人のため

人のために何かをするっていうのは、凄く力のいること。

っていうのが、少なくとも自分の人生を自分のために生きてる僕の認識。結婚したり、子供ができたりしたら変わるのかもしれませんが。

でも、自分が何かをすることで、その人の何かが良い方に向かうのなら、なんだってやってあげたい。どれだけ労力を使ったって、そこに全力をかけたい。いつだってそう思ってます。

まぁ、僕みたいにやりたいことがどうたらこうたらと、バカみたいなこと言ってる自己中な部類の人間は、それでバランスを取ってるんじゃないでしょうか…。
そんなプラマイ0人間みたいな僕と違って、世界には本当の意味で、世のため人のために尽くす、尽くせる人たちがいます。

あまり詳しくはないですが、マザー・テレサなんてまさにそうなんじゃないでしょうか。
大きすぎる人を出してしまいましたけど、自分の周りにもそういう人たちが沢山いて、本当に尊敬できると日々感じています。本当に。

ただ、SNSとかで拡散されてくる人を見ると、そうではない人も沢山いるんですよね。
人のために何かをしようとしたものの、相手に冷たい態度を取られて、豹変してしまう人、心当たりあったりしませんか?

凄く疑問に感じるんですよね。

って言うのも、仮に誰かから助けて!と言われて、しぶしぶそこに手を差し伸べて、結果その悩みが重すぎた、、、俺じゃどうしようもできんよ、、、ってのは正直仕方ないと思うんです。

問題なのは、自分から手を差し伸べたくせにすぐ振り払おうとする人です。

まず、「助けて」って言える人って、きっとそこまで多くないと思うんです。

多くの人は直接的には言えずに、会って話すときにポロっと愚痴をこぼしたり、あるいはSNSに書いたり、遠回しに遠回しに伝えて、誰かに扉を開けてもらえるのを待ってるってのが実情だと思うんですよ。

そして、それに気づいた人や心配した人、この人の悩みなら自分が解決できると思った人が、その扉をこじ開けて、手を差し伸べる。世の中そうやって、お互い持ちつ持たれつやっているんだなと思うんです。

ただ、そうやって扉をこじ開けて手を差し伸べた人の手を、悩んでいる人たちはそうそう素直に握れたりしません。

「お前に何がわかる」
「なんの解決にもならない」

って言われたり、

完全に無視されたり、逆切れされたり、、、

悩みのスケールが大きいほど、そうそう一筋縄ではいかないと思うんです。

まぁ、一筋縄ではいかない問題だから、誰かに助けて欲しいってわけなので、当然と言えば当然です。
そこで、冒頭に書いたように豹変してしまう人。

気持ちはよくわかるんです。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「お前のためを思っていっているのに、なんでわからない」
「助けてやろうとしたのに、なんで俺がこんな目に、、、」

誰もがハッピーにまみれた思考回路をしているわけではありません。人によっては様々なことを思うでしょう。

そこで救いになるはずだった手を引っ込めて、余計関係が悪化した人たちを、きっとどこかで見かけたことがあるのではないでしょうか。

書いた通り、気持ちはよくわかるんです。
ただ、なんのために手を伸ばしたんだ。って思うんですよね。
無視することだってできたはず。

それでも、「あなたのことを助けたい」「あなたのことを助けてやれる」そんな気持ちがあったから、わざわざ閉じこもっている扉をこじ開けて手を伸ばしたんじゃないかと思うんです。

そこで思うように手を握れなくて、途中で振り払ってしまっては、それはただの自己満足。

もはや人に「優しい人」と思われたいだけで、「優しくなりたい人」「優しくあろうとする人」でしかない。

それはそれで立派なのかもしれませんが、見返りを求めた優しさに疑問を感じずにはいられません。

突然ですが、僕の名前はゆうせいといって、漢字で「優成」という字を書きます。「優しく成る」と名付けられた以上は、優しいって言葉に対して嫌でも敏感になります。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けること、見返りなんてもとめないこと。そして、なにがあっても相手を許すことです。

そもそもなんでこんなことを書いたか。またまた長くなりますが、読んでくれたら嬉しいです。

僕には、大学に入学して、出席番号が1つ後ろだったことから仲良くなった友人がいます。

彼は2浪して入ってきたんですが、家庭環境が複雑で、現役で大学に合格したものの、父親の突然の失業(同情できるようなものではない)により入学金が足りず、自分で学費を稼いで入学。

入学後も日々学費稼ぎに奔走するも、来る日も来る日も貯めた貯金を父親によってギャンブルに使いこまれ、それにもめげず、普通の4大に通いながら、リュウマチ持ちであまり働けない母親と高校生の弟の生活費を稼いでいました。

性格的には、ギターが好きで異常にうまくて、とても面白いやつ、というかぶっ飛んだやつなので、僕は仲良くしていましたが、毎日夜勤をしているせいで大学にはまともに来れませんでした。(自分で稼いだ学費なのに無駄にしてる)

なので、僕は金銭面以外で、多岐に渡って彼のサポートをしていました。まぁ、思えばただのお節介です。

ただ、自分は彼にどう接するべきか、最初の頃はとても悩みました。

というのも、彼の辛い状況を僕はわかってやれる立場じゃない。
普通の家庭で育ってきたぼくが同情なんてしたところで、「お前に何がわかる」と思われると考えたので、一貫してあっけらかんとした、家庭のことをネタにするくらいの態度で臨みました。調子に乗ってネタにしすぎましたけど。怒らない程度に。

でも、彼自身は自分から大っぴらにそういうことを話すタイプではなく、僕がいなければただただ常に顔色の悪い、素行不良の生徒と思われて終わってたと思うのですが、そのぶっ飛んだキャラと相まって、大学でも沢山の友達に恵まれるようになりました。

嫌な思いもさせてしまったかなと思うんですが、「この4年間で俺は良い友達を得た」と話していたので、それなりに何かは残せたみたいです。
ただ、こんな状況なので彼は定期的に音信不通になります。平気で1カ月くらいなんの連絡も取れなくなります。

4大なので、少々単位を落とすくらいは大丈夫なんですが、問題はゼミです。僕らみたいな文系、特に法学部系にとってはゼミが相当重要なウェイトを占めます。

なかなかパンチの効いた、かなり厳しい教授のゼミに僕たちはいたのですが、彼が休む度、彼のフォローを行うのは僕でした。

今日はなぜ休みなのか、論文は書いているのか、現在などういう状態なのか(治験で消え去る時期が多かったので)、体調はどうなのか。

まるで親です。
でも、彼からのレスポンスは99%ありません。

都合が悪いことがあると完全に閉じこもるタイプなんです。そうなるとなぜか僕が機嫌を崩したゼミの教授に怒られるという謎の悪循環が巡ってきます。

しかし、普段の授業の4年間と、ゼミに入ってからの2年間、僕は彼にどれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けました。どれだけストレスになろうと、自分が嫌な目を見ようと。

特に、卒業を間近に控えてからは本当に酷かったんです。

僕のゼミにはゼミ費を使った旅行があるのですが、最後に沖縄に行くことになりました。
しかし、彼の参加表明も聞いて申し込んだ直後、本当に連絡が途絶え、立替金の回収も行えない。そのままキャンセル代が発生する時期になっても連絡は取れない。

ただ、そこそこ楽しみにしていたので強制キャンセルはしたくない。
どうにか教授に掛け合って、キャンセルはしないで欲しいと伝えたものの、参加するのかしないのか一切わからない状態。

上記したように、都合の悪いとき、僕の連絡は一切見ないので、仲の良い先輩の携帯を借りて連絡すると返事があり、そこから連絡を取って前日の夜18時にやっと参加を表明できることに。

なんといったってトラブルメーカーなので、空港で携帯を落として、沖縄に飛ぶ直前に羽田行きの飛行機に持ち込まれてるのが判明してダッシュで取りに行ったり、、、ほんと話し出すと尽きないんですが、ひとまずは無事に旅行を終えました。
そして問題になっていた立替金は、ひとまずはゼミの教授が一旦払ってくれて、事なきを得ました。

と思ったのですが、ここからが本当に大変でした。

なんと、沖縄から帰ってきた日を境に、一切連絡が取れなくなります。そのまま僕は卒業してしまいました。

ありとあらゆる手段を使って連絡を試みても、全てをシャットダウンし、結局なんの返事ももらえませんでした。

「俺は4年間で良い友達を沢山得た」と言ったとき、まさかなと思ったのですが、彼はそのまま一切姿を現さず、退学しました。

自分の中で、「友達を作るための大学生活だった」と解釈して辞めてしまったんです。

正確にいうと、辞めたのかもわかりません。内定ももらっていて、まだ学校に来ていた頃、単位が危ういこと先方に告げると「まず1年くらいバイトで入ってくれてから卒業すればいい」と言ってもらったことだけは聞いていたので、休学の可能性もあります。が、卒業していないことは確かです。

そして、残ったもの。

それはゼミの教授への借金。
2泊3日の沖縄旅行代、わずか数万円ですが、僕たちの教授は結構癖がある法学の博士。
教授は、僕たちと過ごした、たったの2,3年間でポコポコと裁判を起こして、その都度勝ってきた人です。

簡単な裁判にも、どこからか連れてきたその道のスペシャリストの弁護士を用意して相手を叩き潰す人なんです。

ただ、東北の復興支援に協力してくれたり、僕の性格はよくわかってくれている人でしたが。要するに攻撃性が強いんです。

これは必ずこじれるなと思っていた矢先、案の定、教授から僕に連絡があり、彼の足取りをつかめるかということで連絡をもらいました。

既に上記した彼の話していた内定先へ何度も電話をかけ、彼の所在を問い詰めたところ「そんな人はいない!!」とキレられたそう。
そして、既に少額訴訟の準備を始めていることを伝えられました。

教え子を裁判にかけるって発想はそうそう出てくるものではないと思いますが、「それが私にできる最後の教育です」と引っ込む様子は微塵もありません。

やると言ったら脅しではなく本当にやってしまうタイプの人なんです。

さあどうするかな、、、と思ったとき、最終手段を思い出しました。
彼は誰にも教えていないんですが、ツイッターをやっていたんです。しかも結構な廃人。
件の旅行中、沖縄にいたときに彼がツイッターをやっているのを見て、

「音信不通のときに何かのチャンスになるかもしれないな、、、」

と感じた僕は、こっそりとIDを盗み見てメモり、怪しまれないように彼の趣味に合わせたアカウントを作って、フォローしていたのを思い出しました。

4年間を過ごしたからこそ僕の中の何かのセンサーがこれを見逃すなと反応したんでしょう。

そして、そのアカウントを覗くとやはりつぶやいていたので、「ツイッターしてる暇あるなら連絡ください。教授が何をしようとしているか、君なら薄々気づいてるでしょう。訴えられるよ。」とメールしたところ、アカウントに鍵がかかりました。

彼は普通に覗いていると思ったんでしょう。既にフォローしているのであまり意味はないんですが、、、その後もつぶやきは続けていました。

そこで、僕はもう見れなくなったという体裁で、その後は彼に連絡は取らず、たまにつぶやきを掘り返し、尻尾を出すのを待つことにしました。

しばらくすると、やはり4月に退学してからどこかで働いているようで、新生活ということもあって職場に関してのつぶやきをちょこちょこと書くようになり、最寄駅・職種・時間帯の情報をつかんだ上で、ついには職場を突き止めることに成功。

