその力で、デザイン業界へ進むことを決めて、自分で言うのもダサい話ですが、全社員の中でも特に優れた成績を出して表彰され、来月からは新たなステップを踏もうとしています。これもまた、新しい選択と決断なんです。

旅を続けていれば、自分の願う道を、思うがままに走っていく力が身につきます。

「たかが遠出」と侮るなかれ、使い古された言葉ですが、やはり人生は旅なのです。

想像以上に長くなってしまったので、本の話はまた別の機会に………。

社畜

デザイン会社に勤めて、もうすぐ2年。
業界の特徴かもしれないけど、帰るのは遅いことも多くて、そのせいで社畜と呼ばれたりします。
が、その呼ばれ方には違和感があります。

その「社畜」って言葉は最近できた言葉だろうし、ニュアンスとしては聞いてきたけど、しっかりと意味を調べたことはない。
文字として起こすとこういう意味らしい。

社畜(しゃちく)とは—
主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。

 

まず、デザインに関わるものとして、僕の最大の目標は「より良いものを作ってお客さんに満足してもらう」、それに尽きます。
でも、これは僕が掲げている目標であって、会社の目標ではない。

会社としては「金を稼ぐこと」が1番大事。
それは企業体制としては仕方ないけど、僕はそこに染まる気はありません。

お客さんを満足させることができたなら、勝手に金はついてくる。
そう信じてるんです。

だから、社畜の条件が「自分の意志を放棄している」ということなら、まずその時点で違って、僕の意志は金ではなく、ずっとお客さんに向いている。放棄なんてしていない。
仕事をしている時も、僕の後ろに潜む会社を見るんじゃなく、僕という個人を見てほしいって思いでやってる。
当然、会社に飼いならされてるわけでも、奴隷として生きてるわけでもない。

要するに、俗にいう社畜とは全く違うんです。

まぁ、、、僕の帰りがただただ遅くてなんか大変そうなのを見て、ありがたいことに心配してくれてるわけで、誰もそこまで考えて「社畜」とか言ってるわけじゃないのはわかってるんですけど、ずっと「なーんか違うんだよなぁ」と思ってた違和感はここにあったわけです。

 

そして、そんな僕の意志である「お客さんの満足」をどうやって得るか、少し書いて見たいと思います。

まず僕は、お客さんからもらった要望から、どういうものを作るか考えて、それをどういうチームで組み立てるか決めて、それぞれの人に指示するポジション。
いわゆるディレクターの役回りになる僕が頭に入れてるのは、デザインはアートじゃないということ。ただやりたいことやって、作りたいもん作ってお金をもらえたら理想だけど、そうはいかない。それではただの自己満足です。
デザイン業界はお客さんからの要望があっての受注産業なので、「お客さんを満足させる」という目標がブレてしまうと、とんでもないことになってしまいます。

ただ、「やりたいと思えるか」は非常に大事。
それを踏まえて、僕たちにできるのは、お客さんからもらった要望っていう枠の中で、どれだけ自分のやりたいことを取り入れて、どれだけ作りたいものを表現できるか。
そこがデザインに関わる人たちの腕の見せ所。

 

さて、なぜやりたいことをやるのはダメなことなのに、「やりたいと思えるか」が大事かというと、それは熱量やモチベーションに直結するからです。

僕はとにかく、膨大な熱量を持ってこの仕事に携わってきました。
好きな業界に就職したって、当たり前ですけどやりたくないことなんていっくらでもあります。特に僕の場合だと、会社の母体がデザイン関係にしてはそこそこの規模なので、多種多様な案件が飛び込んできて、そこにはデザイン要素が皆無のものだってもちろんあります。

そんな状況を普段愚痴っているわけでもないので「いいな〜、好きなこと仕事にして。俺だってやりたいことならそれくらい頑張れてたな〜」とか言われたこともあります。
本人は何気なく言ってるんでしょうし、いちいち僕も苦労話を人にするのが好きじゃないから仕方ないんですけど、やりたいことをやるためには、やりたくないことも全力でやらなけれないけない。

さらに1番大事なのは、好きなことを好きでい続けるのがきっと簡単じゃないってこと。
例えデザインが好きで入社しても、どうにもならない業務量や、会社の体質。まぁうちでいうと、仕事を全く振り分けないので、とにかく忙しい奴は一生忙しいし、暇な奴は暇。それでも歩合や残業代は出ないので、給料には全く反映されない不平等さとか。
そんな、色んなマイナス要素に疲れてしまって、やりたいこと、好きなことを奪われて辞めていった人もいます。やりたいことを仕事にする、というのはそういう可能性だって孕んでいるんです。これはまさしく、1番好きなことは趣味にして、2番目に好きなことを仕事に〜とか言われている理由ですね。うまく言ったものだなと思います。

やりたくないことをしなきゃいけない、途方も無い業務量で嫌になってしまうこともあるかもしれない。
そこをぶっ飛ばすことができるのが熱量なんです。
「それでも自分は〇〇がしたい。」そう思えるかどうかに懸かってるんです。
だから僕は1番やりたいことのために、やりたくないことも全力で、やっと出てきたやりたいことには、とびっきりの熱量で接してきました。

と、言いつつも、ドライに思えるビジネスの現場で熱量なんてものは何か意味があるのか。
そういうことを思う人もいると思いますし、僕自身やる気だけあっても最初は空回りしまくって、頑張ったせいで怒られるみたいなことが何度も何度もありました。だけど、やっぱり熱量を持って取り組むことが間違いじゃなかったと、今なら言えます。

今年は、散々飛び込み営業をしたおかげか、色んなご縁をいただいて、10件くらいデザインコンペに声をかけてもらいました。
デザイン業界には、とにかくこのコンペというものが多いです。
大きな案件になると大体3〜4社くらい集めて、「あんたらならこれをどんなデザインで作りますか?」とお題をもらって、各社「うちならこんなのやります!」とプレゼンするわけです。なんかコンペやらプレゼンやらカタカナ言葉ばっかで、大したことやるわけでもないのにカッコつけてる感じが僕は嫌いなんですけど、コンテストみたいなもんで、やり方としては非常にわかりやすいんです。

そんなデザインコンペで、10件中、僕は7,8勝することができました。

多いの?少ないの?ってなると思いますが、単純に4社だと確率は25%なので、70〜80%はなかなかのものじゃないか、と思っています。
勝ったものは、全て僕が全精力を注いで作り上げてきたものたちです。

正直、デザインだけの面では負けていることもありました。
それでも、そこに込めた思いや意味、そういった熱量でカバーしたからこそ、結果を残せたと思っています。

ここで、もう1つ大事なものがあります。
僕1人ではプレゼンはもちろん、実際に制作が始まってからの業務進行なんて、とてもじゃないけどできません。
企画やデザイナー、コピーライターに編集、様々な制作陣とチームを組んで仕事を進めていくんです。

そんな絶妙なバランスが必要なチームにおいて、信頼関係がそのまま成果物のクオリティに表れてきます。
どれだけ面白い仕事でも、どれだけお金がもらえる仕事でも、チームの信頼関係が成り立っていなかったら、投げやりなものが上がってきて、お客さんの満足にたどり着かないことだってあるんです。

上司様のありがたい「金を稼ぐ営業論」では、そこはリカバリーできません。
結局手を動かすのは制作陣で、僕らのポジションなんて誰でもなれるんですから。
だから僕は、制作や現場と信頼関係を築くために、自分がもしその立場なら?って考えます。

もちろん、持ってるスキルも違えば立場も考えも違います。
人の気持ちなんだから100%わかるわけなんてありません。
だけど、とにかく可能な限り、自分がそのポジションならどう思うか、その人の性格ならどう感じるか、そこを第一に考えてチームプレイを進めていくんです。

考えが足りないって思われることも、知った気になるなって思われることもあると思いますが、「知ろうと努力はしている」んです。
そこの有無には、きっと雲泥の差があると信じています。

僕が夜遅くまで残るのも、別に会社に尽くしているわけじゃない。
僕が頼んだことをやってくれたんだから、それにしっかりと答えてるだけなんです。

あとはまぁ、上司の「粘れる奴」カテゴリに入ってしまっているので、めんどくさそうな仕事はとにかく俺に振って様子を見るっていうパターンが出来上がっているのも原因なんですが…。

同じチームの中には、見積もりとか、本当に最低限のことだけやって、デザインや企画書は制作に「やっといてくださーい」って丸投げして、帰ることに命賭けてる奴もいます。
そういう奴は「粘らない奴」カテゴリに入って、本人としてみては、「やることはやってるんだからいいでしょ?給料も増えないし、残業代も出ないし。」ってスタンスなんでしょうけど、そういう奴に限ってノルマも達成せず、結局僕がマイナス分を補填するだけ働かないといけないんですね。

お客さんの満足も考えない。

制作の気持ちも考えない。

自分の最低限のノルマも果たせない。

「会社員として」とか、「社会人として」とか、そんな大それた崇高な意味じゃなく、人としてどうかと思う。そういう奴にはなりたくない。

制作の立場になってみれば、ぶん投げられてやらされて、いざ完成させて連絡したら、投げつけた本人はとっくにいない。
そんなもんに熱意なんて出せるわけがありません。
「なんであいつ帰ってんのに俺がやらなあかんねん。」
そうなるに決まってる。1秒考えずともわかる話です。

お客さんの立場としても、人間誰でも、その人のやる気があるのかどうかくらい、なんとなくわかるように出来てます。
やる気のない奴が挙げてきた企画書なんて大したもんじゃない。
意志も熱意もこもってないペラッペラな企画を良いと思うわけもなく…
結果、発注も貰えず、ノルマにも届かない。

何が言いたいって、人のものを頼んでいる立場の人間が1番苦労して、1番熱量を持って取りくまないと、制作は熱意を持ってくれません。仕事だから、やらなきゃいけないから、そう思って多少はやってくれたとしても、そんな生半可な熱量じゃ、「お客さんに満足してもらう」を得ることは到底できません。制作チームの120%を引き出すためにも、僕らは努力を惜しんじゃいけないんです。

なんかえらっそうに、難しいこと言ってる感じ出しちゃいましたね、、、
要するに制作に「あいつはよくやってくれてるし、自分も頑張ってみるか。」
そう思ってもらえるように、熱意を出してもらえるように、毎日自分にできることを思いつく限りやるだけなんです。

ただただそうやって日々を過ごしていたら、いつの間にか年末にさしかかりました。
12月でうちの会社は上半期が終わるんですけど、僕はノルマをトリプルスコアで達成。
っていうかもう1年分のノルマを達成しています。
熱意を持って取り組みたいと話すと、「そんなんいいから、数字で結果を出せ。」と言われました。

それから、どれだけ案件が降り積もりまくっても、どれだけ仕事を振られても、僕はこのやり方を変えませんでした。

自分の考えを証明するために、熱意を持って取り組んで、この数字を出したんです。

僕の信じたやり方は、間違ってなかった。

1番の目標にしていた「お客さんの満足」は今のところすべて達成していて、これまで何度も感謝の言葉をもらいました。向こうの社長さんが僕のことを信頼してくれて、直々にお仕事をもらうこともありました。

制作チームにお礼を言うと、「あなたがお客さんの意見を拾ってきて、向かう方向を決めてくれる。何をしたいかがよくわかるから、多少無理でも答えようと思うんです。何より、お客さんにはもちろん、僕らにもしっかりと対応してくれるからここまで出来たんですよ。」と、逆に感謝の言葉までもらえました。