僕はそれを教授に伝えました。

そこからは、教授の突撃が始まり、ようやく本人と直接話せたということで、立替金の回収が成功し、ついにひと段落しました。

2月に沖縄に行ったのに、解決したのはもう7,8月くらいだったと思います

度々教授からの連絡が来て、僕が問い詰められるたびに、正直「なんであいつのせいで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ、、、」と思いました。

彼はもちろんのこと、僕だって新生活が始まったところで、毎日仕事に明け暮れても、悪い方に悪い方に物事が進んで、空回りばっかりしている時期でした。

それでも、4年間を共に過ごした友達が裁判にかけられる姿なんて見たくない。僕が行動することで、手を回すことでその最悪のパターンは変えられるかもしれない。その一心であの手この手で、もはやストーカーのような真似までしてしまいましたが、、、僕がいなかったら彼は今頃被告人です。

そう考えると、非常に無理をした結果になりましたが、良い結末にもっていけたと思っていて、間違ってなかったと感じています。

ここに書いた僕のパターンは、少し変わった例になるかもしれませんが、世の中にはあなたが手を伸ばすことで、あなたの貴重な時間や労力を犠牲にして誰かのために使うことで、その人の人生を良い方向に変えられることもできるんじゃないでしょうか。

そんなことを伝えたくて、ここまで長々と書いてみました。

まぁ、多くの人は僕なんかより人のために生きてるかと思いますので、な〜にを偉そうなこと言ってんだと自分でも思いますが…。

でも、そもそもこのブログを書こうと思ったきっかけは別にあるんです。

実は、件の彼に、この前久しぶりに連絡を取ってみたんです。

1年ぶりになる僕からのまともな連絡は
「生きてんのか?飯でも行こう」

同じく1年ぶりになる彼の返事は
「よお、3月入ったらまあまあ予定開けれるで」

ただただそれだけやり取りでした。

ってことで、久しぶりに会って、たっぷり話してこようと思います。

最後に、さっき書いたことをもう一度書きます。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、どれだけ握ってもらえなかろうと、手を伸ばし続けること。見返りなんてもとめないこと。

そして、相手を許すことなんです。

でも、飯は全て奢ってもらうつもりです。

セレンディピティ

という言葉を、この土曜日に知りました。

この言葉とは今後とも向き合っていく予感がするので、この言葉と出会った経緯と、自分の気持ち。そして、最後にこの言葉の持つ意味について書き記しておこうと思います。
時間に少し余裕があれば、お付き合いください。

先週はまず、木、金、土と会社の2泊3日の研修でした。
僕の入った会社は実務的な研修はほとんどなく、「揉まれて慣れろ」の精神なのですが、社長や役員クラスの方の講義が少しと、大部分を研修会社の外部講師が務める研修がよくあり、4月、7月、2月と、今回で3回目です。

2泊3日と書いた通り、関西や中部を中心に、毎度色んなところで行われます。
休憩時間がほとんどない中、長時間の座学と、いわゆる前時代的なパンチの効いた飲み会が行われるため、体力と精神をゴリゴリと削られるほか、普段会えない各地方の同期に会い、「やっぱり関西はやべえよ…」と同情される日々を過ごすのが一定の流れです。

ほとんどの時間を共に過ごすことになる外部講師は、前回、前々回はなかなか壮絶な過去を生きてきた人たちで、素人ながらに、「人より厳しい人生を歩んできた人は、いざ人に何かを教える時に言葉の重みが違う。」と感じました。
同時に小中高の学校の先生は、学校を出て学校に入ってきた人ばかりなので、そういったものが全く感じなかったことへの証明にもなりました。

その点では、今回の講師はどんな人生を歩んできた人なんだろうと思っていたのですが、やってきたのは幾度も幾度も転職を繰り返したくせに、「私は年収上がりましたけど、あなたたちは転職なんてしないほうがいいですよ〜」とほざく、武勇伝を押し付けるおっさん。それ以上でも以下でもない人でした。
人事の前で転職を煽ることができないのはわかりますけど、それなら大人しく年収下がるから転職するな、くらい言えないものでしょうか。みみっちいプライドが最高に寒かったです。

しかしその講師が放った言葉の中で
「研修には君たちの時間と、100万以上の経費がかかっている。この3日間の中でそれに見合う何かを持って帰ってほしい。」
という言葉だけ、僕は同意できると思いました

なぜなら、この研修が行われる木、金、土のうち、木、金はもちろん通常営業日。
1月の年明けから、6年目になる僕の教育係をしてくれていた先輩が異動になり、僕はもともとやっていた飛び込み営業による新規開拓と並行して、先輩がヒイヒイ言いながらやっていた仕事を全て1人で回さなければいけない状況になってしまっていました。まぁそれは色んなところから火が吹き出しつつも気合いでやっているのですが、問題はその仕事を研修中誰がやるのかということ。

こういった時は、直属の上司がフォローをしてくれるんですが、直属の上司がいなくなってしまった僕の状況では、その役割はいきなり課長になってしまったんです。毎日夜中の2、3時まで働き、週に1、2回徹夜で仕事をしている課長に、さらなる負担を強いてしまいました。さすがに罪悪感がオーバーヒート。

こんな状況に追い込んでしまっている以上、手放しでは帰れない。という思いと、上記した通り、それなりの経費がかかっている以上、何かを得て帰ってやる、という思いで、3日間を過ごしました。

そして研修も最終日。
時間は終わりも近づく17時半。毎夜行われる飲み会で前日の記憶を激しくゆすぶられつつも、研修もまとめに入り、それなりに得るものはあったかなと思っていたとき、講師があることを話し始めました。

「機会があれば、やりたいことを100個書いてほしい。自分の持っているノートでもいいし、手帳でもなんでもいい。やりたいことが変わったら書き直してもいいから、とにかく書いてみてほしい。別にそのためにあれこれ努力するとか、そんなことは一切書かなくていい。ただ書くだけ。

これがどういうことになるか。最初は『〇〇に行きたい!』等の大きな目標や夢が羅列されるかと思いますが、100個もそれはさすがに持たない。『〇〇で〇〇をしたい』っていう風に、どんどん細分化されていって、具体的になって行きます。

そして、具体的になればなるほど叶う。この方法で、僕は現在49個のことを叶えています。」

僕は「言葉にして書くことで、脳により強く印象づけるのかもしれない」と、この話に少し感心して、人一倍やりたいことはあると思っているので、これくらいならやってみようかな〜なんて考えていました。しかし、もう少しだけ続きがあるんです。

「なぜこんなにも叶うのか。僕は特別そのやりたいことを叶えるために生きたわけではありません。しかし、やりたいことを書くことによって、それを叶えるチャンスを見つけることができるんです。

これはどういうことかというと、なんの変哲も無い日常生活の中で、自分のそのやりたいことへ繋がるヒントが見えたときに気づくことができるようになるんです。

ふとした偶然のチャンスに気づき、幸運を掴み取る能力。
自分にとって意味のある何かを見つける能力。
予期せぬものから素晴らしいものを発見する能力。

これを脳科学の世界ではセレンディピティと呼びます。」

僕はそれまで書いていたまとめを無視して真っ先にその聞きなれない横文字をメモ書きしました。

今思えば、僕にはセレンディピティの能力が備わっていたのかもしれません。
デザインをやりたいとくすぶっていたとき、たまたまNOT A NAME SOLDIERSのダイさんが「デザインやってくれる人いないかな〜」といってるのを見ました。それを見逃さずにコンタクトをとって、生まれて初めて、僕のデザインした商品が金銭という対価を持って売り出されました。
今でもその経験は自分の中で大きく存在していて、自信の1つになっています。

これを聞くまで、僕は、1つのチャンスを見つけたらそこに突っ込んでいく力が強いと自分で思っていたのですが、それはそもそもチャンスを得てからの話であり、さらに前の段階である、このセレンディピティというチャンスに気づける能力によって、今まで生きて来れたのかもしれません。

この言葉との出会いは、自分にとって大きなマイルストーンになるような気がしています。
ただの偶然、といってしまえばそれでお終いですが、この話を持ち出すまで、今回の講師はまた自分のサクセスストーリーをペラペラと話していて、僕は夢うつつの中でその話を聞いていました。

それが、たまたまこの話になった瞬間に、なんとなく目が覚めたのです。

これは、「今、ここから話し始める話はお前にとって重要な話になるぞ。」と、僕のセレンディピティが教えてくれたのでは無いのでしょうか。言い換えると、この言葉との出会い自体が、僕のセレンディピティのもたらしてくれたものなのでは無いか、そんな気がしてなりません。

どこかスピリチュアルなオカルト話をしている自覚はもちろんありますし、サクセス講師のありがたい話で洗脳されているわけでもありません。自動シャットダウンで聞き流しました。
それに、似たような意味を持つ運命なんてものも信じていません。決められた、定められた道を歩いている感覚はなく、自分で選んで毎日進んでいるつもりです。なんなら、仮に運命というものがあったとして、過去に1度か2度運命を蹴っ飛ばしたという自覚があります。

そんな捻くれまくった天邪鬼の僕が、これほどまでにこんなよくわからない言葉に何かを感じています。

なぜなら、深い関わりを持つ人には話していますが、僕には、どれだけタイミングが合ったといえど、それでも「こんな偶然があるのか」ということが人生にありました。もっといえば1度や2度じゃありません。いるべき場所にいる人、様々な知識や才能がある人しかたどり着けないチャンスを、僕はなぜか得てきました。

僕はそれを、自分の持つ運と思ってきたのですが、セレンディピティによるものなのかもしれないと思ったらしっくりくるのです。

いつかこれを、僕は自分自身のデザインに反映させたいと思っています。
実はもう何年も、頭の中にずっと、とあるデザインがあるんです。

これは、いつか自分の個人の名前で出そうと思って取っているんですが、ある日とても楽しみにしていたライブを見に行って、夢中で見ていたとき、ある人のあるポーズでたまたま気づいたこと、まさにセレンディピティによって偶然生まれたデザイン。

だいたい、よっしゃこれはきた!ってデザインとか、苦労して思いついたデザインって、ネットで調べたらどっかの誰かがとっくの昔にやってたりしてしょげるんですけど、これはまだ誰もやってないんじゃないかなって思ってるんです。

願うなら、このデザインを誰かのセレンディピティで見つけてほしい。
顔も見たこともない誰かが、どこかで何かの拍子で僕のデザインに出会い、そこに偶然の幸せを感じてほしい。

そして、もっと言うなら、僕の作ったデザインをきっかけに新たな偶然の幸せを手にしてほしい。
そのデザインを身につけて出かけるとか、たまたま似ていた何かも気になったとか、合うものを見つけたとか、同じデザインを持っている人と出会ったとか、些細な偶然から幸せを見つけて、どんどん連鎖させて行ってほしい。

常々、自分のやりたいことで人を喜ばせることができるのが1番の理想だと思っていますが、自分のデザインから生まれた幸せがどんどん大きくなっていけば、その大きさに応じて僕も嬉しくなる。