僕はこの考え方に誇りを持って、これからも毎日を生きていきます。人になんと言われようとも、自分で考えたこの道を、誰よりも自分が信じているからです。

 長々と失礼しました。
お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

パンクバンド・SHAKALABBITS

年内で活動休止を発表したSHAKALABBITS。

高校の頃から好きだったバンドが今、ラストツアーを回っている。
自分の好きなバンドがこういう状態になって、しっかり最後のツアーを回ることって、あまり今までなかった。

正直、関西に来れば絶対に見に行ってたわけじゃない。チケット代はメジャーアーティスト相応の値段で高かったし、ライブに行くのは年に1,2回の頻度。活動当初の97年なんて、俺は4歳だから、長い歴史を見ているわけでもない。

だからずーっと追いかけてるファンの人からしたら「お前程度のやつが」って感じかもしれないけど、俺には俺なりのSHAKALABBITSへの思いがあって、色んなものを得てきた。

なので、文章にして残すことにしました。
別にライブレポートじゃないので、完全に自分目線の主観のストーリーです。

そもそも、SHAKALABBITSを聴くまでガールズボーカルのバンドを好きになることってなかった。

とあるアーティストにハマってからパンクに突き進んでいって、ハードコアやメタルばかり聴き始めて、「激しい=カッコイイ」って時代だった頃に飛び込んできたSHAKALABBITS。
最初に思ったのはポップでガーリーだけど、芯が詰まったパンク。そんな印象。

激しいのからゆっくりしたのまで、色んなジャンルを聴くけど、俺はやっぱりパンクが好き。
パンク全開のサウンドじゃなくてもよくて、パンクの魂が入ってるアーティストが好き。

といっても、別に、パンクに影響を受けてモヒカンにしたわけじゃないし、
パンクを聴いてこんな性格になったわけじゃない。

自分の思っていること、
自分の感じていること、
自分の目標、

あらゆる面で自分の言葉を代弁してくれる、自分の性格に共鳴する音楽がパンクだった。

SHAKALABBITSはガールズボーカルだから一見優しく見える。でも、並み居るパンクバンドの中でも、特に強く芯を感じた。

人によって、パンクは何かなんて違うと思うし、意味も要素も沢山ある。
そして、俺にとってのパンクの中には「折れない信念と強い意志」がある。

ボーカルのukiさんとmahさんからは、それをいつも感じた。
インタビューを読んでも、ライブを見ても、どんなポップな曲をやろうが、この人たちはパンクスだ。って思ってた。

そして、活動休止を発表して最初のツアー。
一旦、最後となるアルバム「Her」を出して、大阪にやってきた。

ある曲をする前に「この曲はずっとあったけど、何度悩んでも、歌詞をつけることがどうしてもできなかった。それでも!!私は諦めなかった!だから、アルバムに入れることができて、君らの前で歌うことができてるんだ!」って話していた。

諦めないって1番難しい。人生に小さな妥協はたくさんあると思う。
言ってしまえばアルバムなんて、一般的に言えば10曲あれば成立する。
Herは12曲あるから、1曲足りなくったってリリースできないことはない。

でも、そこで妥協せず、折れずに踏ん張る力、諦めてたまるかって思う気持ちこそが、ただの意地ともとれるこいつが、パンクってものの一角を担っている大事な要素なんじゃないかって思う。

そして始まるラストツアー。関西圏は後半に固まっていた。
前半に1本くらいはいきたいと思って、友達と相談した。
結果、運転をしてもらって、比較的前半に日程が組まれていた金沢のツアーに行けることになった。

 金沢のVAN VAN4というハコは小さめのハコだった。

自分の好きな聴きたかった曲も沢山やって、人がパンパンじゃなかったこともあっていい感じに楽しんでいると、ギターのたけしさんが喋り始めた。
ツアーにまだ行っていない人も見るかもしれないから少し伏せると、「別にやりたいことができた」ということだった。ヨウスケさんも同じようなことを話した。

2人とも、かなり明確なビジョンを持って口に出した言葉で、その答えを聞くと多くの人が納得するような内容だった。

 バンドなんて、当人たちがやりたくてやってるのが1番で、無理してやってるとほころびが出てきてとても悲しい終わり方をしてしまう。
そんなバンドをたくさん見てきたし、実際に6年前のSHAKALABBITSだってそうだった。

活動休止は、正しい選択だろうって素人ながらに思った。

「私だってSHAKALABBITSが大切だから、簡単な気持ちで認めたわけじゃない!だけど、2人がそうしたいっていうなら、そうさせてあげたい。」とukiさんが言う。
mahさんもそれを受け入れつつ「来年から、どうなるかなんてわからねーよ。俺は、2人みたいに次が決まってるわけじゃないから。どうなるか本当にわからない。けど、俺がやりたいことはコレで、これからも今まで通りのことしかできない。」と話す。

完全に両サイド2人の気持ちが次へ向かってしまっている以上、今回の活動休止が覆ることは確実にない。それを目の当たりにして、「見れるだけ見ないと」という思いがとても強くなった。

とにかく目に焼き付けないと、いけるとこ行っとかないと、そう考えて4公演のチケットを抑えた。

大阪
京都
神戸
東京ファイナル

の4公演。

でも、京都と神戸はHawaiian6のECHOESが被っていた。例年行っているFIGHT BACKの出店と、中学の頃から聴いてきたHawaiian6の20周年を見届けたい気持ちが強かったから、この2公演は行かないことにした。

そして、東京の新木場の日は、大阪でSTORMY DUDES FESがある。
ECHOESと対をなすハードコアまみれのイベントだけど、大阪に人が集まるって点では俺の中ではECHOESをわずかながら上回っていて、1年で1番の楽しい日、くらいの感覚になってる。

だけど、俺はこの日を蹴る勢いでいた。
それくらい、SHAKALABBITSのラストライブを見届けたいって気持ちが強かった。

だから、俺のSHAKALABBITSの予定は

10/8 梅田トラッド
11/4 新木場スタジオコースト

の2本。ここに全てをかけようと思った。

 

そして、10/8。大阪・梅田でのライブ。
ツアーのセットリストは普段共通のSHAKALABBITS。
ただ、今回は2パターンあるらしい。

1曲目から金沢とは違う曲。
別のパターンだった。
地域によって数曲の変更はあるけど、これで今回のツアーの大体の曲は聴くことができる。
あまりどの曲をやったやってないは気にしないし、パンクのライブはダサいかカッコいいか、2択くらいでいいと思ってるけど、単純に嬉しかった。

 

途中、どっちのセットリストでもやってないという最初に聴いたアルバムの曲をやった。
「思い出すたびに強くなっていく」って唄う曲。
バーニングシリンダーっていうライブアルバムで死ぬほど聴いたのを思い出しながら、自分たちに跳ね返ってきてるのかな、とか思いつつ聴いていた。

ずっとCDでしか聴いてなかった曲もやった。

金沢のときとはかなりイメージが違って、凄く楽しめた。

控えめに言っても、本当にいいライブだった。

ライブを見ながら、色んなことを考えた。
実は今回、俺はSHAKALABBITSのメンバーに渡そうと、自分で作ったTシャツを作って持ってきていた。

長くなるからざっくり説明すると、SHAKALABBITSの活動休止が発表された日に、俺は復興支援の一環で行う、ワークショップイベントに使うTシャツのデザインを考えていて、ちょうどこの気持ちを形にしようと思った。

まずウサギのイラストを描いて、そのときSHAKALABBITSを弾いていた俺のギターを持たせたデザインを作った。

将来その子供たちに出会えて、あれ実はSHAKALABBITSってバンドが活動休止するって聞いた日に考えてさ〜みたいなこと話せたら素敵だよな、とか思いながら。

そしてイベント当日。

内容としては、子供たちにデザインを選んでもらって、それを持ってきた無地のTシャツに一緒にプリント。出来上がったらそのままプレゼント〜っていう、無料イベント。

蓋を開けてみれば、ウサギをプリントする子供たちの多いこと多いこと。何種類か作ったのにそればっかり出るし、みんなとてもいい笑顔でプリントをしてる。

ネガティヴな気持ちで考えたデザインに、凄くポジティブなパワーが込められた気がした。

俺はそれをSHAKALABBITSに伝えたかった。

被災地で子供達が喜んで着てるTシャツとお揃なんすよ!なんて教えたら、少しパワーが伝播するんじゃないか、みたいなことを思ったりして。

mahさんにTwitterでそれを伝えると、ありがたく受け取ってくれるという。
俺は、直接渡したいと強く思っていた。

特に、ラストツアー前のSHAKALABBITSは、絶好調!って感じではなかったので、ツアーのお守りとして前半に受け取って貰おうと考えた。しかし、金沢では、ライブハウスのセキュリティの硬さで断念…。

けど、mahさんが時々前に出てくるってこともわかったし、大阪ではそのタイミングで呼んで投げ入れればどうにかなるわって思った。

話を戻して、、、

いざライブ中、mahさんが前に出てきて渡しに行こうとしたとき「最後のツアーで突然ポッと出の面識もないメガネが、わけわからんこと言って直接Tシャツ渡そうとしてくるって、それって突然歩み寄ってくる人みたいで怪しいし、仮に自分のことを信じてくれたとしても、都合が良すぎないか?」って考えが頭をよぎった。

「今まで、それなりに追いかけてきた人たちがやるなら説明もつくけど、大した数も行ってないくせに、渡したいだけなら別にどんな手段でもいいはずだろ、、、」そんなことを考えるうちに、自分がもっともらしい理由でメンバーに近づこうとしてるヤツに見えてきて、ダセーな。って結論が出た。

そして「直接渡したい」ってのにこだわるのはやめて、本人の手元に渡りさえすればいいや、って足長おじさんスタイルへと思い直した俺は、タイミングを見てSHAKALABBITS直付きのローディさんに渡した。

メンバーとの距離も近いし、人としても信用できそうだったから、この人なら大丈夫だと思って声をかけると「マー君ね!わかった!」と言って受け取ってくれたから、うまく渡ったと信じたいです。

そうこうしてるうちに、エンディングが近づいてくる。
湿っぽい空気もあまりなく、本当にいいパンクのライブだった。

たかがパンク、たかがライブ。
だけど俺は、こいつに色んな感情を植え付けられるし、色んなきっかけを与えられる。

アンコール。
何曲か演奏したあと、両サイド2人が今日も別の道を歩きたいということを話した。

そして縦列2人にマイクが映る。
mahさんは「4輪のタイヤのうち、2輪が別の方向を向いちゃ走れねーよwでも、形は変わるかもしれないけど、俺がやりたいことは音楽しかない。俺はこれからも曲を作ってドラムを叩いて生きていく」といった。

金沢では、一言目が「どうなるかわかんねーよ」だった。

具体的に決まってはないんだろうけど、何かが見えたんだなと思った。
ukiさんも話す。「私には選択肢なんてない、歌が別に得意ってわけじゃないけど、私は歌が歌いたい。自分が考えていることを、これからも詩にして、歌で表現していきたい。」

2人の話を聞いたとき、mahさんとukiさんが、それぞれなのか、一緒なのかはわからないけど、きっと帰ってくると確信した。

金沢と大阪のライブで、
決して、聴きたい曲が全部聞けたわけじゃない。
決して、全てに満足したわけじゃない。

だけど、ファイナルに行っても聴きたい曲全部を聞けるわけはないし、100%満足なんてできない。

だから俺は、パンクであるあの人たちを信じて、待つことも答えの1つなんじゃないかと思った。
パンクは人が鳴らしているんだから、この人たちを待っていれば間違いはない。