たまに聞く「今日はゆうせいのやつ、着てきたよ。」の一言が、僕の背中をどれだけ押してくれているか。人前であんまり真面目なこと言うのは好きじゃないので言いませんが、本当に感謝しています。

自分のデザインで沢山の幸せを生み出す。
今すぐにできることではないし、時間もかかると思いますが、言った以上は引っ込みません。

いつか絶対に叶えてみせます。

 

 

 

「描く」ということ。

日本には、たくさんの「かく」という言葉が存在している。

いびきを「かく」胡坐を「かく」曲を「かく」

挙げだすと本当にキリがない。

その中でも自分は絵を「描く」ことが好きだ。

社会人になってからというもの、過去のことをよく振り返るようになった。それは別に過去に帰りたいというわけではなくて、過去の自分を見つめることで、自分の気持ちを再確認して、この先の未来も同じ気持ちで生きていこうとしているからだと思う。ちょっと洒落た言葉を使うのなら、原風景とかいうのだろうか。

そんな風に、最近振り返ってよく思う。僕は子供の頃から絵を描くことが好きだった。昔から、人より少しうまく絵が描けた。幼稚園で「お絵かきクラブ」に入っていた頃から、今もそれは変わらない。ただ、こんなことをネット上で書くのは情けないけれど「少し」だということは自分が1番理解していた。

それを最初に感じたのは本当に大昔、幼稚園の頃。

新幹線が大好きなよくいる子供だった僕は、たくさんの絵を描いていたけど、どうしても斜めから見たアングルの新幹線のぞみが描けなくて、大好きなおじさんに頼んだ。

おじさんは別に絵の仕事をしているわけでもないけど、とてもうまく、サラサラと僕のリクエストに答えて、新幹線を綺麗に描いてみせた。嬉しかったけど、自分にはこれは描けないと子供ながらに感じて悔しかった。そのときの絵は、20年近くの時が経ったけど、僕の頭の中に今でも鮮明に残っている。今更描いてくれなんて言えないけど、僕の記憶が正しければ、未だに僕のはあの絵を越えられていない。

幼稚園で奇跡の初挫折wを人知れず経験し、でも絵は好きで描き続けた。

なぜこんなにも絵が好きなのか。決して僕は芸術が好きなわけじゃないし、価値の真贋がわかるような目なんて持ち合わせていない。だいたい、価値があると崇めているから大衆が価値を感じているだけで、多くの人間はなんの知識もなしに有名絵画を欲しいだのみたいだの思わないんじゃないか。

もちろん、ピカソのゲルニカやドラクロワの民衆を導く女神とかには、引き込まれる何かを感じる。教科書で初めて見たときから一発で頭に刷り込まれて離れない。発想力や画力、色彩のセンス。素人目に見ても後世に残っていく絵なんだろうなと思う。

ただ、例えばゴッホのひまわり。定期的に話題として上がってはくるけれど、いい絵だという感情が湧いたことがない。ゴッホに否定的なわけではなくて、ローヌ川の星月夜とかは幻想的で大好きだ。

でも、僕はたまにあるテキ屋で世界回っているおっさんが描いて売っている絵の方がよっぽど価値を感じる。芸術だと思う。自分を良く見せるために表面的な部分だけを見て、そういった目を持った気になって芸術家ぶるやつなんてクソだ。

例えば、キングコングの西野さんは本当に綺麗な絵を描くし、長い時間努力して数々の作品を作っているんだと思う。話題になった絵本は読んだ。絵はもちろんのこと、とても素晴らしい内容で、ジーンとなったけれど、本人の思考回路が透けて見えて泣けなかった。

彼からは「作品を描きたい、作り上げたい」という思いよりも、人によく思われたい、こんなことができる人だって思われたいって感情を強く感じる。立派なことだと思うし、人の世で生きていく以上、もちろんそれは付いて回る。だけど、こういう人がいることで芸術って言葉は急に胡散臭くなる。純度が低くなる。ほとんどが彼みたいなエセ芸術家なんじゃないかと思う。だから芸術って言葉は嫌いだ。

じゃあなぜ好きなのか。それはもう「絵」が好きだから以外にない。

。。。これではなんの答えにもならないので、少し考えてみた。

⑴自分の頭の中を映し出すことができる

想像力、といってしまうのは簡単だけれど、自分の考えている頭の中の景色を写真に撮ることはできない。もちろん当たり前だけど、子供の頃の僕はそれが疑問で仕方なかった。頭の中に確実にあるのに取り出せない、どうしたらいいんだと考えたときに「絵にすればいいんだ」と考えて描くようになった。うまく何かを説明できないとき、図を書いて説明するのだって同じこと。絵は、自分の頭の中を描き出すことができるから、好き。

⑵思い通りの世界を作れる

絵の中の世界に不自由はない。一度これを描くと決めてしまえばなんでも描ける。空を飛ぶこともできるし、好きなキャラクターと並ぶこともできる。嫌いな人を奴隷にして、自分は国王になったっていい。普段は高くて買えない服だって自由に着ることができる。。。思うがままの世界を描き出していける、こんなに自由な表現方法はない。だから絵が好き。ちなみに、友達の顔とか描くときは気付いたらその描いている絵の表情になっています。

⑶自分の見ている何かを表現できる

自分の見ているこの景色は、他の人から見ても本当に同じなのか。そんなことを考えたことは誰もがあるはず。僕も常々考えていた。例えその目に映る景色を「これこれこうだから同じものを見ている」って説明したところで、相手の目の映像が入ってくるわけじゃないから、確かめる余地なんてない。だけど、自分の見ているものを絵にすれば、それは相手が本当は見れないはずの自分の目の映像を表現することになって、自分が見ている景色はこれだよ。と相手し示すことができる。今はカメラがあって、写真があるから、自分の見ている映像を簡単に人に見せることができる。でも、自分の目に入ってきているのはそんな無味乾燥なフィルムじゃ表現できないと思うことも、多々ある。「こんなもんじゃねえぞ」って。ときには、何かが霞んで見えるほど輝いて見えする。それを表現できるから、絵が好き。まぁもちろん、それすら相手の目の映像わかるわけじゃないから本当に見れているかは(以下略)

ざっと挙げてみるとこんなところになった。

いくらでも出てくるけれど、明日も早いから、ペースを上げよう。

そんなこんなで、僕は絵が好きなので、例えば小学生の頃、図画工作の授業が時間割にある日は1日そわそわしていたし、一度授業が始まれば45分の普段は長い長い授業が10分に感じた。

思い返して強く思うのは、本当にやりたいことをやっているときは、びっくりするほど時間が経つのが早いということ。相対性理論という言葉で片付けると何か味気ないけれど、小学生の図画工作の時間から僕はそれを学び、今でも何か一度デザインを始めたら止まらない。気づけば7、8時間平気で過ぎている日だってある。普段の時間の流れと同じようには思えない。

このブログを読んでくれている人にとってもそれぞれあるはずで、それは大切な人と過ごす時間かもしれないし、漫画を読んでいる時間かもしれない。

生きていれば常に時間に左右される。明日の仕事の時間に、学校の時間に左右され、アポイントの時間に左右され、休憩時間に、退勤時間に、ありとあらゆる制限を食らうことになる。何をしてたって手には腕時計、ポケットには携帯が入っていて、離れられることはない。

ただ、その中で、「あれ?気づけばこんな時間?」と思わせてくれる何かが、あなたの心を、体を、時間から解き放ってくれている。僕はそう感じている。信じている。

大げさに聞こえるかもしれないが、あなたにとってそんな存在はいくつあるだろうか。

人生は、何かを成すにはあまりに短く、何もせぬにはあまりに長い。

というよくある言葉の意味は、もちろん何かを極めて成し得るのは並大抵の時間ではできないという意味だ。しかし、何かに熱中することで、短く感じるということも同時に意味しているのかもしれない。自分が集中できる何か、自分が熱中できる何か、一瞬で時間が過ぎていくような何かを見つけることは、きっと人の幸せを大きく左右する。

特に僕にとってすぐ時間が経つのは、

絵を、デザインを描いているとき。

大切な人と過ごしているとき。

最近だと、仕事で提案の企画書を書いているとき。

そしてこうやって文章を書いているとき。

そう、実際に今こうやって書いているように、文を「書く」のも好きだ。

現に、この文章は2:10に書き始めたのだけれど、すでに時計は4時を回っている。ということは、モニターを見つめて2時間、ひたすら文章を書いているわけだ。しかし、体感時間は10分程度だ。

文章についても書きたいことが浮かんできたけれど、今日の僕の時間からに離脱はこの程度にして、これはまた次の機会に書こうと思う。

まとまりのない文章を長々と読んで下さり、ありがとうございます。

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熊本復興支援の報告

ご無沙汰してます。ユウセイです。
時間は経ってしまいましたが、今日は8月の末に行ったFIGHT BACKによる熊本での復興支援イベント、「PEACE OF MIND」について書こうと思います。

こういうとき、僕はFIGHT BACKのデザイナーという立場で、どういう視点から書けばいいかわからなくて、(そのまま書いたらリーダーと同じことを書くことになるので…)長々と時間がたってしまうのが常なのですが、僕の主観的なところから、少しずつ書いていければと思います。
4/14に余震、4/16に本震が起きた熊本地震。

僕は新入社員として、今の会社に入社直後で、「なぜこのタイミング」というのが正直な気持ちでした。

東日本大震災が起きたときは、以前のブログにも書きましたが、高校生で金銭的余裕がなくて、今回は時間的な余裕がない。

同期には熊本県阿蘇市出身の子がいて、状況を教えてもらいながら、行ける日を待っていました。

そんなときに、FIGHT BACKのリーダーのソウタさんから連絡があり「熊本へ行こうと思う。」と話をもらいました。

FIGHT BACKというチームとしてではなく、個人的に行こうと思っていた僕にとってはありがたい申し入れで、決めた日付は夏の終わり、8/27,28。

27日に阿蘇でイベントを企画して、28日に色んなところを見て回ろうとザックリと計画を決めた僕たちは準備を始めました。

リーダーが今回はSAVE THE HIROSHIMAを始めとする団体と連絡を取り、共同でイベントを企画。熊本に住む地域の子どもたちや親御さんたちを対象にして、つけた名前が「PEACE OF MIND」。

大きいことはできないけれど、元気を与えたい、精神的な面での支援をしたいという気持ちからつけた名前です。

行った支援は大きく2つ。

・Tシャツプリントワークショップ

東北でも行った企画で、支援金を使って無地のTシャツ(今回は幡ヶ谷再生大学から、水害にあった工場から引き取ったリユースTシャツを購入しました)を購入。

子どもたちや親御さんたちに、僕らが用意したデザインの中から、好きなデザインを選んでもらってそのTシャツにプリント。

しっかりと乾かして乾燥したら、そのTシャツをプレゼントするという企画です。
・けん玉のプロと一緒にけん玉体験

オリジナルのけん玉をプレゼントし、SAVE THE HIROSHIMAの方に招致してもらったプロのけん玉アーティストの方にけん玉を教えてもらうという贅沢な体験。

子どもたちの間では想像を絶するレベルでけん玉が流行っており、とても驚かされました…。

あとはお菓子の詰め合わせをプレゼントしたり、大阪で活動するプロペラ団の方がたこ焼きを作ってくれたりと、きっと1番重要な「住」は僕らではどうすることもできませんが、「衣・食」の面では、少しだけお役に立つことができたんじゃないかと思っています。
それでは、実際の当日の動きをレポート形式(初)で追いたいと思います。未だかつて、4ヶ月前の出来事をレポートとして追うことがあったでしょうか(反語)