これからどんな困難が待っているか想像もつかないけど、それでもきっと帰ってくるあの人たちに「待ってましたよ」って言える人でありたい。
直接渡さなかったTシャツも、覚えてくれているかどうかはわからないけど、そのときのちょっとした話の種になれば、それが1番いい形なんじゃないかな、って思う。

そしてその頃には、きっと今いるファンの何割かはいなくなってしまっている。
10年間以上見続けてる人とかは別だけど、このラストツアーで久々に来たって人とかは、特に。

人間の情熱を長続きさせるのは難しい。
今、燃えたぎっている情熱が冷めてしまったら、どうなるかわからない。

ファイナルまで見たら「SHAKALABBITSに満足」というより「なんだかんだ最後まで見た自分に満足」してしまうんじゃないか。
いざ帰ってきたとき「あのとき最後まで見届けたし、SHAKALABBITSじゃないし、なんかいいや。」ってなりはしないか。

「んなこたない!」って思える人はそうなんだと思いますけど、今まで好きだったのに興味をなくしてしまったものはいくつありますか。

俺だって「もうすぐ最後だから、とにかく沢山見なきゃ!目に焼き付けなきゃ!」って思いは、確かにあった。
きっと喧嘩別れの状態だったらその気持ちを持ち続けたんだろうけど、俺の中のソレは、金沢と大阪で消えた。

これからも続くあの4人の道を、今までと同じように、定期的にタイミングとお金に都合をつけて、細くとも長く応援し続けることが、俺にとってのSHAKALABBITSとの向き合い方。

だから、11/4の東京・新木場のファイナルに絶対行かなきゃって気持ちはなくなった。

まだ、もう行かない!と言えるほど割り切れてはいないけど、それは前までの「SHAKALABBITSを見届けにいく」という感覚よりも「曲を聴きにいく」ためだと思う。

色んな人に影響を与えて、色んな人の人生を変えたSHAKALABBITS。

各地のラストツアーを回って、最後の大阪公演が終わった今、あと5回のライブを残して、火が消えようとしてる。

だけど、終わらない旅に恋をしているあの人たちは、きっと少し小さい火になってともり続ける。
その火が消えないように、ちょこちょこと油を注げるような存在で入れるように、俺はこれからもアンテナを張り続けようと思います。

THE SKIPPERS pre.PUNK THIS TOWN 2017

8/6、真夏の日曜。大阪の池田市、猪名川運動公園というところで行われた「PUNK THIS TOWN」というイベントに行ってきました。

 
THE SKIPPERSが主催するPUNK DRUG NIGHTの後継にあたるイベントで、快晴のなかスキッパーズの盟友とも言えるようなバンドが次々に出演し、その度に出てくるジャガーさん。

夕暮れも近づいてきた頃、池田の大御所・ゲルググから渡されたバトンを持って、スキッパーズが登場。速攻ライブをスタート。
幾度となく聴いてきたアポロがやっぱり1曲目で、ぶっ飛ぶキッズ達の少し後ろから全体を見る。
最初は正直、フェスで見るスキッパーズだ!テンション上がるな〜!くらいにしか思っていませんでした。
そして最初のMC、ジャガーさんが喋り出す。

「PUNK THIS TOWNへようこそ!
今までずっと友達・仲間のライブを見てたけれど、これはまだ夢なのかな、起きてないのかなって思ってます。

ほんとに、俺ら主催か?ってずっと思ってます。俺ら主催、、、やんな?
あんまり言わないけど、今日は言う。みんな、みんな本当に今日きてくれてありがとう。
俺は高校生の頃までずっとかっこ悪いやつで、そこから抜け出したくて、変わりたくて池田を出てTHE SKIPPERSを始めた。
あれから15年。これがかっこいいって思ってバンドを続けてきた。自信もあった。

でも、売れない。ライブをやっても売れないし、CDを出しても売れない。やけど必死で続けてやってきた。
池田にいた頃はかっこ悪くてダサかったけど、いつかここでライブして、かっこよくなったところを見せてやる!

そう思ってたら、色んな人が力を貸してくれて、今日みたいな日ができました。
ギターもまともに弾けない、歌も歌えない。そんなギター小僧が夜中に猪名川に来て、作ったダサい曲をアンプもないのに弾いて、歌いながら思い描いた夢が、今日です。

最後まで、楽しんで行ってください!

LOVE & PEACE & PUNK ROCK

俺たちが、THE SKIPPERS!!!」

 
わかりやすく文章にして見たけど、3人に1人くらいは「?」ってなりそうなくらい、言葉足らずだったMC。
でも、その言葉には、相変わらず一点の曇りも背伸びもない。120%の熱量がこもった本気の言葉。それは会場にいた人たち、みんなに伝わってた。

久しぶりのスキッパーズの晴れ舞台。

僕はまず、久しぶりに見たジャガーさんの変わらなさに驚いた。

 
あの人は、自信はしっかり持っているけど、自分を高くは見積もらない人で、「世の中から見た自分」というものをすごく理解しているイメージがある。

 
初のワンマンをした日も「本当にみんな、俺らだけを見に来てくれてるんか…」と、信じられないような気持ちと、感慨深い気持ちが入り混じった顔で話していたのを覚えています。

 
2010、2011年?くらいから僕はスキッパーズを見ていて、それでも所詮6,7年。スキッパーズの歴史で見ると、1/3程度でしかない。そんな僕がスキッパーズのことをよく知っているなんて言えるはずもない、、、でも。

 
キングコブラで前身のイベントをやって、売れ切れなくて。

 
BIG CATで前身のイベントをやって、売り切れなくて。
 

なんばハッチで前身のイベントをやって、売り切れなかった。

 
売り切れる売り切れないが全てじゃないし、それでライブのクオリティが変わるわけじゃない。
それでもきっと、大きいところを借りて腹くくってイベントを作る以上「ソールドアウト」ってのは一つの目標になっているはず。

 
そんなスキッパーズが今日、当日券はあるものの事前販売の1200枚のチケットを売り切って、自分達で作り上げたどでかいステージに立って演奏している。

それでもジャガーさんは何も変わらないまま、天狗にもならず、俺らがこんなところで、、、夢のようや、と目の前の風景を見て喋っている。

 
ジャガーさんは、何も変わってない。

スキッパーズは、やっぱりかっこいい。

今日という日を、絶対に目に焼き付けなきゃいけない。

 
直感でそう思いました。
話は変わって、僕とジャガーさんはそこそこ前から面識はあって、あの人は本当に僕に良くしてくれていて、ずーっと近くにいたわけじゃないけど、とても近くにいた時期もありました。

 
今、僕はデザインという道に公私ともにのめり込んでいますが、生まれて始めて自分のデザインを形にしてくれたのがジャガーさんなんです。(パロディでしたがw)

 

この前初めてジャガードッグに行ったら「ゆうせいのステッカー出てきたから貼ってん!!」って言ってくれました。

そんな風に結構仲は良かったんですけど、自分の中では少し後悔があって、それがなかなか飲み込めなくて、しばらく距離を置いていました。

 
そりゃ、たまに新曲出せばチェックするときもありますし、フェスとかで会えば話しますけど、ライブハウスみたいな狭いコミュニティでスキッパーズを見ることは避けていたように思います。

 
そんなものが全部吹っ飛んだ、、、ワケではないけれど、それでも、久しぶりに見たジャガーさんの「本気の目と本気の言葉」には、固く凍りかけてしまっていたものを溶かす力がありました。

 
あの日から何年たったかわからないけど、なかなか飲み込めなくて、ずーっと喉につっかかっていたものが取れた気がして、心の底から、「スキッパーズはやっぱり最高のパンクバンドだ。」

そう僕に思わせてくれました。

だから、目に焼き付けたいと思ったんです。

 

ジャガーさんがまた話しだします。

「こんなこというの、ダサいのわかってる。

ダサいのわかってるけどいう。
みんなほんまにありがとう。これからも力を貸して欲しい!

もっともっと俺らはかっこよくなって、かっこよくなった姿を見せるから!


いつもの声で叫ぶ。
バンドの魅力は沢山あって。

その魅力の1つは、高そうなカベをぽーんと飛び越えていくことだと思っていて。
突き抜けたバンドってのは常人では見えないような壁すら飛び越えていって、そういったところに魅力を感じることもあります。
すっげー!!バンドスッゲー!!って。

夢あるな!!とか言ったり、しますよね。
 

でもスキッパーズはそうじゃない。
いつだって背伸びのない等身大で、いつだって泥臭くて、15年間、大なり小なりはあれど、小さなライブハウスで連日連夜ライブをして。ときに大きなイベントに挑戦して。

 

それを、ずーっと本気で折れずにやり続けてる。
そんなジャガーさんの周りには、気持ちのいい人たちが集まります。 

 
あの破天荒な性格だからしょっちゅう喧嘩してるし、嫌われることもあるんだろうけど、ジャガーさんのことを慕っている先輩・後輩からの信頼度は普通じゃ考えられないくらい高いと思う。
だから、ジャガーさんの見る夢をみんなで見たいと思う。

だから、みんな力になれることがあるなら、手を貸そうと思う。

だから、実際のPUNK THIS TOWNの運営の現場を仕切っているっぽいたかおさんや、ブロンズチームも、準備に奔走しようと思う。

僕は、それはジャガーさんの人柄あってのものと思っていました。

たとえばそれを自分に当てはめてみると、あの人みたいに酒を飲まないから、スパークしてはっちゃけるわけじゃない。

性格は負けず劣らずややこしいとこがあるかもしれないけど、殴り合いの喧嘩はまぁしないだろうし、いい曲が作れるわけでもない。

そんなこんなで、自分がああいう形で人望を持つのは無理なんだろうな、となんとなく考えていました。

これはずーっと思っていました。

 
それもあの日に、壊されたんです。
PUNK THIS TOWN前日、8/5に仙台から10年ぶりに大阪に来たspike shoesがライブ中に「新しい事を始める勇気!!やりたいことを続ける情熱!!」と叫んでいました。まさにこれはスキッパーズにも当てはまることで。
結成から今年で15年。

ジャガーさんは僕の知らない頃から、きっと何も変わらない。ジャガーさんのままなんです。
いつだって本気で、

いつだって正直に、

いつだって折れずに、

ここまでやってきた人だから、
だから、たくさんの仲間と一緒にこんな日を作ることができたんじゃないかと思います。
ただただあの魅力的な(?)性格だけで、こんな日が作れたわけじゃなく。

「本気で、正直に、折れずに」ずっと生きてきた日々に、ジャガーさんの持つ「人柄」っていうスパイスが入ったから、こんな日が出来上がったんです。

 
あの酒癖でバンドやってなかったら、ただのヤバイ兄ちゃんです。
あの人の持ち前の性格を羨んでしまった日もあったけれど、そんな言い訳してられねーなと思いました。

 
僕は僕のやり方で、これからもデザインの世界を、あの人みたいに「本気で」「正直に」「折れずに」生きていく。苦労せず得るものは無し。

そうしていれば、フィールドは違っても、いつか見たことのない夢の景色が見れることは同じなのかもしれない。

 
僕は、自分の信念を持って生きているし、ブレたことはないつもりですが、スキッパーズのあの30分で、自分の生き方の芯をもひとつぶっ太くしてもらえたような気がしました。
それだけ、自分にとって得るものがあったあの日のライブ。

たかが音楽、たかがライブ、たかがパンク。

ただただウェイウェイ盛り上がって終わるライブもあれば、自分の生き方や何かに気づかせてくれるライブもある。

音楽で世界は変わりませんが、人1人の思想や生き方は十分に変わる。

 
家でダラダラしたり、

昔からの友達とバカ話をしたり、

そんな時間ももちろん大事なんですけど、ときには、別に音楽じゃなくとも、それより大事だと思えること、夢中になれることを見つけて時間を費やさないと、人生がもったい気がします。

やりたいことをするには人生はあまりに短いし、

やりたいことのない人生はあまりに長い。

どうせなら、長い人生を短く感じるくらいに充実した人生を送らなきゃもったいないと思うんです。

何より、夢中になって打ち込んだ時間は無駄にならないし、時たま自分の思いもよらないところまで連れて行ってくれる。

人によって、スポーツ、料理、アート…色々あるんでしょうけど、一歩進めば極める道が始まる。

それは、きっと人生を豊かにするはずなんです。

少なくとも、 僕はこれからもそれを信じて生きていきたいし、きっとそう信じて生きてきたスキッパーズの生き様を見て、本当にかっこいいと思いました。

そういえば、終わってから友達とみんなでいたときに、ジャガーさんに遭遇。

「色々……思い出すメンバーやな」っとなんとも言えない表情で話して、1人1人と握手をしてから、「あのMCは全部嘘やから!今日のために台本書いたんや!」って言いながら1人ひょこひょこ消えていきました。
照れ屋なパンクロッカーの旅に、これからも関わっていきたいです。

 
誰に勧められたわけでもなく、

自分で見つけて、

自分の目で見て、

自分の耳で聴いてきた、僕の好きな音楽達。

自信を持って沢山の人に勧めてきた、
我らが THE SKIPPERS は、

「やっぱり、間違いない!」です!!