ただ、忘れる記憶でもないので、やってみようと思います。

8/27 AM9:00 熊本入り


FIGHT BACKチーム到着、天気は晴れ。

既に地震から4ヶ月が経っているのに、屋根にブルーシートを掛けている家が沢山あることを実感しました。

AM9:30


熊本空港の中は立ち入り禁止区域があり、左右で分断されています。現在も工事を行っていて、復旧は年明け1月。

AM10:00〜PM12:00 阿蘇へ


腹ごしらえをしつつ、雄大な峰々を通り過ぎて阿蘇へと向かいます。

橋の陥落の影響でかなり大回りをしなければなりませんが、関西では見たことのないような景色の数々が僕たちを出迎えてくれました。

PM13:00 会場である「コットンクラブ」に到着


既に子ども達が集まってくれていて、早速準備開始!ヤギがいる素敵な素敵なペンションです。
PM13:30〜PM18:00 PEACE OF MIND開催 


Tシャツプリントワークショップ


炎天下の下でプリントの乾燥を待つTシャツたち。この後ろは崖になっていて、地震の後連日続いた雨により土砂崩れが起きてしまったそうです。


今回持ってきていたデザインは上の4種類。

その中でも上の2つはありがたいことにとても人気で、スクリーンが削れてしまい、急遽別デザインを投入するなど、嬉しい誤算もありました。

仕事終わりに必死で描いた甲斐があった…。



子どもたちはもちろん、お父さんお母さんにも大好評だったプリントワークショップ。

良いところを見せてやるぞ!と挑んだお父さんのプリントがズレちゃったり、よくわからないままやってみたお子さんがうまくできてたり、そんな出来事も詰め込んだ、形に残る思い出として持って帰ってくれたように思います。

けん玉体験

思ったより自分が必死でやっていたため、明らかに写真が減っていますが、SAVE THE HIROSHIMAの皆様の呼びかけで、広島を中心に多くのけん玉プレイヤーが集まってくださり、様々な技を見せてくれました。

用意したけん玉も大人気の中でなくなり、子どもたちは炎天下の下、みんな熱中していました。


僕が子どもの頃はけん玉も触れ合うことはあまりなく、ほとんどの子どもたちより低レベルだったため、逆に教えてもらうという情けない有様でした。

PM18:00〜 お開き


楽しい時間が過ぎるのは早く、すぐにお開きの時間。

残っていた子どもたちにお菓子の詰め合わせをプレゼントして、みんなで花火をしました。

熊本の人たちに、一夏の思い出を作ることができたのかな…と考えていると、子どもたちから

「今年はもうやらないの?」

「また絶対やってね!」

と言ってもらえたり、

親御さんからは

「この子たちがこんなに笑ってるの久しぶりに見ることができました」

と言ってもらえたり。

自分たちのやりたいこと、自分たちだからやれることをやって、こんな言葉をもらえる。

いつだって思いますが、これほど嬉しいことはありません。

何度か過去にも書きましたが、僕たちは大きなチームではありません。時間と人手が必要な土木作業はできないし、次の週から来る台風に備えて、ブルーシートを張るために屋根に登っていたたくさんの家庭の力になることもできない。

本当に、できることは限られています。

「無理をし過ぎるもんじゃない」とは思いつつも、それを負い目に感じながらこの日を準備して待ちました。

そんなことを話していたとき、復興支援の最前線で旗を振っているジャパンホープの服部さんがくれた一言。

「こっちに来たら、できることは何かあるんだよ。」

たくさんの人々を導いてきた人だからこそ言える、色んな経験が詰まった言葉だと思いました。

これからも、自分たちのやり方でできる「何か」を探していこうと思います。

来年は東北へ足を運びますので、よろしくお願いします。

楽しみすぎてマイナースレット状態におちいるノブちゃん(けん玉プレイヤー)

僕は気を張り過ぎていたのか、終わってから頭痛が止まりませんでした(猛爆)


8/28 熊本散策

一夜明けて、熊本近辺を見て回ることに。

町中にダメージは残されていて、初めて震度7が2回記録されたという、熊本地震の威力を物語っていました。



ただ、町の人たちは本当に元気にされていて、逆に僕達が元気付けられることに。


本当は、色んな人に熊本に興味を持って行ってもらえればと思っていて、観光地みたいなところをピックアップしていたのですが、あいにくの悪天候と迂回に次ぐ迂回が必要になり向かうことができず、今回はこの江津湖だけに。

綺麗な湖畔の広がる、家族づれにも人気のスポットでした。


熊本の特徴として、兎にも角にもごはんがうまい。名物のあか牛はお値段は控えめなのに最高級の味がするし、圧倒的な雄大さを持つ牧場で育った乳牛の飲むヨーグルトは絶品。

ちなみに、前日はあか牛ハンバーガーとあか牛サンドイッチ(どちらも超ボリューミー)を食べて、お腹が崩壊しました。

ワンニャンハウス


腹ごしらえのあとは、益城町で被災した犬猫を、総合体育館の仮設にて保護しているワンニャンハウスさんへ物資を届けました。

現在は避難所の閉鎖とともに終了されましたが、元々専門のペットを取り扱う方達がボランティアで犬猫のケアに当たっていて、この人たちがいなければ、悲しい結末が最も増えていたことかと思います。少しでも力になれていたならこんなに嬉しいことはありません。本当にお疲れ様でした。

オープンセサミ


「余生馬牧場」と銘打たれたオープンセサミでは、色んな馬たちが静かに余生を送っています。

走ること、勝つことが目的で生まれてくる競走馬は、多くが殺処分の対象となり、天寿を全うできる馬はわずか1%。

そんな馬を救いたいという気持ちから始めた牧場には、人からの虐待を受けた馬も自然と集まるようになったとのこと。

そんな矢先に被災。スタッフ不足、資金不足に陥りながらも、代表の百瀬さんがほとんど全ての運営を行っているそうです。


知識のない人間による世話によって、足が曲がったまま成長してしまったユウマくん。ゆっくりゆっくり歩いて、人懐っこく甘えてきてくれます。

本来、馬は背後に立たれることを嫌い、時には警戒して人を蹴り殺してしまうこともあるそう。

しかし、ここの馬たちは元競走馬なのに、一切そんなことはなく、関わる上での注意事項も「特にない」とのこと。その理由は「ノンストレスだから」だそうで、人に動かされることなく、自由に過ごしている馬は人を襲ったりしないそうです。

古来から、その優れた運動能力と頭脳の良さを理由に、人のために生きて、人のために死んでいく馬。

たまにそんなことを考えて、変にセンチメンタルになってしまう事もあるのですが、こういう人たちが悪循環を止めているんだと思うことで、前向きに考えることもできました。

オープンセサミさんには、ニンジンなどの馬の餌などの支援物資をお届けしました。

益城町


被害が色濃く残る町、益城町。

報道で何度もその名前を見たこの町は、被害も甚大でした。4ヶ月経った時点でも、この状態。

土木作業をする方の人員も足りず、瓦礫すら片付いていない状態でした。

真っ先に復興を進めるはずの空港が、1月復旧予定だったことから、想像はしていたんですが、あまりに厳しい現実を改めて突きつけられるようでした。

これからも、沢山行けるわけではありませんが、何度も何度も時間をかけて通って、復興していく様をこのブログに書いて報告していければと思います。

最後に

今年は復興支援として、東北に向かうことができませんでした。

しかし、個人的なイベントで宮古に行くことはできて、道中でいつもお世話になっている、大船渡に住む夢ママには会いに行けました。

今回はISCREAM 7 SHOWERSをギターでサポートしてくれていた、CROW DRAGON TEAの玉ちゃんと一緒に。

FIGHT BACKに協力してくれているI7Sは、今は活動を休止していますが、いつか東北にライブをしに行こうと話していて、きっとそれは、いつの日か叶うと思います。

しかし、一緒になって協力してくれていた玉ちゃんはサポートを辞めてしまい、自分のバンドの状況を鑑みても、東北へ足を運んでもらうのは難しいことになると思っていたんです。

ただ、玉ちゃんにも、どうしても東北に来て欲しかったのと、どうしてもあの日協力してくれた夢ママに会わせたい気持ちがありました。

そんなとき舞い込んできたチャンス、「ハイ・スタンダードが宮古でライブ」。

行けるようになったのは直近でしたが、僕は1番に玉ちゃんを誘いました。

本人には前日まで伝えず、こっそりと水面下で手配をして、I7Sとのイベントから2年が経ってしまいましたが、なんとか2人を会わせることができました。
大船渡にて。夢ママと玉ちゃんと。

来年はISCREAM 7 SHOWERSの支援金を使って、また新たなイベントを東北で行うつもりでいます。

ちょこちょことSNSを更新しますので、また気が向いたら目を通していただけたら幸いです。

P.S.

Team Kさんのご厚意で、AIR JAM2016に僕たちFIGHT BACKのチラシを置いてもらいました。

手描きで描き上げた思い入れのあるチラシなので、少し文字が小さいですが、よかったらお目通しください。

自らチラシを置いて下さると提案していただいたTeam Kの石原代表と。
今年も、皆様のおかげで色々な支援を行うことができました。

長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!

就職して。

こうやってブログを書くのも久しぶり。

「金と時間が無いは言い訳」とどこかで聞いたけれど、本当にないから仕方ない。
思うこと、感じたことを文にしようとしたことは何度もあって、こうやって書き始めるものの、帰ってくる時間も遅いから書き始めが遅くて、次の日の仕事が迫ってきて、モヤモヤしながら眠りにつく。

休みの日は休みの日でひたすら遊んでるかマジでぐったりしてるか、ほんと0か100のどちらかで、久しぶりの更新になってしまいました。
今日はとにかく、今の自分の気持ちを書き留めておこうと思います。

愚痴っぽくなるかもしれませんが、理由は1つだけ。初心忘れるべからずと言いますか、自分が思う納得できないところ、仕事の中で持った疑問と今の気持ちをしっかり書き留めて、それが当たり前となってしまわないように。
仕方ないにせよ、やるしかないにせよ。その疑問だけは持ち続けられるように。その思いのみです。

最近は、ひたすら働いてます。
自分でこんな感じのこと言うなんてダサいと思ってましたが、客観的に見てもそれなりに頑張ってるだろうと大真面目に思うんです。

「疲れたー」って、つい言っちゃいますけど、できるだけ「頑張ったーー」って思うようにしてます。その方が精神衛生上良いのかな〜と。

なんたって、パワハラなんかないので死にはしませんが、勤務時間的には電通の亡くなった子なんて目じゃないくらい働いてます。
金曜ももちろん朝から働いて、事務所の鍵を閉めて、終電で帰ってきました。まぁ会社に2〜3泊くらいする人もいるので、帰れるだけマシです
そんな僕の職業は、デザイン制作・印刷会社の営業マン。