  P.S.

「目に焼き付けようと思った」と書いたのは、ライブの情景を描こうと思っていたのもあったのですが、少し思うことがあって、ぱっと見じゃよくわからないこの絵にしました。

少し話すと、お盆に僕は祖母の家に帰省していて、祖母宅からほど近い庄内に出かけました。おじさんと一緒だったので行きませんでしたが、ジャガーさんの拠点、JAGGER’Sのあるところです。

そこでたまたま道路を見ていると、計測用?の数値がたくさん書いてありました。道路の文字なんて普段見ることもないんですけど、すごくそれが気になって、デザインに落とし込めるかな?と考えたとき、これを今までのスキッパーズの道のりに当てはめて見たら面白いんじゃないかな、と思って描いたのがこれです。池田ではないけど、JAGGER’Sのある庄内で見た風景ってことになんとなく意味を感じたので、描いてみました。

引っ張りだしてきた水彩絵の具で塗ったのですが、なかなか気に入っています。

さぁ、来年も行くぜ!PUNK THIS TOWN!

自分の考える復興支援

僕は、復興支援活動をしています。
している…と言っても、「やってる俺カッケーとでも思ってんのか」とか言われるのも心外なので積極的に話しているわけでもないし、月に何回も被災地へ駆けつけて現地の作業を手伝えているわけでもありません。

ただ、2012年からずっと、個人的には復興支援を続けているつもりでいます。

「なぜそんなことをやっているのか」
よく聞かれるし、思っている人もいるかと思うので、今日は少し書こうと思います。

311の震災以降、僕たちの属するライブハウスのコミュニティでは「それぞれができることをするべきだ」というような風潮があったかと思います。
それに流されるとか流されないとかでなく、当たり前のようにその考えがするっと出てきたライブハウスの文化を僕は素晴らしいと思いますし、ツアーバンドが多く、現地との距離感が一般層より近かったからというのも原因の1つだと思います。

そして例に漏れず、ライブハウスにいる色んな人が考えた「私にできること」を僕も考えました。
その時は華の大学生。お金はなくとも、時間を作ろうと思えばいくらでも作れますので、現地へ行こうと決めました。
そうと決まれば話は早く、我らが十三ファンダンゴの村上パイセンに先導してもらい、東北各地を物資を持って回りました。社会人になればそうやすやすと3日間の時間を作ることはできないし、そもそも平日にいけるかもわからない、そう思っていたからこそ、何度も帯同させてもらいました。

そして、各地を回った日の夜に、「今は俺が連れてきているけど、いつかはお前らが連れて行く側になってほしい。」という言葉が村上パイセンの口から溢れました。本人が覚えているかはわからないですけど、僕の頭にはその一言が残りました。

そうやって、最初の頃は「これが俺にできることだから」という思いで復興支援というものと関わっていましたが、時間が経ってくると、物資よりも住居の問題やメンタルケアの問題が大きくなってきます。

もはや、自分にできることとして物資を持って回るだけでは、向こうのためになっているのかわからないこともありました。

いつか書いたような気もしますが、そもそも僕はあまり「人のため」に動ける人間ではありません。マザーテレサじゃないんです。自分が何かをして、誰かをいい方向に導けると思ったのならば、心血を注いでやれますが、「俺が何かやったところでなんの意味もないな」と思ってしまったら最後、とてもドライに切り捨ててしまいます。

このままではいけない、復興支援を続けようという火が消えてしまう…そんな気がしました。
全ての何かを続けるコツは「無理のない範囲でやること」です。
こんな気持ちのままガムシャラに復興支援を続けても、短期的には持っても、長期的に続けることができない。

そうして、「自分にできること」という復興支援との関わり方から、少し変わっていかなければいけないと思った僕は、

「自分のやりたいことで人を喜ばせる」

という考えにたどり着きます。なんじゃその都合のいい考えは!という声が聞こえそうですが、僕のやりたいことというのは、やはりグラフィックデザインです。

カッコイイデザインを考えてチャリティTシャツを作れば、いいと思った人は買って喜んでくれる。その売上で、Tシャツのプリントイベントを開けば、被災地の人たちが喜んでくれる。

デザインは人を喜ばせることができる。
これなら、いつかの村上パイセンの「いつかはお前らが連れて行く側に…」という思いにも答えられる。

そうして、岩手の大船渡・熊本の阿蘇・岩手の大槌町でイベントを開いてきました。

僕たちの活動を見て「なんの意味があるんだ」と思う人もいるかもしれません。
確かに、瓦礫をなくす作業だとか、直後であれば炊き出しだとか、そういった行動の方が何倍も役に立つのかもしれません。

それでも、このイベントを開くたびに、嬉しいことにいつも好評の声をもらうことができる。
「自分のやりたいこと」だからこそ、多少無理したって続けられるし、「自分のやりたいこと」だからこそ、それで人様が喜んでくれたら本当に嬉しい。やりたいことで人を喜ばせるのは簡単なことじゃない。

こんなに「やりがい」があることなんて、なかなかないからこそ、僕たちは誇りを持って続けることができるんです。 

なんでそんなことやってんの?と心のどっかで思ってる人へ。せっかくの機会なので、もう一度答えておきます。

「自分のやりたいことで、人を喜ばせられるからです!」

 



自分のやりたいことが 、たまたま人様に喜んでもらえる可能性を秘めていたことを、本当に光栄に思っています。(まぁ、鉄オタとかなら鉄オタなりの喜ばせ方があるんでしょうけど……)


 


  • チャリティTシャツのデザイン

チャリティグッズについて思うことはたくさんあります。 
Tシャツを始めとする、グッズのデザインを考えるとき、僕はこういうものが欲しいだとか、こういう意味を入れたいとか、結構あーだこーだ自分なりの考えを込めます。

別にそれを1つ1つ挙げて説明する気はなく、「なんとなく伝わってる部分があればいいな」と考えている程度です。お客さんはいちいちそんなことを考えて買う必要は全くないし、直感で判断してくれたらそれで構わないんですけど、僕にとってその意味を込めるという作業は必要不可欠なんです。

というのも、僕にとってデザインというのは、連想ゲームと似ています。

例えば、I7Sとのコラボデザインを考えたときを例にとります。

まず、僕らFIGHT BACKのロゴとは別に、I7Sのロゴを考えました。
そしてW-NAMEということで、どうやって2つのロゴを違和感なく並べたらいいか…
ここで、僕はオリンピックの国旗掲揚を連想し、それぞれの旗を掲げるという意味でデザインにしました。
そして、2つの旗を掲げてどうするのか?
東北に希望の光を灯すんだ!という意味で、ライターを描いています。
そしてI7Sのイメージが不足しているな…というところから、Vo.シンノスケさんをイメージしたバンダナを巻いて完成、といった具合です。

ロゴを並べたい=国旗掲揚=2本の旗
希望=希望の光=ライター
I7S=シンノスケさん=バンダナ

こんな連想ゲームが僕の頭の中に存在し、それぞれの意味づけをしているんです。

となると、僕の考えるデザインは、基本的には「○と○を組み合わせて○な感じのロゴを作る!」とかいうなんとなくのイメージはあるものの、(ちなみに、この時の着手前のデザインイメージは、I7Sのロゴをこんな感じのにするぞ!くらいでした。)
基本的に完成に向けての過程は「連想ゲームでビジュアルを肉づけて行く」という感じになります。

このやり方のメリットとしては、1つ1つのデザインに思い入れが込められるということがあります。バンドさんのデザインや、普段のFIGHT BACKのデザインでは、結構意味合いとかコンセプトを大事にしてくれる人が多いので、それなりに好評を得ているんですけど、被災地の人が着るTシャツとかだと、そうは行きません。なぜかというと、色んな思いを込めるがあまりに、僕のデザインは直感で「なんかよくわからない…」となりがちなんです。

考えたデザインを判断するのは、実際に着るお子さんや、親御さんたちで、意味合いやコンセプトなんかより、ビジュアルが命の世界。連想ゲームからビジュアルへ向かっていっているようでは、ゴール地点が変わってしまい、直感で判断してもらいづらくなってしまうんですね。

要するに、最初から「星型のキャラを作る!」とか考えて、そこに向かってビジュアルを起こす作り方をしなきゃいけない。これはあまり好きじゃなくて、スキルがなくてパロディしかできなかった頃の自分を思い出したりして、なんの意味もないデザインをバンバン考えて、ビジュアルだけ取り繕えばいいのか…?とか思っちゃったりするんです。そんなもん質より量で100案出して、ただ好き嫌いで決めてもらうようなやり方と変わらないんじゃないか、とも。

でも、被災地の人に着てもらうことが目的である以上、いつもの「自分がやりたいこと」の優先順位を少し入れ替えて、ビジュアル優先で考えていかなきゃいけない。

そのモヤモヤを抱えながら取り組んでいて思ったんですけど、別にビジュアルのゴールを目指して、なんの意味もないものを作る必要はなく、ビジュアルを起こしてから意味づけをしていけばいいんですね。すごく頭でっかちになってしまっていたことに、僕は気付きました。

「ビジュアルを作ってから連想ゲームで肉付けをしていく」いつもと逆の工程は、ただでさえ低いレベルがもひとつ低いので、日々勉強して、レベルアップを図っていかなければいけないところです。

そういえば、名前からとって「U」を中心に考えたデザインを作りたいと思っていたので、今のデザインをしっかり完成させて、うまく自分の血肉にしてから取り掛かっていこうと思っています。いつかどこかでUPされているのを見たら、「あ、あのとき言ってたやつか」と思ってもらえたら嬉しいです。

  

 
…と、なんの学校を出たわけでもないのに偉そうなことを長々と語ってしまいましたので、この辺りで閉じようと思います。

ありがとうございました。

 

 

 

 

人生最大の買い物

表題どおり、三連休最後の月曜日に、人生最大の買い物をします。
厳密に言えば、「買うは買わないかはまだわかんないから!」とか言ってるんですけど、十中八九買います。
なぜそれを買うに至ったか。いつかの自分が見て思い返せるように、今日は少し書こうと思います。

はじめに。僕は結構貯金癖があります。それは「いつか何かがあるかもしれない、そのために貯金をしなければならない。」という恐怖観念からくるものではなく「自分がやりたいこと、行きたいところを見つけたとき、お金が理由で断念したくない。」という理由からです。

前に書いたような気がしないでもないですが、僕のこのクソみたいな長さと自己主張を押し付けてくるブログを毎度読んでいる人はそうそういないと思うので、割愛しますw
まぁ要するに、自分が興味を持ったことや、熱量を向けられることを、お金がないってことで諦めるのは勿体無いと思うからなんです。そこから先に自分の見たことのない何かが待っているかもしれないのに、せっかく芽生えた可能性を潰したくない、そういう理由です。だから金欠で予定を蹴ってる人見ると「勿体ないなあ、普段から貯金しとけばいいのに…。」とか思います。まぁ、人それぞれですが。

会社員になってからは、馬車馬のように働いているということもあり、そこそこお金がたまり始めました。それもそのはず、生活水準が学生の頃から変わっていないので、お金を使うのなんて旅行くらいです。

そしてある一定のラインを越えたとき、僕はデザイン用のPCを買いました。

それが今このブログをポチポチ打っているMacBookProです。
「デザインをやる以上はMacでしょ!」みたいな形から入る考えは嫌いでした。ダサいと思ってたし、そもそも、今までWindowsでデザインをやってきて、死ぬほど困ったこともありません。Mac信者なんていう人たちも苦手でした。

ただ、新しく購入したPCのOS、Windows8に3年たっても全く慣れなかったことと、実際にデザインの現場で働いていると、データのやり取りや手配の面で、Windowsでは困ることが多いことに気づいて、どうせなら思いっきり変えてやろうという気持ちで買っちゃいました。どうでもいい余談を書くと、デスクトップにしようかなとも思ったのですが、冬はこたつで触りたいので動かせるノートにしましたw

ただそんな理由はもちろんありますが、最大の理由、というか検討にあげた理由は、自分のやりたいことに使うものだったからです。

そして、月曜日に購入しようとしているものは…ギターです。

僕はギターが好きなんです。
ライブを見るときは大体ギターの人を見ていますし、好きになるって仲良くなるバンドマンも大体ギターパートの人です。
でも、自分のことをギタリストだと思ったこともなければ、全くもってうまくもありません。そりゃ単純なコードくらいなら弾けますけど、ビビるくらい下手です。
それでもギターが好きなんです。毎日眺めて持って、弾いて歌う毎日を過ごしています。

デザインを考えようと思うときも、なぜかギターを手に取ります。

疲れて仕事から帰って来たときも絶対手にとって何かを弾いて歌います。

夢中で絵を描いているときや、集中して文章を打っているときとはまた違う、ギターには僕の心を癒す何かがある気がします。俗にいう、ストレス発散?とは少し違う気がしますが、ギターに触れて音を出しているとき、本当に幸せなんです。

1年前、イタリアに旅行に行ったとき、長い旅行になると周りからは途中で帰りたくなるとか、日本食が恋しくなるとか言われてたので、さあどうなるかと思っていたのですが、感じたのは「ギター弾きてえなあ」ってことくらいでした。そのくらい好きなんです。

実は…あまり言ったことはないんですが、僕の家にはギターが11本あります。
実家用に1本、友達に1本貸しているので、全部合わせると13本でしょうか。

バッカじゃねえの?!!って意見はあるかと思いますが、極論好きなものだからいいんです。
とやかく言われたって、僕にとっては1本1本違うギターで、それぞれここに来るまでの道のりと、ここに来てからの改造と…色んな愛が詰まっているんです。

まぁそれはいつかの機会にお話しするとして…
初めて僕がギターを認識したのは子供の頃。スーパーの食玩コーナーです。
バッカじゃねえの?!!!(第2波)が出るかもしれませんが、当時そのスーパーに、グレッチの食玩コレクションみたいなものがあったんです。

そのパッケージには、今でこそ名前がわかりますが、グレッチの顔とも言える「ホワイトファルコン」が載っていて…あまりのかっこよさ、美しさに、僕は心を奪われました。

ファルコン
世界一美しいギターと呼ばれるホワイトファルコン(フィギュアですよ)
ギターが何かすらわかってなかった優成少年は、それを頼んで買ってもらって、ワックワクしながら封を開けると、何かが足りてないとしか思えないホワイトペンギンが出て来ました。

ペンギン
足りてないホワイトペンギン(フィ)
もちろんホワイトペンギンもめちゃくちゃいいギターなんですが、そのときの僕は納得できませんでした。しかし、中に入っていたリーフレットで、僕が一目惚れしたギターの名前が「ホワイトファルコン」という名前だということを知りました。

それから激しい音楽にハマり、みんながバンドをやり始めるようになって、僕も誘われたりはしました。だけど、流されて始めたくはない、と思ってやりませんでした。
しかし、大学に入ってしばらくしてから、大学でできたギターのうまい友人に手取り足取り教えてもらい、楽器屋にもついて来てもらってついに念願のファーストギターを手にします。

それが僕のファーストギター、エクスプローラーです。
ジグザグなので「ザグジー」って呼んでました(大爆笑してください)

EpiEX

なんでやねん!!っていう声がたくさん聞こえてきそうですが、見てください。
あえてのゴールドパーツというところに、ファルコンへの憧れを残していますw

というのも、このころの僕の音楽の趣味はパンクとメタルになっていたので、メタリカのジェイムズに憧れていました。そのジェイムズへの憧れと、いつか見たホワイトファルコンへの憧れが、このゴールドパーツのエクスプローラーの購入に繋がったんです。

そこからは、変形つながりでフライングV(フォルム状、座ると全く弾けない)や、みんな大好きな健さんに憧れてレスポールシェイプのギターを買ってみたり、アコギにも手を出してみたりと、泥沼にズブズブはまっていき、最終的には塗装やらなんやらまでやり始めました。

…話が恐ろしく脱線しましたね。

ただ、僕はいわゆる「高いギター」っていうのを持っていませんでした。
安くで買って改造して自分らしくする、のが好きなのもあってそれで満足しているところもありましたが、「これ!という1本が欲しい。」とはずっと思っていました。

そうなると…やっぱり最初に見たグレッチのギターが頭を霞むのです。

しかもよりによって、2、3年前から健さんがグレッチシリーズを使い始めました。
見る機会も多いから、必然的にグレッチに惹かれていってしまいます。
しかもシグネチャーモデルまで出しました。

少し話を変えますが、僕は緑と青が混ざった中間色が1番好きなんです。
俗にいうミントとか、ターコイズとか言われる色ですね。

こう見ると結構淡い色に見えますが、後々になって自分の身の回りを見渡すと、濃いブルーグリーンのようなカラーの持ち物が多いことにも気づきました。青と緑が混じってれば多分なんでもいいんですw

ブルーグリーン
いつのまにかこんな感じのコートも持っていました
そんなときに、健さんが出したシグネチャーモデルがこれです。

けにーJえr
Kenny Falcon Jr.
嘘だろ…と思いました。

自分が初めて好きになったギター、ファルコンを。
自分が好きなギタリストがシグネチャーモデルとして、
自分の好きな色で発表して、発売する。

こんなことあんのかよ、と思いました。

このギターは、何度も店頭に見にいったり、何度も試奏したりしたんですが、本当に良いギターで、ずーーーーっと買うか悩んでいました。
車のメタリック加工みたいな色で、見る角度によって水色に見えたり緑が強くみえたりして、とにかく綺麗で…なんならヤフオクに出てたとき、恐る恐る入札したりしましたw

でも、購入まで一歩踏み出せなかった最大の理由は

「健さんのシグネチャーモデルだから」

というものでした。

少し理由を書くと、僕はずっと健さんが好きで、ライブにもよくいってます。最近例のあれでとやかく言われてますが、別に僕らファンがブツブツいうことではないし、あまり気にしていません。

ただ、彼のライブに現れる「健さんになりたい人」には辟易しています。
こんなことをネットに書くとおっそろしいですが、彼と同じ格好をして、彼と同じ髪型にして、同じようなネックレスつけて……。

そりゃ、単純に趣味が似てるとか、機能的な服装だからってんなら否定しませんけど、あまりにも猿真似に見える人たちが多すぎる気がします。どんだけ見た目を似せようと、あんたは横山健になれないよって言いたいです。僕も昔は憧れてディッキーズ履いてましたし、髪も一部金髪でしたし、レスポールも買いました。でも崇拝しているわけでも、盲信しているわけでもない。好きなアーティストに近い格好をする、そういう時期は誰にでもあると思います。

でも別に、なりたいと思ったところでなれません。
そう思ってる限り誰も超えることすらできない。

最終的に、レスポールってギターの魅力は憧れとして残りましたが、他は自然としなくなりました。影響を受けるってのは、何もその人の真似をするわけじゃなく、一部を取り入れるとかそういうもので、憧れの人と自分は違う存在なんだって思えたとき、少しずつ自分ってものが出来ていくんじゃないでしょうか。

だから、いつまで健さんになりたいの?って思ってしまうんです。聞いた話だと子供にも健さんの子供と同じ名前つける人がいるそうで、、、「親子揃ってまで猿真似する気?!」って思います。
こんなことばかり思ってるため、健さんファンの友達は全然できませんw

話を戻して…シグネチャーモデルっていうのは、その名の通りその人の音が出るモデルです。
僕は、さっきも書きましたが、

自分が初めて好きになったギター、ファルコンを。
自分が好きなギタリストがシグネチャーモデルとして、
自分の好きな色で発表して、発売する。

ってことに、すごい魅力を感じて欲しくなりました。

それでもグラフィックデザイナーとして、オリジナルなものを作っていくクリエイターの1人として、どうしてもシグネチャーモデルっていうのが自分を殺してしまう気がして、飲み込めなかったんです。

サブギターの1つならいいんですが、メイン(とかいって別にまともにバンド動かすわけでもないですがw)、として使っていくギターですから、どこかで「健さんのモデルやん」みたいに言われるのを考えても嫌でした。いちいち「このギターを買ったのには理由があって…」みたいに言えるわけでも当然ないですし。普段は人にどう思われようが別に…思ってるタイプなんですけど、自分が一緒にすんな!と考えている、健さんになりたい人の一派に思われるのはやっぱり釈然としませんでした。

そんなとき、ギターマガジンを立ち読みしていてグレッチの広告を見つけて、そこには、カントリークラブというギターが載っていました。

生産本数の少ないギターで、大阪には入ってきていません。しかし、…僕は2月の半ばに東京の御茶ノ水へ走り、このギターを試奏しました。

 

 

あ、このギターを買うんだろうな。と直感で思いました。
いつも流していたお店の人のセールストークをよく聞いて、名刺までもらいました。

このギターはG6196 CountryClubというギターで、ファルコンという種類が現れるまではグレッチの最高峰に君臨していたギターです。あえてファルコンじゃなくて、カントリークラブという一般認知度0.05%くらいの機種であることが性根が捻れまくっている僕の心をくすぐりましたw
国内流通本数も本当に少ないそうです。

このカラーは「キャデラックグリーンメタリック」といいます。
キャデラックグリーンというのも綺麗な色で、それは深緑なんですが、これはメタリックなカラーで、少しブルーの色合いも含まれていて、見る角度によって色んな表情を…ってのはまた後からにします。