別に俺んとこやべ〜みたいな可哀想自慢をしたいわけじゃなくて、広告業界ってのはどこもやっぱりこういうものなんです。雇われである以上、働かせてもらってるだけで感謝って気持ちは持つようにしてます。

そこに別に不満はないし(そりゃ帰れるものなら早よ帰りたいけど、終わらないものは仕方ない)、今の僕のメインの仕事である毎日の新規開拓、いわゆる飛び込み営業も仕方ないもんだと思います。

ただ、飛び込み営業について思うことはある。
「自分のやりたいことで人を喜ばせることができる」ってとこに魅力を感じて就職したのに、死ぬほど嫌がられること、迷惑がられること。

もちろん嫌がられるのは当たり前で、飛び込みなんて誰に来られてもきっと嫌だし、自分が先方の立場になってもやっぱり嫌。

ただ、ウチの会社としても、新しいお客さんを探すってことはこの斜陽業界では至上命題であって、最優先事項なので、仕方のないこと。

頭では分かってる。理解もしてるけど、ただ、「こんなはずじゃない。」って思う。今はやるしかない。でも、この感情はずっと持ってないとって思う。納得してしまってはいけない。

理由は後述しますが、こう書くと、飛び込み営業が辛くて悩んでんのかな…って印象を与えてしまうかもしれません。でも、別に飛び込むのが嫌なわけじゃないんです。

まぁ、思ってる以上に(?!)飛び込みで、ただただいきなりどっかの会社の受付に、受付がないなら直接事務所に「はじめまして〜」って言って「は?」って対応されるとこから始まるんですが、そりゃやるまでは「マジで行けんのか?」って不安に支配されてました。

ただ、初っ端西成とか門真とかの👿なとこ行ったせいか、そもそもバンドマンにデザインさせてくれって頼んでた頃があったからかはわかりませんが、思いの外一瞬で慣れて、2日で「セールスお断り」の看板5枚抜きくらいは余裕でできるようになりました。

これを読んでる人で、飛び込みの対応してる方がいたらごめんなさい。
話を戻して、、、

そんなん感じなので、その場はどれだけ足蹴にされてもなんとも思わない。別に二度と会うこともない人に何言われたって、傷ついてるのが勿体無い…ってなるだけ。

ただ、仕事が終わって家に帰ってるとき、「俺は人様をイラつかせるために、迷惑をかけるためにこの仕事をしてんのか?やりたいことで、人を喜ばせたかったんじゃなかったんか」と思うんです。

そもそも、僕は割とドライで自己中な人間なので、決してネガティヴな感情ではなく、現実的な意見として、「誰も俺のことなんて興味持って見てないやろうし、好きにさせてくれよ。」とか、「人の視線気にして、何かを譲って遠慮したりして損するなら、そんなもん無視して生きたい」とか、基本的にそんな考えです。

でも、自己中がやりたくてやってること、デザインだったり絵だったり何かを作ることだったりで、喜んでくれる人に出会ったとき、これ以上ないくらいの幸せを感じたんです。

そもそも、自分がやってることなんて、誰も理解してくれんと思ってました。高校くらいまでの頃は絵が上手いキャラでしたけど、どんどん関わる人も増えて、自分なんかより才能ある人なんていっくらでもいて。
別にそれで興味なくしたり、冷めたりはサラサラなかったけど、忘れもしない高3の進路相談。

デザイン方面に進みたいと言った俺に、お前なんかじゃ無理って担任が言ったときに、たしかに自分は、そういった人様に認められるものを描ける人ではないんだろうなって、自分をカテゴライズしたんです。

だからこそ、ちょこちょことデザイン活動をする中で、俺の描いたモノを良いと言ってくれて、お金を払ってくれる人がいることが本当に嬉しかった。本当に嬉しかった。(大事なことなので2回言いました)

その気持ちが忘れられなくて、一度は諦めたはずのこの道で、結局働くことにしました。営業ですが。

長くなりすぎましたが、だから飛び込みで人様に迷惑をかけているという事実が、毎日毎日僕の首を絞めてきます。
でも、そんなときに思い出すのは、尊敬する人に貰った言葉。

人生は常に己の選択。

あっちだこっちだというような選択肢の意味とは少し違って、「お前は今自分で道を選んでここにいるんだろ?」っていう意味。

仕事にブツブツブツブツ文句を言うなら、辞めて転職すればいい。自分で「まだ、この会社に」って道を選択してるくせに、文句ばっかたれんなって、そんなちょっと強気な考えです。

そもそも、こんな状況なのは言ってしまえばそれは、僕に実力がないから。

もし僕が最高にセンスあるデザイナーなりイラストレーターだったら、待っててもいくらでも依頼が来るだろうし、こっちから行けば「そらもうやってくださいよ!」って言って貰えるんだろうと思います。

いつかそうなるために、僕はこれからもしばらくは、自分で選択してこの会社にいる。

今は理想と現実のギャップの中で苦しんでいるけど、この経験がきっと役に立つはず。
この毎日が、「自分が良いと思うのはもちろん、人が求めてくれるような魅力的なデザインを、絵を描かないと」と思わせてくれる。「しょうもないデザイナーになろうものなら、人様をイラつかせて、迷惑がられる人生を送るしかない」と毎日思わせてくれる。

だから、飛び込み営業の違和感と戦いながら向かっていくんです。

そんな「人生は常に己の選択」は、僕の好きな言葉ですが、逆に大嫌いな言葉は社会人なんだからです。

社会人なんだから、時間は守りなさい。

社会人なんだから、○○はできて当たり前。

社会人なんだから、体調管理くらいしろ。

社会人なんだから、土日もお客様の対応しろ。

社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ

社会人なんだから、社会人なんだから、、、

本当に嫌いです。

ウチの会社は割とゆるい空気なので(上はなかなかパンチ効いてますが、どこもそんなもんだと思います)、何かやらかして嫌な上司とかに直接言われたわけじゃないんですけど、自分の頭に浮かぶ数々の言葉は、口にすれば「社会人なんだから」で打ち消されるんだろうな、と思うんです。

それほどまでにこの「社会人なんだから」という言葉は力を持っていると思うんです。そのときそのとき、使う人によって少しずつ意味の変わるマジックワード。

だっておかしいですよ。

例えば、「社会人なんだから体調管理くらいしろ」って、人間生きてたら風邪くらい引くでしょう。
そもそも、イジメでも受けてない限りわざわざ好き好んで風邪引くわけがありません。しんどいし。社会人である前に「人間なんだから、体調管理はしてる」んですよ。

もちろん大事なプレゼンの前とかは必要以上に気を配ったり、そういうタイミング的なものならわかりますけど。一生気も張ってられるわけでもなし、限度があるでしょう。

で、「社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ」こいつもどうかと思うんです。

これは僕らの業界が少し顕著なところもありますが、1日の14,5時間を普通に会社で過ごすわけです。
それはもう仕方ないことです。そのおかげで、尊敬する同僚や、ライバル意識のある同僚、気の合う同僚ばかりなら、それは仕事も捗っちゃいます。

でも、もちろん嫌いな人やロクでもない人も一緒です。
ウチの会社は、土日を加味したって、家族より会社の人と一緒に過ごす時間の方が余裕で長いんです。

人それぞれ家庭環境に違いはありますし、僕は一人暮らしなんで今はあまり気にしてません。
が、愛する家族より嫌いな人やロクでもない会社の人と過ごす時間の方が長いって、どんな人生なんですか。疑問を持たないのが不思議です。

結婚して子供ができて、会社の人より家族とより多く過ごしたい、それがなかなか叶えられない夢物語で、現実的に無理なのはわかります。
ただ、多くの時間を一緒に過ごす人は、せめて自分と気があう人がいい。いつかは、自分の意志で一緒に働く人を決められたらと思うんです。

今年の初め、僕を選んで働きたいと言ってくれた人がいたように、僕も、この人と働きたいと思った人と働く人生をいつか送りたいです。

過剰な「社会人なんだから」には社会人である前に1人の人間なんだから、従いません。僕らには生まれながらにして、最大に尊重されるべき幸福追求権がある。なんか訳のわからないWEBで稼げる講座みたいな言い草になっちゃいましたけど、本気でそう思うんです。

そして最後は熱量。
とにかく4月に就職してから、熱量を持って仕事に接することを意識してきました。
ウチの会社の研修は5日で終わり。

すぐに正式配属されて、仕事については現場で学べってスタンスです。
先輩に同行させてもらい、途中から入った仕事の打ち合わせでわけわからないものが大半でしたが、必死で話についていき、意見を求められている場では、さすがに何もわかってない身で口出しはしないにせよ、頭のなかでアイデアを大量に考えたりして、毎日を過ごしました。

そして、飛び込み営業で自分が取ってきた仕事には、思いついたことは全部やるスタンスで、過剰と言えるほど資料を作って準備したり、それを先輩に訂正されたら舐めんなよってなって(別に舐められてない)、訂正されてないところまで悔しくて直したり、それでまたアホほど遅い時間になったり、、、と、まぁ色々ありましたが、とにかく熱量を持って働いてきました。

今だって自分1人でアレコレ言われながら企画提案書を書いてます。逃げ続けてきたパワーポイントとの戦いです。

そのなかで思ったこと、それは、ただ金だけのためには働きたくないということ。

そう、最後は端的に言うと、金ばっかに辟易したって話です。

先述どおり、僕は営業マンです。

営業である以上、いわゆる「ノルマ」ってやつがあります。1年目である僕の肩にも実は既に何千万という額が乗っかっているわけです。
それを消化するには、稼ぐしかない。

お金をもらうしかない。

それは仕方ないことです。

あまり書きませんでしたが、ウチの会社は中小企業ではあるものの、それなりの規模の会社ではあって、デザインやらなんやらかんやらを1から10まで自社でできる体制になってます。ということはそれだけ関わる人間も多く、しっかりお金を払わないといけない。そのためノルマも多いというわけです。

やはり、仕方のないことです。
この前、日頃取引のある企業さんから、大型案件の打診がありました。

先輩にサポートについてもらい、まずは打ち合わせ形式でお話を聞く。

すると、先方の口から出てきた言葉
「まぁ、こんなもの作っても誰も見ないんですけどね」

え?