これをなぜ買うと思ったか、まず僕の中に、「自分の好きなもの、やりたいことにお金を使おう」という思考があります。それはどこからきているのか、ということなんですが…

僕は…やりたいことを仕事にしたつもりです。しかし、世の中はそう甘くなく、100%やりたいことをできるわけがありません。なんで俺が…って思うような仕事だって、正直たくさんあります。

それでも、今はこれからの自分の将来への準備期間だと考えていて、将来的に、僕はデザイン、それも大好きな音楽に関連したデザインもやりたいと思っています。

それを強く意識するため、新社会人である1年目に、デザイン関連のものと音楽関連のものを買うのはすごく意味があると感じたんです。それが、「自分の好きなもの、やりたいことにお金を使う」という思考に繋がりました。

先々へのモチベーション、今の自分の心境、言語化できない感情はたくさんありますが、近い関係の人には話してますが、わざわざ近道があったのに遠回りして…高く飛ぶための準備期間である今、買うことに意味があるんです。

そして、彼との再会も大きかった。

人のため」というタイトルで書いたブログ、まぁ学生時代の僕が1人の男に振り回されまくったという内容なんですが、久しぶりに彼と再会すると、彼は楽器屋の店員になっていました。

というのは、僕のストーキング(猛爆)により暴いていたのですが、バイオリンやピアノがメインだと思っていたのですが、どうやらギターも守備範囲だったようです。

僕への感謝を口にする性格ではありませんが、ふとこのギターについての話をすると、この生産本数が全然ないモデルを、グレッチの総合商社をしている神田商会と毎日連絡を取ってくれて、取り寄せてくれました。

取り寄せて入荷した時点で、小売店はギターメーカーに仕入れ値を払っています。
そのため、普通は購入する予定でないと試奏すらできないのですが、試奏のみでもいいという店に入れてくれて、買うならば日本一安く売ってくれることになりました。というか仕入れ値まで聞きました。

そんな彼は冒頭に書いた

大学でできたギターのうまい友人に手取り足取り教えてもらい、楽器屋にもついて来てもらって念願のファーストギターを手にします。

この友人なんです。

ファーストギターを一緒に買った友達から、5年の時を経てメインギターを買う。
そこにも、しょうもないですがロマンを感じました。

こういう先述した的を射てんだか射てないんだかよくわからない考えと、少しロマンのあるエピソードが、今回僕を突き動かした理由です。

そして最後にもう1つ。自分の決断力を試したかったんです。

僕には独立志向があります。親がずっと自営でやってきた姿を見ていたのが大きいと思うんですが、そのせいで当たり前のように独立志向が備わっています。

独立には、決断力と判断力が必要です。ときにリスクをかけて思い切った決断をしていかないといけない。僕にとってこのギターは安くありません。日本一安くと言ったって、新品なので半額になるわけでもなく、これを決断するには、それ相応の覚悟がいります。

今回は「大きなお金を動かす」という決断ですが、別にお金に限りません。
大きな分岐点になることを恐れず、自分を信じて決断していく力を鍛えることにもなるんじゃないかとどこかで感じているんです。

image2
半年ぶりに定時ダッシュで届いたその日に一度試奏しに行きました
image1
僕に買われるのを今も待っている…はず。
 

たかだかギター1本買うのに何を大げさな…って感じですが、僕にとってたくさんの意味がある買い物を月曜日にするってことを書きたかったんです。

長々と失礼しました。

 

 

人のため

人のために何かをするっていうのは、凄く力のいること。

っていうのが、少なくとも自分の人生を自分のために生きてる僕の認識。結婚したり、子供ができたりしたら変わるのかもしれませんが。

でも、自分が何かをすることで、その人の何かが良い方に向かうのなら、なんだってやってあげたい。どれだけ労力を使ったって、全力をかけたい。そこに損得の感情なんていらない。

いつだってそう思ってます。

まぁ、僕みたいにやりたいことがどうたらこうたらと、バカみたいなこと言ってる自己中な部類の人間は、それでバランスを取ってるんじゃないでしょうか…。
そんなプラマイ0人間みたいな僕と違って、世界には本当の意味で、世のため人のために尽くす、尽くせる人たちがいます。

あまり詳しくはないですが、マザー・テレサなんてまさにそうなんじゃないでしょうか。
大きすぎる人を出してしまいましたけど、自分の周りにもそういう人たちが沢山いて、本当に尊敬できると日々感じています。本当に。

ただ、SNSとかで拡散されてくる人を見ると、そうではない人も沢山いるんですよね。
人のために何かをしようとしたものの、相手に冷たい態度を取られて、豹変してしまう人、心当たりあったりしませんか?

凄く疑問に感じるんですよね。

って言うのも、仮に誰かから助けて!と言われて、しぶしぶそこに手を差し伸べて、結果その悩みが重すぎた、、、俺じゃどうしようもできんよ、、、ってのは正直仕方ないと思うんです。

問題なのは、自分から手を差し伸べたくせにすぐ振り払おうとする人です。

まず、「助けて」って言える人って、きっとそこまで多くないと思うんです。

多くの人は直接的には言えずに、会って話すときにポロっと愚痴をこぼしたり、あるいはSNSに書いたり、遠回しに遠回しに伝えて、誰かに扉を開けてもらえるのを待ってるってのが実情だと思うんですよ。

そして、それに気づいた人や心配した人、この人の悩みなら自分が解決できると思った人が、その扉をこじ開けて、手を差し伸べる。世の中そうやって、お互い持ちつ持たれつやっているんだなと思うんです。

ただ、そうやって扉をこじ開けて手を差し伸べた人の手を、悩んでいる人たちはそうそう素直に握れたりしません。

「お前に何がわかる」
「なんの解決にもならない」

って言われたり、

完全に無視されたり、逆切れされたり、、、

悩みのスケールが大きいほど、そうそう一筋縄ではいかないと思うんです。

まぁ、一筋縄ではいかない問題だから、誰かに助けて欲しいってわけなので、当然と言えば当然です。
そこで、冒頭に書いたように豹変してしまう人。

気持ちはよくわかるんです。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「お前のためを思っていっているのに、なんでわからない」
「助けてやろうとしたのに、なんで俺がこんな目に、、、」

誰もがハッピーにまみれた思考回路をしているわけではありません。人によっては様々なことを思うでしょう。

そこで救いになるはずだった手を引っ込めて、余計関係が悪化した人たちを、きっとどこかで見かけたことがあるのではないでしょうか。

書いた通り、気持ちはよくわかるんです。
ただ、なんのために手を伸ばしたんだ。って思うんですよね。
無視することだってできたはず。

それでも、「あなたのことを助けたい」「あなたのことを助けてやれる」そんな気持ちがあったから、わざわざ閉じこもっている扉をこじ開けて手を伸ばしたんじゃないかと思うんです。

そこで思うように手を握れなくて、途中で振り払ってしまっては、それはただの自己満足。

もはや人に「優しい人」と思われたいだけで、「優しくなりたい人」「優しくあろうとする人」でしかない。

それはそれで立派なのかもしれませんが、見返りを求めた優しさに疑問を感じずにはいられません。

突然ですが、僕の名前はゆうせいといって、漢字で「優成」という字を書きます。「優しく成る」と名付けられた以上は、優しいって言葉に対して嫌でも敏感になります。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けること、見返りなんてもとめないこと。そして、なにがあっても相手を許すことです。

そもそもなんでこんなことを書いたか。またまた長くなりますが、読んでくれたら嬉しいです。

僕には、大学に入学して、出席番号が1つ後ろだったことから仲良くなった友人がいます。

彼は2浪して入ってきたんですが、家庭環境が複雑で、現役で大学に合格したものの、父親の突然の失業(同情できるようなものではない)により入学金が足りず、自分で学費を稼いで入学。

入学後も日々学費稼ぎに奔走するも、来る日も来る日も貯めた貯金を父親によってギャンブルに使いこまれ、それにもめげず、普通の4大に通いながら、リュウマチ持ちであまり働けない母親と高校生の弟の生活費を稼いでいました。

性格的には、ギターが好きで異常にうまくて、とても面白いやつ、というかぶっ飛んだやつなので、僕は仲良くしていましたが、毎日夜勤をしているせいで大学にはまともに来れませんでした。(自分で稼いだ学費なのに無駄にしてる)

なので、僕は金銭面以外で、多岐に渡って彼のサポートをしていました。まぁ、思えばただのお節介です。

ただ、自分は彼にどう接するべきか、最初の頃はとても悩みました。

というのも、彼の辛い状況を僕はわかってやれる立場じゃない。
普通の家庭で育ってきたぼくが同情なんてしたところで、「お前に何がわかる」と思われると考えたので、一貫してあっけらかんとした、家庭のことをネタにするくらいの態度で臨みました。調子に乗ってネタにしすぎましたけど。怒らない程度に。

でも、彼自身は自分から大っぴらにそういうことを話すタイプではなく、僕がいなければただただ常に顔色の悪い、素行不良の生徒と思われて終わってたと思うのですが、そのぶっ飛んだキャラと相まって、大学でも沢山の友達に恵まれるようになりました。

嫌な思いもさせてしまったかなと思うんですが、「この4年間で俺は良い友達を得た」と話していたので、それなりに何かは残せたみたいです。
ただ、こんな状況なので彼は定期的に音信不通になります。平気で1カ月くらいなんの連絡も取れなくなります。

4大なので、少々単位を落とすくらいは大丈夫なんですが、問題はゼミです。僕らみたいな文系、特に法学部系にとってはゼミが相当重要なウェイトを占めます。

なかなかパンチの効いた、かなり厳しい教授のゼミに僕たちはいたのですが、彼が休む度、彼のフォローを行うのは僕でした。

今日はなぜ休みなのか、論文は書いているのか、現在などういう状態なのか(治験で消え去る時期が多かったので)、体調はどうなのか。

まるで親です。
でも、彼からのレスポンスは99%ありません。

都合が悪いことがあると完全に閉じこもるタイプなんです。そうなるとなぜか僕が機嫌を崩したゼミの教授に怒られるという謎の悪循環が巡ってきます。

しかし、普段の授業の4年間と、ゼミに入ってからの2年間、僕は彼にどれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けました。どれだけストレスになろうと、自分が嫌な目を見ようと。

特に、卒業を間近に控えてからは本当に酷かったんです。

僕のゼミにはゼミ費を使った旅行があるのですが、最後に沖縄に行くことになりました。
しかし、彼の参加表明も聞いて申し込んだ直後、本当に連絡が途絶え、立替金の回収も行えない。そのままキャンセル代が発生する時期になっても連絡は取れない。

ただ、そこそこ楽しみにしていたので強制キャンセルはしたくない。
どうにか教授に掛け合って、キャンセルはしないで欲しいと伝えたものの、参加するのかしないのか一切わからない状態。

上記したように、都合の悪いとき、僕の連絡は一切見ないので、仲の良い先輩の携帯を借りて連絡すると返事があり、そこから連絡を取って前日の夜18時にやっと参加を表明できることに。

なんといったってトラブルメーカーなので、空港で携帯を落として、沖縄に飛ぶ直前に羽田行きの飛行機に持ち込まれてるのが判明してダッシュで取りに行ったり、、、ほんと話し出すと尽きないんですが、ひとまずは無事に旅行を終えました。
そして問題になっていた立替金は、ひとまずはゼミの教授が一旦払ってくれて、事なきを得ました。