そんなこと言われて、作る側の僕は全く気が乗りません。もちろん仕事なんだから、気が乗らないとか舐めたこと言ってる場合ではない。そんなことはわかっているし、しっかりとやるつもりだけど、少なくとも先述したような熱量は出てこない。熱を出すための火種も炭もない。

どうにかならんものかなと、飲みの席で先輩に聞いた。

「誰も見ない、誰も必要としてないものを作ることに、どうしてもやる気をマックスにできないです。どうやってモチベーションを保ってるんですか。」

帰ってきた答えは

「ええやん。金もらえるんやから。」

きっとこれは正しい答えなんです。なぜなら、うちの営業の口癖は皆これなので。

それに、先輩は営業としてとても優秀な人で、尊敬できる点も多々ある。
それでも、これは納得できない。

仕方なくなんて、ない。

僕はこの仕事を、「誰も見ないものだけど、誰にでも必要なもの」とカテゴライズして、どうにか今、熱を高めていっているところです。
これからも絶対、僕は「金だけのために」働かない。
「自分のため」か、「喜ぶ人のため」に、ありったけの熱を投じて働く。それが社会人として間違っていると言われても。

愚痴っぽくなってしまいましたが、以上です。
いつかまた読み返した先の自分が、「流されてないな、何も変わってないな」と思える自分でいることを信じます。

明日からの熊本復興支援について。

明日、8/27,28と復興支援として熊本に行きます。向かう前に、自分の気持ちを書き留めておこうと思ったので、ブログを書きます。
4/14。僕が新社会人として働き始めて2週間が経った頃、あの大きすぎる余震が起きました。

その日は、仕事終わりにI7Sのシンノスケさんにご飯に連れて行ってもらっていて、社会人になって思ったことや、これからの展望を沢山話して、帰路に着いてから地震のことを知りました。

僕は、東日本大震災が起きたころは高校2年で、まず財力がなく、すぐさま被災地へボランティアに行くこともできませんでした。

そもそも、なぜそんな復興支援にこだわるのか、ってところですが、僕は1歳のころ、大阪の豊中というところで生活していて、そこで阪神淡路大震災に遭いました。
近隣の建物も含め、結構被害が大きい場所で、記憶はないものの、家族から何度も何度もその頃の話を聞かされました。
ただ、正直言って映像も古いし、写真じゃ荒れ果てた土地が写っているだけで映画に見えるし、現実味を帯びていませんでした。
それが、東北の震災で全てが変わったんです。

自分達の土地で、津波はないものの同じことが起きたこと、そして助けてもらっていたこと。

僕は、日常的に仲のいい人ならお分かりかと思いますが、基本的に聖人的な性格とは程遠い方にいますし、なんなら人がドブに入ったら笑ってしまうタイプの人間です。

でもこのとき、とても感覚的な言葉になるんですが、本当に全ての考えが変わったんです。
ありとあらゆる映像を見て、何が起きてるか調べて行く中で、お金がある人は寄付を、時間がある人は現地へいくべきだ。俺は後者だ。そう思いました。

そんな意識を持ちつつ、残りの高校生活を過ごしました。
そして大学生になって、時間とお金にある程度余裕が出来てからは頻繁に通いました。
が、すぐさま行けなかったという負い目はずっとどこかに感じていて、別に褒められるためにやっているわけじゃないんですけど、快く褒めてくれた方にも、「速攻行けたわけじゃないので」と、ずっと答えていました。

もっと素早く的確に動いていた方は沢山いて、僕はその人たちの背中をずっと見てきたからできたんです。

だから、今度何かが起きたら、必要としているところを見つけて、いち早く自分先頭に立って旗を振り、力になりたいとずっと思っていました。
しかし、新社会人デビューして2週間。

その日は来てしまいました。今の自分には有給もない、ということは時間もない。就いた職を速攻投げ出してまでいく度胸もない。

それが本当に情けなくて悔しくて、日々増えていく犠牲者を見て、頼むからこれ以上増えないでくれと思っていましたが、結局90人近い方々が亡くなられてしまいました。

余震当日の夜は0人で、増えないで欲しいと願いながら寝たのを覚えています。

亡くなってしまった方々に、心からご冥福をお祈り申し上げます。
とにかくできることはしよう、と仕事終わりに物資を送るサポートはしてみたけれど、現地が求めているのは物資ではない。

その時点で、今回もすぐには叶わないと思いながらも、やっぱり現地へ行くしかないと思いました。

ちょうどFIGHT BACKのリーダーであるソウタさんも同じ思いで、今回はチームFIGHT BACKとして熊本へ向かいます。

堅いことを長々と書いてしまいましたが、僕はこういう気持ちをしっかり持った上で、まず自分が楽しんで現地へ行こうと思っています。
僕らにできることは決して大きいことじゃない。

東北へ行ったとき、被災地の方へ恐る恐る聞いた今一番欲しいものは?という質問。

帰ってきた答えは「家」。
どうにもできない。
でも、続けて「笑顔、癒される時間が欲しい」と答えてくれました。

万が一、家を与えられるとすれば、それは企業ぐるみで「慈善事業もやってますよ!」というアピールをしたいどこぞの大企業くらいでしょう。

ただ、その支援に、、、きっと担当されている方の強い思いとかはあるでしょうが、実際に形になるとき、その思いが被災された方に届くのかはわかりません。

人の数が増えれば増えるほど、一個人の熱量は冷めていくものだと思っています。

それに比べ、家は建てられないけど、僕たちには、人に負けないそれなりの熱量と気持ちがある。向こうの人たちの1番欲しいものではないでしょうけど、「笑顔、癒される時間」くらいは作ることができる。
(補足すると、これは大きな団体をディスっているわけではなく、自分がやるならこっちだな、というだけです。個人が動きやすいなら個人で、団体が動きやすいなら団体で、というだけで、本当に素晴らしい支援をされている団体も沢山おられます。)

最初は、「自分たちだからできる支援」として考えて、思いついた「オリジナルTシャツ製作体験」。

子供達に、チャリティグッズの利益でTシャツを買って、僕とソウタさんが描いたデザインから好きなものを選んでもらい、一緒にプリントしてできたTシャツをプレゼントするという、完全無料のワークショップイベント。
来てくれた子供達が喜ぶ姿を想像していると、僕たちにできることは精神的な支援、心の支援だと気づいたんです。

小さな小さな支援ではありますが、そういう経緯で打ち立てたのが、今回のPEACE OF MIND、意味は心の平和。
初日は、誰よりも自分が楽しんで、その楽しさを向こうの人たちに伝染させまくってきます。

2日目は、色んなところを見て回って、魅力的な場所やしっかりと見ておかなければいけない場所へ行って、沢山の思いを持ち帰ってきますので、頭の片隅に置いといてやってください。

自分も復興支援に行かなければ!とか、押し付けるようなことではなく、単純に「あれ、行ってもいいかも?」と思えるような何かを掴んで帰ってこれたらなと思います。たとえ誰か1人でも、続いてくれたら本当に嬉しいです。

しばらくはSNSにもよく投稿するかと思いますが、よろしくお願いします。
、、、ここまで、一応の意志表示としいる堅っ苦しく真面目なことを書いてしまいました。

上に書いたことは全て本音です。が、よくよく考えていただければ、僕はしっかりとした意識の高い人のような、崇高な素晴らしい思いは持ち合わせていないんです。熱量は比べ物にならないほど持ってると思いますが…。
実際、彼らが言うような、「○○○だからこうすべきだ!」みたいな〜すべき理論は、初回の東北に忘れて帰ってきました。
もちろん復興支援で行っているということは忘れてはなりませんが、向こうにいる間、四六時中考え続けても気持ちが暗くなって、疲弊するだけです。
しっかり色んなところを見て、ときには景色に感動して、感じたことをしっかり覚えて、持ち帰って考えることで色々見えてくるものだと思います。

まぁ、そんなことを考えてる時点で、ちょっと人として失格なのかもしれませんが、向こうの人たちの人の明るさや温かさに触れることで、逆に元気づけられてしまうんですから、そこでウジウジ悩んでいる方が失礼だと思うのです。

このように、他のボランティアさんとは少し考え方も違いますが、何が1番違うかというと、そもそも僕は好きなことをしに行くだけなんです。

そもそも、いわゆるボランティアと言えば、荒れた大地を整地したり、荷物を運んで片付けたり、といった力仕事がほとんどを占めます。

最初の頃は物資をひたすら運んでましたのでこれに近かったです。

ただ、明日僕たちがやることのメインは、STHさん協力のもと開かれるけん玉体験と、Tシャツ作りのワークショップです。180度違います。

私事になりますが、僕は単にデザインやイラストを描くのが好きで、それを見て人が喜んでくれるのが嬉しかっただけでした。
自分のデザインが人の生活のどこかにいることにとても幸せを感じるんです。
ちょっと気持ち悪いですが、あげたプレゼントをずっと使ってくれたら嬉しいじゃないですか?そういう気持ちです。

どこかに置いてくれるだけでも十分幸せなのに、服とかだと喜んで着て生活してくれる人がいる。こんな幸せなことはありません。まさにWIN-WINの関係です。
そして、ボランティアで物資を運びながら感じたこと、「これをチャリティTシャツとすることで、ここにいる被災地の方も喜ばせることができる。WIN-WIN-WINかもしれない。」

そうして突発的に始めたのが、色んなことを巻き込んで今回はワークショップというスタイルで、形になろうとしています。

復興支援やボランティアというと、大そうなことをしているように一見見えますが、僕みたいに自分のためにやっていることが、延いては人のためになるパターンが他にもきっとあります。

何かきっかけがあれば、あなたのやりたいことで、得意なことで、被災地の方のサポートができるかもしれません。
もしお時間があれば、少し考えていただければと思います。
僕なんかでよかったら、いくらでも相談にのります。アイデアだけは人一倍出てきますので、お気軽に!!(現実性は低め)

そして最後に。
僕たちのやっているこのサポートは、作ったモノを買ってくれる方がいて初めて成り立ちます。
それを忘れず、しっかりと胸に留めて子供たちを元気にしてきます。
また、報告のブログを書きます。
長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました!!

FREEDOM NAGOYAについて思うこと。

FREEDOM NAGOYA。

ありがたいことにFIGHT BACKで毎年出店させていただいて、僕もお手伝いとして、いつも行かせてもらってます。

一度は違法駐車の多さから無くなりかけて、運営さんが動きに動いて、どうにか継続させた経緯を持つ入場フリーの貴重なフェス。

あの件以降、違法駐車は減ったのかもしれないけど、本部のテントが、いつも自分たちのブースの近くだから、知ってます。毎年キッズの行いで、運営の方が民間人に怒られているのを。

指摘は本当にごもっともな内容ばかりで、それすら守れない客が集まるようなら、いつかまた大きいことになってしまうだろうな。と思ってました。毎年。

俺は、仲いい人は分かってくれているかもしれないけど、いちいちマナーがなんだとか言うキャラじゃないです。むしろ、そういう話を毛嫌いしてます。

そもそも、死ぬほど楽しみにしていて、テンションが上がってしてしまった行為が、一般の方からは認められずに、フェスを潰してしまうのは、それはもうある程度仕方ないことなんだと思うんです。

やらかしてしまっても、反省の姿勢をしっかり見せたなら、とにかく次どうするかを考えていきゃいいんです。

最近は減ってきたけど、やっぱり自分もテンション上がるときは上がるし、なんか、なんでもできるような気がしてきたりします。音楽には、全てのしがらみを取り除いて、たとえ一瞬であれど、全てを自由にしてくれる力がある。だけど、本来は人が人の上に乗るのが許されてるだけで、満足するべきなんですw

で、テンション上がって過激なことがしちゃう人なら、次どうするかの答えは1つ。それが許される場所に潜ればいいと思ってる。アンダーグラウンドの世界は大体のものを許してくれますし、許されなかったら、それはダメだとしばいて教えてくれる優しいお兄さんたちがいますw

さて、長々と前置きしましたが、本題には入ります。

今日、僕らのブースのあるテントの裏で、流しそうめんをやっている大学生達がいたそうです。(結構派手にやってたようですが、僕は恥ずかしながら後から知りました)

  

  

僕は運営の人じゃないんで、流しそうめんがそもそも許されているのか許されてないのか、それは知りません。これについて何も言う気はありません。

  

ただ、彼らは、ここに写っている筒状のプラスチック(1,5〜2mほどのものが3本)と、それを自立させるための棒を溝にぶち込み、受け皿にしていたバケツとザル、その他飲み物、食べ物、スイカの残骸、数え切れないものを全てほったらかしで帰りました。

まぁ、気づいた以上は、とりあえず運営さんに報告して、僕も微力ながらお手伝いして片付けました。とりあえず、この件で今後がどうこうなるということは、今のところないでしょう。知りませんが。

そして、僕が黙っていれば、この件はこれで終わるのかもしれないと思ってました、「こんな奴らが来るフェスなんだ」って、来てない人が見て、FREEDOMの評判を落としたくもなかったですし。

ただ、どうやらツイッターに自ら書き込み、既に話題になっているようでしたので、納得のいかない感情に落としどころを見つけるべく、このブログを書き出した次第です。

他の話は出てないのでわざわざ書きませんが、実はこれ以外にも色んなことがありました。僕はあまりブースから出ていないので、本当に限られたスペースだけで色んなことがあったんです。かなりの規模を誇る公園内では、僕の知らないところで沢山のことがあったんでしょうね。

で、例の彼らを簡単に調べると、とあるアイドルグループのファンの集まりだそうです。今の世の中はネットご時世で、すぐに名前だって割り出せますし、わざわざしませんけど、親や大学に報告することもできます。

もっと社会的な地位を貶めたいなら、僕のような影響力のない人間だって、有名な人にRTをお願いしたら、この文章が日本中の方のお目に入るかもしれない。

あらゆる手間がかかろうが、人が不幸に陥るのを求める人ってのが、世の中にはいるんです。そんな人の目に触れる可能性だってあるんです。

いちいちそんなことを考えてまで投稿していない。という方もいるでしょう。大いに結構です。僕だってそうですから。

ただ、こんな投稿をして、全てをほったらかして帰るのは、ちょっと頭が悪すぎませんか?目立ちたくて、「フェスで流しそうめんした、ヤバイ自分!」みたいな、変わってる自分アピール?をしたいのかは知りませんが、その投稿をして、ほったらかして帰ったら、全部バレますよね。自己顕示欲を膨らますのは結構ですけど、証拠隠滅くらいはしとかないと。

「あ、こいつらだ」ってなりましたもん、僕。

寒いことやってネットでやって騒ぐのがまずダサいのに、その上、後片付けもせずに全員ほったらかしで帰る。

流しそうめんして叩かれたなら、それは仕方ないですよ。さっき書いたとおり、反省して次どうするかを考える。以前の例で言えば、それが許されるアンダーグラウンド、、、というよりリバーサイドにでも行ってやればいい話です。

ただ、彼らには反省という感情がない。だから、次どうするかなんて考えには至らない。今度は調子に乗ってそうめん以外も流したりするんでしょうね。

この世の中、何をしたって、死ぬほど反省すれば大体のことが許されます。ケツを拭く手段がなくったって、拭こうとすればなんとかなるときもあります。今回も、運営の人に正直に、「これ片付けどうしたら…」とか聞けば、一緒にやってくれたでしょう。

そう考えると、ケツを拭こうとする人間すらいないわけです。やるだけやって、全員放置!凄いですよね。全員「誰かがやってくれる」って思ってんのか、そもそも片付けという概念がないのか、そこまでわからないですけど、本当にガキ以下です。

となると、そんなファングループに支持されているアイドルの質すら、垣間見えますよね。

僕はそのアイドルグループが仮に何かのフェスに出たら、きっと避けます。「お前1人こなくたって変わりねえよ!」って話ですが、どんどんそういう人は増えていきますよね。

呼べば変なファンが来るってことで、フェスに呼ばれないアーティストだっているんですよ。

まぁ、今回の件は、僕らがたまたま気づいたから、ドルオタグループのケツを拭いてやることができました。

ただ、終演後は曇りで保っていた空から結構な強さの雨が降り出し、朝からの疲れでヘトヘトになっている人もいました。たまたま誰も気づかなかったら、どうなんでしょうね。僕らが気づいたのも、完全撤収の30分前。あり得る話だと思います。

貸し出した公園に、大量のゴミを残されて返されたら、今後貸そうと思いますか?

とか言っても、ファングループからすれば、たかがアイドルのフェス公演が消えたって大したことじゃないかもしれません。

でも、こういう異文化交流というか、1つの音楽っていう文化の中でも、様々な世界のジャンルが混ざり合うイベントって、僕は貴重だと思うんです。

海外では、ハードコア、メロディック、クラスト(鋲ジャンモヒカン系の人たち)メタル好き等、見るからに違う世界の人たちが、みんな思い思いのモッシュやらなんやらをしています。

まぁ、お互いがお互いのスタイルを主張するため、結構騒動になりがちで、日本では避けられていますが、他の世界に、自分たちの楽しみ方を見せるって素晴らしいことじゃないでしょうか。

そこから新しい楽しみ方が見つかるかもしれません。新しい世界を気に入るかもしれません。1つのアーティストを聴き続ける方、とても良いと思います。ただ、少し周りを見渡せば、その人が影響を受けてきた人や、その人のいるジャンルの大ボス的な人だっています。

知らなきゃ、聞かなきゃ、今以上に気に入るアーティストがいるのかもしれないのに、勿体無いと思いますよ。単純に。

だから、僕はジャンルごちゃ混ぜ異種格闘技戦が基本的に大好きです。アイドルも、よく知りませんけど、ぶっ飛んだノリとか見てると面白くなってきますし。やはり新しい世界を見るのは楽しい。僕みたいな人が増えると、アイドルのマーケットだって大きくなっていくんじゃないでしょうか。
日本で貴重な、そういう場をなくして良いんでしょうか。

というか、そもそも、後片付けが〜とか、ゴミが〜とかで貴重なフリーフェス1個潰すって勿体なくないですか?あまりにも民度が低すぎるでしょう。遊んだら、後片付けしなさいって親から教えられなかったんですかね?それとも、実は、競合フェスの回し者とかw

まぁ、なんでもいいんですけど、そのうちそのアイドルグループの単独公演で同じようなことをやりだしたら、どうするんでしょうか。

今回の責任を取るのはフェスの主催者ですが、単独公演で責任を取るのは、結局そのグループなんです。

こうやって、大体のカルチャーは、一部の寒いファンの手によって壊されていく傾向にあります。

日本のカルチャーはガラパゴス的というと、ちょっと言い方が悪いですが、独自の成長をしていて、特に僕の好きなハードコアなんて、人気があるわけじゃなくとも、世界に並べるような人たちが沢山います。

アイドルだって、そうでしょう。

ハードコアなんかよりよっぽど人口も多くて、活性化してる。そんな貴重なカルチャーを、ファンが潰すって、勿体なくて仕方がない。

幸い、ハードコアには寒いファンが圧倒的に少ない。それは、絶対数が少ないってのももちろんですが、しっかりと上の世代の人間が色んなことを教えてくれるから。ヤバイけど実は良いことも、マジでダメなことも。

今まで既にそうやって繋がれてきた系譜があるからこそ、カルチャーは続く。僕の世代は今はまだ最下層だけど、上になるにつれて世代交代して、次は僕らが伝えていく番になる。

アイドルを好きになったことないからよくわかりませんけど、アイドルの世界には、あまりそういうのがないんですかね。

だから定期的に冗談で済まないことが起きて、その度に「こんな奴ばかりじゃない」とか言ってますけど、「こんな奴」を矯正するのは、同じカルチャーが好きなあなたたちしかいない。

止めることができるとは限らないけど、止めるための努力はするべきじゃないか?と、いつもどこか無関心な近親者のインタビューを見て思います。

まぁそんなのめんどくさい、誰かがやるでしょってみんな思うから、「こんな奴」が出てくるんでしょう。

ですが、好きなことのためなら、少しくらい、そのカルチャーのために、辛い思いをするかもしれないのを覚悟して、身を捧げてもいいじゃないですか。

今まで、それなりに沢山の何かを与えられてきたから、好きでい続けてるわけでしょう。先へ繋げていくために、この先を見るために、たまには与える側に回ってもいいじゃありませんか。

あなたの好きなカルチャーの責任は、あなた自身が持つ。熱心な方なら、それくらい考えて、良いんじゃないですか。

少なくとも、今日の人たちは旗とか持ってきてて、僕の目には熱心な人たちに見えましたけどね。

それを続けていればきっと、「フェスで流しそうめんをしたヤバイ自分」よりも、誇れるかっこいい自分になれると思います。

最後に、別にこの文章を彼らに読んでくれとは思いませんし、まず届きもしないと思います。ただ、さっき書いた通り、止めることができるとは限らないけど、止めるための努力はするべきじゃないか、と思い、書いたまでです。

どっかで確変が起きて、何かのタイミングで通じることを祈って、締めます。ここまで読んでいただきありがとうございました。

やりたいこと(続)

社会人になりました。ゆうせいです。

こうやってブログ、というかSNSにもあんまなんも書いてないので、友達に向けて文章を書くのは久しぶりですが、それには理由があります。

実は会社にフェイスブック的な社内SNSがあって、「新入社員は、出勤日は内容はなんでもいいから毎日投稿をするように」なんて社長から言われちゃって、そっちばっかやってるから、あんまり触ってないんです。普段その社内SNSではかなり綺麗に言葉を使っているせいで、今日は崩してもこんな感じの言葉になります。毎度通り長いですが、どうか読んでいってください。

さて、自分で言うのもなんですが、俺が入った会社は大企業ってほどではありませんが、中小企業にしてはそこそこのスケールの会社です。少なくとも、俺よりはだいぶ格上の学歴を持つ人しかいません。そもそも、なんたって僕は適性検査の筆記試験がぜんっぜんダメだったみたいです(猛爆)

ただ、攻撃性MAXと出たという心理診断と、面接で見たお前の性格を理解して取った。と専務からはありがたいお言葉を頂戴しております。

社内SNSについてですが、I7Sのシンノスケさんに「そんなレベルの会社になってくると、普通は下のやつになんて見向きもせんくなる。でもわざわざ上の人がそういう場を与えてるってことは、そこで自分を出していかん手はないんちゃうか。」と言ってもらって、必要以上に自分を出しまくっています。

良いのか悪いのかわかりませんが、おかげで、アクセス回数はほぼ毎回新入社員の中でTOPです。まぁ、もうめんどくなって書かなくなっている人が大半なのも理由の1つですが。最後の1人になったって続けたいです。

肝心の仕事は、幸い前のブログ(https://uuuuu921.wordpress.com/2015/12/10/%e3%82%84%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8/)に思い描いていた通りの仕事です。事業内容的に、デザイン方面ならなんでもやっているので、毎日毎日デザインと向き合って生きています。

以前書いたように、俺は営業ですが、デザイナー部隊も社内、というかオフィス内の5mくらい離れたところで作ってくれるので刺激を受けまくってます。
去年の七夕の短冊に「日々、デザインと向き合える人生が送れますように。」と書いたんですが、見事に叶えています。