と思ったのですが、ここからが本当に大変でした。

なんと、沖縄から帰ってきた日を境に、一切連絡が取れなくなります。そのまま僕は卒業してしまいました。

ありとあらゆる手段を使って連絡を試みても、全てをシャットダウンし、結局なんの返事ももらえませんでした。

「俺は4年間で良い友達を沢山得た」と言ったとき、まさかなと思ったのですが、彼はそのまま一切姿を現さず、退学しました。

自分の中で、「友達を作るための大学生活だった」と解釈して辞めてしまったんです。

正確にいうと、辞めたのかもわかりません。内定ももらっていて、まだ学校に来ていた頃、単位が危ういこと先方に告げると「まず1年くらいバイトで入ってくれてから卒業すればいい」と言ってもらったことだけは聞いていたので、休学の可能性もあります。が、卒業していないことは確かです。

そして、残ったもの。

それはゼミの教授への借金。
2泊3日の沖縄旅行代、わずか数万円ですが、僕たちの教授は結構癖がある法学の博士。
教授は、僕たちと過ごした、たったの2,3年間でポコポコと裁判を起こして、その都度勝ってきた人です。

簡単な裁判にも、どこからか連れてきたその道のスペシャリストの弁護士を用意して相手を叩き潰す人なんです。

ただ、東北の復興支援に協力してくれたり、僕の性格はよくわかってくれている人でしたが。要するに攻撃性が強いんです。

これは必ずこじれるなと思っていた矢先、案の定、教授から僕に連絡があり、彼の足取りをつかめるかということで連絡をもらいました。

既に上記した彼の話していた内定先へ何度も電話をかけ、彼の所在を問い詰めたところ「そんな人はいない!!」とキレられたそう。
そして、既に少額訴訟の準備を始めていることを伝えられました。

教え子を裁判にかけるって発想はそうそう出てくるものではないと思いますが、「それが私にできる最後の教育です」と引っ込む様子は微塵もありません。

やると言ったら脅しではなく本当にやってしまうタイプの人なんです。

さあどうするかな、、、と思ったとき、最終手段を思い出しました。
彼は誰にも教えていないんですが、ツイッターをやっていたんです。しかも結構な廃人。
件の旅行中、沖縄にいたときに彼がツイッターをやっているのを見て、

「音信不通のときに何かのチャンスになるかもしれないな、、、」

と感じた僕は、こっそりとIDを盗み見てメモり、怪しまれないように彼の趣味に合わせたアカウントを作って、フォローしていたのを思い出しました。

4年間を過ごしたからこそ僕の中の何かのセンサーがこれを見逃すなと反応したんでしょう。

そして、そのアカウントを覗くとやはりつぶやいていたので、「ツイッターしてる暇あるなら連絡ください。教授が何をしようとしているか、君なら薄々気づいてるでしょう。訴えられるよ。」とメールしたところ、アカウントに鍵がかかりました。

彼は普通に覗いていると思ったんでしょう。既にフォローしているのであまり意味はないんですが、、、その後もつぶやきは続けていました。

そこで、僕はもう見れなくなったという体裁で、その後は彼に連絡は取らず、たまにつぶやきを掘り返し、尻尾を出すのを待つことにしました。

しばらくすると、やはり4月に退学してからどこかで働いているようで、新生活ということもあって職場に関してのつぶやきをちょこちょこと書くようになり、最寄駅・職種・時間帯の情報をつかんだ上で、ついには職場を突き止めることに成功。

僕はそれを教授に伝えました。

そこからは、教授の突撃が始まり、ようやく本人と直接話せたということで、立替金の回収が成功し、ついにひと段落しました。

2月に沖縄に行ったのに、解決したのはもう7,8月くらいだったと思います

度々教授からの連絡が来て、僕が問い詰められるたびに、正直「なんであいつのせいで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ、、、」と思いました。

彼はもちろんのこと、僕だって新生活が始まったところで、毎日仕事に明け暮れても、悪い方に悪い方に物事が進んで、空回りばっかりしている時期でした。

それでも、4年間を共に過ごした友達が裁判にかけられる姿なんて見たくない。僕が行動することで、手を回すことでその最悪のパターンは変えられるかもしれない。その一心であの手この手で、もはやストーカーのような真似までしてしまいましたが、、、僕がいなかったら彼は今頃被告人です。

そう考えると、非常に無理をした結果になりましたが、良い結末にもっていけたと思っていて、間違ってなかったと感じています。

ここに書いた僕のパターンは、少し変わった例になるかもしれませんが、世の中にはあなたが手を伸ばすことで、あなたの貴重な時間や労力を犠牲にして誰かのために使うことで、その人の人生を良い方向に変えられることもできるんじゃないでしょうか。

そんなことを伝えたくて、ここまで長々と書いてみました。

まぁ、多くの人は僕なんかより人のために生きてるかと思いますので、な〜にを偉そうなこと言ってんだと自分でも思いますが…。

でも、そもそもこのブログを書こうと思ったきっかけは別にあるんです。

実は、件の彼に、この前久しぶりに連絡を取ってみたんです。

1年ぶりになる僕からのまともな連絡は
「生きてんのか?飯でも行こう」

同じく1年ぶりになる彼の返事は
「よお、3月入ったらまあまあ予定開けれるで」

ただただそれだけやり取りでした。

ってことで、久しぶりに会って、たっぷり話してこようと思います。

最後に、さっき書いたことをもう一度書きます。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、どれだけ握ってもらえなかろうと、手を伸ばし続けること。見返りなんてもとめないこと。

そして、相手を許すことなんです。

でも、飯は全て奢ってもらうつもりです。

セレンディピティ

という言葉を、この土曜日に知りました。

この言葉とは今後とも向き合っていく予感がするので、この言葉と出会った経緯と、自分の気持ち。そして、最後にこの言葉の持つ意味について書き記しておこうと思います。
時間に少し余裕があれば、お付き合いください。

先週はまず、木、金、土と会社の2泊3日の研修でした。
僕の入った会社は実務的な研修はほとんどなく、「揉まれて慣れろ」の精神なのですが、社長や役員クラスの方の講義が少しと、大部分を研修会社の外部講師が務める研修がよくあり、4月、7月、2月と、今回で3回目です。

2泊3日と書いた通り、関西や中部を中心に、毎度色んなところで行われます。
休憩時間がほとんどない中、長時間の座学と、いわゆる前時代的なパンチの効いた飲み会が行われるため、体力と精神をゴリゴリと削られるほか、普段会えない各地方の同期に会い、「やっぱり関西はやべえよ…」と同情される日々を過ごすのが一定の流れです。

ほとんどの時間を共に過ごすことになる外部講師は、前回、前々回はなかなか壮絶な過去を生きてきた人たちで、素人ながらに、「人より厳しい人生を歩んできた人は、いざ人に何かを教える時に言葉の重みが違う。」と感じました。
同時に小中高の学校の先生は、学校を出て学校に入ってきた人ばかりなので、そういったものが全く感じなかったことへの証明にもなりました。

その点では、今回の講師はどんな人生を歩んできた人なんだろうと思っていたのですが、やってきたのは幾度も幾度も転職を繰り返したくせに、「私は年収上がりましたけど、あなたたちは転職なんてしないほうがいいですよ〜」とほざく、武勇伝を押し付けるおっさん。それ以上でも以下でもない人でした。
人事の前で転職を煽ることができないのはわかりますけど、それなら大人しく年収下がるから転職するな、くらい言えないものでしょうか。みみっちいプライドが最高に寒かったです。

しかしその講師が放った言葉の中で
「研修には君たちの時間と、100万以上の経費がかかっている。この3日間の中でそれに見合う何かを持って帰ってほしい。」
という言葉だけ、僕は同意できると思いました

なぜなら、この研修が行われる木、金、土のうち、木、金はもちろん通常営業日。
1月の年明けから、6年目になる僕の教育係をしてくれていた先輩が異動になり、僕はもともとやっていた飛び込み営業による新規開拓と並行して、先輩がヒイヒイ言いながらやっていた仕事を全て1人で回さなければいけない状況になってしまっていました。まぁそれは色んなところから火が吹き出しつつも気合いでやっているのですが、問題はその仕事を研修中誰がやるのかということ。

こういった時は、直属の上司がフォローをしてくれるんですが、直属の上司がいなくなってしまった僕の状況では、その役割はいきなり課長になってしまったんです。毎日夜中の2、3時まで働き、週に1、2回徹夜で仕事をしている課長に、さらなる負担を強いてしまいました。さすがに罪悪感がオーバーヒート。

こんな状況に追い込んでしまっている以上、手放しでは帰れない。という思いと、上記した通り、それなりの経費がかかっている以上、何かを得て帰ってやる、という思いで、3日間を過ごしました。

そして研修も最終日。
時間は終わりも近づく17時半。毎夜行われる飲み会で前日の記憶を激しくゆすぶられつつも、研修もまとめに入り、それなりに得るものはあったかなと思っていたとき、講師があることを話し始めました。

「機会があれば、やりたいことを100個書いてほしい。自分の持っているノートでもいいし、手帳でもなんでもいい。やりたいことが変わったら書き直してもいいから、とにかく書いてみてほしい。別にそのためにあれこれ努力するとか、そんなことは一切書かなくていい。ただ書くだけ。

これがどういうことになるか。最初は『〇〇に行きたい!』等の大きな目標や夢が羅列されるかと思いますが、100個もそれはさすがに持たない。『〇〇で〇〇をしたい』っていう風に、どんどん細分化されていって、具体的になって行きます。

そして、具体的になればなるほど叶う。この方法で、僕は現在49個のことを叶えています。」

僕は「言葉にして書くことで、脳により強く印象づけるのかもしれない」と、この話に少し感心して、人一倍やりたいことはあると思っているので、これくらいならやってみようかな〜なんて考えていました。しかし、もう少しだけ続きがあるんです。

「なぜこんなにも叶うのか。僕は特別そのやりたいことを叶えるために生きたわけではありません。しかし、やりたいことを書くことによって、それを叶えるチャンスを見つけることができるんです。

これはどういうことかというと、なんの変哲も無い日常生活の中で、自分のそのやりたいことへ繋がるヒントが見えたときに気づくことができるようになるんです。

ふとした偶然のチャンスに気づき、幸運を掴み取る能力。
自分にとって意味のある何かを見つける能力。
予期せぬものから素晴らしいものを発見する能力。

これを脳科学の世界ではセレンディピティと呼びます。」

僕はそれまで書いていたまとめを無視して真っ先にその聞きなれない横文字をメモ書きしました。

今思えば、僕にはセレンディピティの能力が備わっていたのかもしれません。
デザインをやりたいとくすぶっていたとき、たまたまNOT A NAME SOLDIERSのダイさんが「デザインやってくれる人いないかな〜」といってるのを見ました。それを見逃さずにコンタクトをとって、生まれて初めて、僕のデザインした商品が金銭という対価を持って売り出されました。
今でもその経験は自分の中で大きく存在していて、自信の1つになっています。

これを聞くまで、僕は、1つのチャンスを見つけたらそこに突っ込んでいく力が強いと自分で思っていたのですが、それはそもそもチャンスを得てからの話であり、さらに前の段階である、このセレンディピティというチャンスに気づける能力によって、今まで生きて来れたのかもしれません。

この言葉との出会いは、自分にとって大きなマイルストーンになるような気がしています。
ただの偶然、といってしまえばそれでお終いですが、この話を持ち出すまで、今回の講師はまた自分のサクセスストーリーをペラペラと話していて、僕は夢うつつの中でその話を聞いていました。

それが、たまたまこの話になった瞬間に、なんとなく目が覚めたのです。

これは、「今、ここから話し始める話はお前にとって重要な話になるぞ。」と、僕のセレンディピティが教えてくれたのでは無いのでしょうか。言い換えると、この言葉との出会い自体が、僕のセレンディピティのもたらしてくれたものなのでは無いか、そんな気がしてなりません。

どこかスピリチュアルなオカルト話をしている自覚はもちろんありますし、サクセス講師のありがたい話で洗脳されているわけでもありません。自動シャットダウンで聞き流しました。
それに、似たような意味を持つ運命なんてものも信じていません。決められた、定められた道を歩いている感覚はなく、自分で選んで毎日進んでいるつもりです。なんなら、仮に運命というものがあったとして、過去に1度か2度運命を蹴っ飛ばしたという自覚があります。

そんな捻くれまくった天邪鬼の僕が、これほどまでにこんなよくわからない言葉に何かを感じています。

なぜなら、深い関わりを持つ人には話していますが、僕には、どれだけタイミングが合ったといえど、それでも「こんな偶然があるのか」ということが人生にありました。もっといえば1度や2度じゃありません。いるべき場所にいる人、様々な知識や才能がある人しかたどり着けないチャンスを、僕はなぜか得てきました。

僕はそれを、自分の持つ運と思ってきたのですが、セレンディピティによるものなのかもしれないと思ったらしっくりくるのです。

いつかこれを、僕は自分自身のデザインに反映させたいと思っています。
実はもう何年も、頭の中にずっと、とあるデザインがあるんです。

これは、いつか自分の個人の名前で出そうと思って取っているんですが、ある日とても楽しみにしていたライブを見に行って、夢中で見ていたとき、ある人のあるポーズでたまたま気づいたこと、まさにセレンディピティによって偶然生まれたデザイン。

だいたい、よっしゃこれはきた!ってデザインとか、苦労して思いついたデザインって、ネットで調べたらどっかの誰かがとっくの昔にやってたりしてしょげるんですけど、これはまだ誰もやってないんじゃないかなって思ってるんです。

願うなら、このデザインを誰かのセレンディピティで見つけてほしい。
顔も見たこともない誰かが、どこかで何かの拍子で僕のデザインに出会い、そこに偶然の幸せを感じてほしい。

そして、もっと言うなら、僕の作ったデザインをきっかけに新たな偶然の幸せを手にしてほしい。
そのデザインを身につけて出かけるとか、たまたま似ていた何かも気になったとか、合うものを見つけたとか、同じデザインを持っている人と出会ったとか、些細な偶然から幸せを見つけて、どんどん連鎖させて行ってほしい。

常々、自分のやりたいことで人を喜ばせることができるのが1番の理想だと思っていますが、自分のデザインから生まれた幸せがどんどん大きくなっていけば、その大きさに応じて僕も嬉しくなる。

たまに聞く「今日はゆうせいのやつ、着てきたよ。」の一言が、僕の背中をどれだけ押してくれているか。人前であんまり真面目なこと言うのは好きじゃないので言いませんが、本当に感謝しています。

自分のデザインで沢山の幸せを生み出す。
今すぐにできることではないし、時間もかかると思いますが、言った以上は引っ込みません。

いつか絶対に叶えてみせます。

 

 

 

「描く」ということ。

日本には、たくさんの「かく」という言葉が存在している。

いびきを「かく」胡坐を「かく」曲を「かく」

挙げだすと本当にキリがない。

その中でも自分は絵を「描く」ことが好きだ。

社会人になってからというもの、過去のことをよく振り返るようになった。それは別に過去に帰りたいというわけではなくて、過去の自分を見つめることで、自分の気持ちを再確認して、この先の未来も同じ気持ちで生きていこうとしているからだと思う。ちょっと洒落た言葉を使うのなら、原風景とかいうのだろうか。

そんな風に、最近振り返ってよく思う。僕は子供の頃から絵を描くことが好きだった。昔から、人より少しうまく絵が描けた。幼稚園で「お絵かきクラブ」に入っていた頃から、今もそれは変わらない。ただ、こんなことをネット上で書くのは情けないけれど「少し」だということは自分が1番理解していた。

それを最初に感じたのは本当に大昔、幼稚園の頃。

新幹線が大好きなよくいる子供だった僕は、たくさんの絵を描いていたけど、どうしても斜めから見たアングルの新幹線のぞみが描けなくて、大好きなおじさんに頼んだ。

おじさんは別に絵の仕事をしているわけでもないけど、とてもうまく、サラサラと僕のリクエストに答えて、新幹線を綺麗に描いてみせた。嬉しかったけど、自分にはこれは描けないと子供ながらに感じて悔しかった。そのときの絵は、20年近くの時が経ったけど、僕の頭の中に今でも鮮明に残っている。今更描いてくれなんて言えないけど、僕の記憶が正しければ、未だに僕のはあの絵を越えられていない。

幼稚園で奇跡の初挫折wを人知れず経験し、でも絵は好きで描き続けた。

なぜこんなにも絵が好きなのか。決して僕は芸術が好きなわけじゃないし、価値の真贋がわかるような目なんて持ち合わせていない。だいたい、価値があると崇めているから大衆が価値を感じているだけで、多くの人間はなんの知識もなしに有名絵画を欲しいだのみたいだの思わないんじゃないか。

もちろん、ピカソのゲルニカやドラクロワの民衆を導く女神とかには、引き込まれる何かを感じる。教科書で初めて見たときから一発で頭に刷り込まれて離れない。発想力や画力、色彩のセンス。素人目に見ても後世に残っていく絵なんだろうなと思う。

ただ、例えばゴッホのひまわり。定期的に話題として上がってはくるけれど、いい絵だという感情が湧いたことがない。ゴッホに否定的なわけではなくて、ローヌ川の星月夜とかは幻想的で大好きだ。

でも、僕はたまにあるテキ屋で世界回っているおっさんが描いて売っている絵の方がよっぽど価値を感じる。芸術だと思う。自分を良く見せるために表面的な部分だけを見て、そういった目を持った気になって芸術家ぶるやつなんてクソだ。

例えば、キングコングの西野さんは本当に綺麗な絵を描くし、長い時間努力して数々の作品を作っているんだと思う。話題になった絵本は読んだ。絵はもちろんのこと、とても素晴らしい内容で、ジーンとなったけれど、本人の思考回路が透けて見えて泣けなかった。

彼からは「作品を描きたい、作り上げたい」という思いよりも、人によく思われたい、こんなことができる人だって思われたいって感情を強く感じる。立派なことだと思うし、人の世で生きていく以上、もちろんそれは付いて回る。だけど、こういう人がいることで芸術って言葉は急に胡散臭くなる。純度が低くなる。ほとんどが彼みたいなエセ芸術家なんじゃないかと思う。だから芸術って言葉は嫌いだ。

じゃあなぜ好きなのか。それはもう「絵」が好きだから以外にない。

。。。これではなんの答えにもならないので、少し考えてみた。

⑴自分の頭の中を映し出すことができる

想像力、といってしまうのは簡単だけれど、自分の考えている頭の中の景色を写真に撮ることはできない。もちろん当たり前だけど、子供の頃の僕はそれが疑問で仕方なかった。頭の中に確実にあるのに取り出せない、どうしたらいいんだと考えたときに「絵にすればいいんだ」と考えて描くようになった。うまく何かを説明できないとき、図を書いて説明するのだって同じこと。絵は、自分の頭の中を描き出すことができるから、好き。

⑵思い通りの世界を作れる

絵の中の世界に不自由はない。一度これを描くと決めてしまえばなんでも描ける。空を飛ぶこともできるし、好きなキャラクターと並ぶこともできる。嫌いな人を奴隷にして、自分は国王になったっていい。普段は高くて買えない服だって自由に着ることができる。。。思うがままの世界を描き出していける、こんなに自由な表現方法はない。だから絵が好き。ちなみに、友達の顔とか描くときは気付いたらその描いている絵の表情になっています。

⑶自分の見ている何かを表現できる

自分の見ているこの景色は、他の人から見ても本当に同じなのか。そんなことを考えたことは誰もがあるはず。僕も常々考えていた。例えその目に映る景色を「これこれこうだから同じものを見ている」って説明したところで、相手の目の映像が入ってくるわけじゃないから、確かめる余地なんてない。だけど、自分の見ているものを絵にすれば、それは相手が本当は見れないはずの自分の目の映像を表現することになって、自分が見ている景色はこれだよ。と相手し示すことができる。今はカメラがあって、写真があるから、自分の見ている映像を簡単に人に見せることができる。でも、自分の目に入ってきているのはそんな無味乾燥なフィルムじゃ表現できないと思うことも、多々ある。「こんなもんじゃねえぞ」って。ときには、何かが霞んで見えるほど輝いて見えする。それを表現できるから、絵が好き。まぁもちろん、それすら相手の目の映像わかるわけじゃないから本当に見れているかは(以下略)

ざっと挙げてみるとこんなところになった。

いくらでも出てくるけれど、明日も早いから、ペースを上げよう。

そんなこんなで、僕は絵が好きなので、例えば小学生の頃、図画工作の授業が時間割にある日は1日そわそわしていたし、一度授業が始まれば45分の普段は長い長い授業が10分に感じた。

思い返して強く思うのは、本当にやりたいことをやっているときは、びっくりするほど時間が経つのが早いということ。相対性理論という言葉で片付けると何か味気ないけれど、小学生の図画工作の時間から僕はそれを学び、今でも何か一度デザインを始めたら止まらない。気づけば7、8時間平気で過ぎている日だってある。普段の時間の流れと同じようには思えない。

このブログを読んでくれている人にとってもそれぞれあるはずで、それは大切な人と過ごす時間かもしれないし、漫画を読んでいる時間かもしれない。

生きていれば常に時間に左右される。明日の仕事の時間に、学校の時間に左右され、アポイントの時間に左右され、休憩時間に、退勤時間に、ありとあらゆる制限を食らうことになる。何をしてたって手には腕時計、ポケットには携帯が入っていて、離れられることはない。

ただ、その中で、「あれ?気づけばこんな時間?」と思わせてくれる何かが、あなたの心を、体を、時間から解き放ってくれている。僕はそう感じている。信じている。

大げさに聞こえるかもしれないが、あなたにとってそんな存在はいくつあるだろうか。

人生は、何かを成すにはあまりに短く、何もせぬにはあまりに長い。

というよくある言葉の意味は、もちろん何かを極めて成し得るのは並大抵の時間ではできないという意味だ。しかし、何かに熱中することで、短く感じるということも同時に意味しているのかもしれない。自分が集中できる何か、自分が熱中できる何か、一瞬で時間が過ぎていくような何かを見つけることは、きっと人の幸せを大きく左右する。

特に僕にとってすぐ時間が経つのは、

絵を、デザインを描いているとき。

大切な人と過ごしているとき。

最近だと、仕事で提案の企画書を書いているとき。

そしてこうやって文章を書いているとき。

そう、実際に今こうやって書いているように、文を「書く」のも好きだ。

現に、この文章は2:10に書き始めたのだけれど、すでに時計は4時を回っている。ということは、モニターを見つめて2時間、ひたすら文章を書いているわけだ。しかし、体感時間は10分程度だ。

文章についても書きたいことが浮かんできたけれど、今日の僕の時間からに離脱はこの程度にして、これはまた次の機会に書こうと思う。

まとまりのない文章を長々と読んで下さり、ありがとうございます。