そういえば、2012年のAIRJAMがあったとき、ディズニーで短冊に「AIRJAMに行きたい」って書いたなぁ。そのあとすぐハズレの連絡きたけど、知る人ぞ知る個人情報厳しすぎるトラブルがあって、ほぼ全員抽選をはじかれて落ちてたっていう。笑 再抽選されて、結果的に無事に行けました。七夕は優秀です。

福岡も行く気ですよ。

仕事中は、自分で言うのもなんですが、とにかく全力です。ただ、赤ちゃんの頃から染み付いた夜行性がなかなか消えず、朝型の生活に馴染めません…。どれだけ前日寝ていても、わからない話が一生続いていると、商談中に意識を失います。問題といえばそれくらいですが、これをまずどうにかしなければ、と思い、無理くり話に入ったりしています。ただ、こんなことをしているようじゃいけません。俺は期待に応えなければいけないんです。
実は、入社式のとき、わざわざ社長が俺の前まで来てくれて、直々に「君は本当に良いと、面接のとき直感で感じたんだよ。今年は沢山新人さんが入ったから、僕もみんなを覚えることはできないんだけどさ。君には期待しているよ。」と言ってくれたのです。最後に「まぁ、根拠はないんだけど」が付くんですが(猛爆)
それでも、同期が30〜40人いる中で、そうやって、わざわざ俺の名前を出してくれた。人は、期待されると持っている以上の力を出せるもんです。期待された結果を、社内SNSのアクセス数だけで終わらせてはいけない。
最近常々思うのが、人よりやりたいことが多い俺は、その分誰より努力しなきゃならないということ。最近はずっとそう思っていて、もっともっと出て行って、結果を叩き出してやりたい気持ちが強いです。
そんなことを考えるうちに、打ち合わせに対しても気持ちが変わってきました。制作物となると、まずは相手の会社のことをよく知らねばなりません。
簡単にでも事前準備をしてたら、途中参加の案件の打ち合わせでも、話している内容の解決策を自分なりに考えることができます。

基本はまだまだ素人アイデアなので、そうそう口には出しませんが、たまに「これだ!!」と思うのだけニヤけないようにボソッと提案したりして、それが採用されたときなんて嬉しいもんです。
しかし、新製品についての制作物に途中から参加させてもらっていると、これはもはや何をしているのか皆目検討がつかなくなります。そういうとき、最初は無意識に仕方ないと思い、解決策を考えることをやめていました。
先輩も、さすがにこのレベルだとわからなくて仕方ないよ。と言ってくれるのですが、人より何かをやりたいやりたいって言ってくるくせに、ダッサイ考えしてんな、とだんだん情けなくなってきて、気づけば「仕方ない仕方ないは仕方なくない」という考え方をするようになりました。

新入社員だから仕方ない。教えてもらってなくてわからないことだから仕方ない。こんな甘えは仕方なくない。

実は、俺はこの会社に入るにあたって、本当に魅力的だった夢へのお誘いを遮って入社しました。
そこまでしてここを選んだなら、どうやったって結果を残さなきゃならない。なんのためにこっちに来たんだって思うような社会人生活を送ったら、こちらを選んだ意味なんてない。

ここまで言い切ったら、そうそうのもんじゃ折れません。

 
そして、あれだけ強気で書いていたやりたいこと。

その火は全く消えておらず、 まずは英語を始めました。
別に、俺は崇高な高い意識を持ってグローバルな人間になりたいわけではありません。

ただ、自分の知らない面白い世界があるというのは気に食わない。100があるなら100まで見たい。これは昔からの俺の信条です。日本以外の場所があるなら、日本以外も行ってみたいんです。
きっとイタリア旅行のブログにも書くと思いますが、正直英語なんてまともに喋れなくてもどうにかなります。ホテルと列車がついただけのフリープランで、同じく英語が話せない友達と1週間いましたが、困ったことなんて特になにもなかったです。

高校の頃から、英語が全て赤点だった俺が言うんだから間違いないです。

英語は、海外旅行に必要不可欠ではありません。少なくともヨーロッパではどこも同じようなものでしょう。
ただ、英語をしらなければ、思いついたことを話せません。相手の言っていることがわかって、言い返しが思いついても、それをどう話すのかわからないから言えない。そういうもどかしい思いは沢山しました。
ということは、英語を覚えなければ、100まで楽しめません。だから始めるのです。ちなみに、「NO,I don’t.」のドントの部分を完全に忘れていました。スペルすら自信なしです。先は長そうです。

そして、デザイン。

より、デザインに魅力を感じるようになってきました。

本当に自信のある良いものを作って、お客さんに「いいね!」と言われる瞬間、喜んでくれるかな?これは絶対にいけるだろ!と思っている瞬間。すなわち最高です。普通にボツッたりしますが。
運良く無事に校了して、僕らのいる川上から、お客さんのいる川下まで自分の手がけたものが流れていくときも最高です。

世の中に自分の携わった制作物が並ぶ、何度考えても、こんな幸せなことはないです。

例えば、タワレコにジャケのデザインをしたNOT A NAME SOLDIERSのCDが並んだとき、街中で知らない人がFIGHT BACKxI7SのTシャツを着ているのを見たとき、たまたま会った友達がPARALLEL YOUのTシャツを着てくれていたとき。

自分のやりたいって気持ちで動き出したものを、誰かがキャッチしてくれている。繰り返しになりますが、本当に幸せでしかない。

でも、ここ最近思うことは、俺にとって、やっぱりデザインとは「絵」です。

絵が好きになって、デザインが好きになった。子供の頃は絵描くか遊ぶかしかしてなかった。図画工作は俺のための時間だと本気で思ってた。今でも、打ち合わせで紙とペンを持った瞬間、絵を描く描かないで魂が葛藤しています。
ただ、家に帰ると不思議と描かない。

いや、正確に言うと、何気なく紙とペンが置いてたら家でもすぐに何か描き始める。0から、「描こうー!」という気にならないんです。
なんでだろうなーとか思いつつ、薄々わかってました。それは、やっぱり絵が下手だからです。コンプレックスが頭から離れないから、「いざ、やろう!」ってときに、できない。さらっと描くのとは違い、真剣に描けば否が応でも自分の絵の下手さを改めて受け止めることになるからです。
バンプの歌にも似たようなのありましたが、子供の頃は絵が上手いとずっと言われてました。でも、成長すると俺よりもっと絵の上手いやつなんて沢山出てきて、それに反比例して俺の評価は少しずつ下がってって…まぁ子供なんてそんなもんです。

それからも、何気ない絵を描き続けてはいたけど、コンプレックスは増え続けました。
客観的に見て、俺は平均的な絵よりは、少し上手い絵が描けると思います。

ただ、模写とかになってくると平均以下です。それはなぜかというと、きっと俺は、頭で思い描いた創造物を絵として描く力が、平均的な人より本当に少しだけ大きいだけで、普通の絵のスキルは平均以下なんです。
絵が上手い人というのは、そもそもの絵のスキルがあるのに合わせて、このアウトプットの能力もとても高いのでしょう。羨ましいを通り越して、正直妬ましいです。
そんなこともあって、デザイン物を1から10までPC制作したことももちろんあるのですが、やっぱり「絵」に敵うものはありません。

だから、絵・デザインの勉強も始めました。とりあえず基礎も基礎、綺麗な丸を描くところから。

絵が上手くなる!っていう色んな方法から1つを選んで試すんじゃなく、とにかく出てくるものを全て試してやってみようと思います。

現在、去年のブログから無事に受け継いだやりたいことの火は燃え続けいて、そこに仕事という薪も放り込まれ、前以上に気持ちが上がっています。不安や緊張もありますし、しないでいい挑戦も沢山ありますが、あえてどんどん首を突っ込んでいくことで、人一倍苦労し、人一倍成長しようと思います。逃げ続けたダサい背中なんて、いつ産まれてくるのかもわかりませんが、子供に見せられません。

振り返れば、学生時代は、その膨大な時間を自由に使い、思い描く光景を実現させることができました。膨大な時間はなくなりましたが、そこはもう膨大なやる気でカバーするしかない。思い通りに生きていくためには、誰よりやるしかない。
結局、好きな気持ちややりたいって気持ちってのは呪いで、人はそこから離れることなんてできないんです。

やらなきゃ後悔するだけだから、俺はやります。でっかいこと言ってしまいましたが、これから 見ててください!

イタリア旅行(日本~ベネチア編)

人生初の海外旅行!

卒業旅行として海外へいこうと漠然と思っていたのですが、どうせならなかなか行けない、そしてあまり行っている人がいないところに行きたいなーと考えて、ヨーロッパまで足を延ばし、イタリア国内をあっちこっち周り、6日間を向こうで過ごしてきました。
初めての海外旅行としては、難易度が高いと言われたのですが、世界遺産をどこの国よりも持つこの国はとても魅力的で、見たもの、感じたことを忘れたくないので、こうしてブログという形で残しておきたいと思います。ついでに大学4年間のことも…。
長くなるかとは思いますが、少しでも何かが伝わるように書きますので、お時間があれば見ていただき、魅力が伝わればこんなにうれしいことはありません。書きやすいように話口調で書きますが、お付き合いください。まずは、ベネチアまでを書きます。

2015年3月15日、4年間通っていた大学を卒業した。誰もが「大学の4年間は本当に短い」なんてことを言うけれど、御多分に漏れず、俺にとっての4年間もあっという間だった。思えば1年の頃、俺はとてもろくでもない大学生だった…。世間的に、「うぇ~い系」とか言われている、何の目的も夢もなく、ただただ漠然となんとなく日々を過ごしている同学年の人と混ざるのがいやで、意図的に距離を置いていた。誤解のないように書いておくと、友達もいて、学校にも行ってた。けど、行ってるだけだった。2000人もいる同学年の中で、聞こえよく言えば、自分の色を探すのに必死だった。悪く言えば、俺はあんな奴らとは違う!ってのを言い訳にして、ちゃんとした人だっていたのに、探さなかった。そんな大学生活を送った結果、そのうぇ~い系よりも成績は低く、心の底から自分を情けなく思った。当時は色んな人を受け入れることがまだできなかったから、こんなことになってしまったんだな、と今では思える。そう思えるようになったのも、色んな経験をして思い悩んだりして、バンドのデザインをやりだして、もっとたくさんの人と知り合って行ったからだと思う。いつのまにか、俺は大体の人を受け入れることができるようになっていった。それまでは、自分の中にある「こうあらねばならない!」という、なんかよくわからないプライドみたいなものを、人にも当てはめていたのが良くなかったんだと思う。自分が自分で考えたものは、自分で守り抜けば、それでいいんだなー、と気づいてからは、色んな友達から、自分の知らない世界の話をたくさん聞いて、俺も自分の世界の話をして、そうこうしてるうちに、大学生活は楽しくなり、成績もどんどん上がっていった。

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といっても、1,2年の代償は大きく…結局4年の後期まで単位が残ってしまっていた。俺は、5つの試験の中で2つ合格点を取らなければいけなかった。試験後は「まあ、なんとか行けたでしょ…」と思っていたけど、何といっても試験だから、解答欄が1つずつずれていたりだとか、実は受けた教室を間違えていたりとか、こんなことが考え出せばキリがないほど出てくる。結果はもちろん行けたけど、それまで旅行の予約をしに行くこともできなかった。

卒業者発表は卒業式の2週間前、3/3だった。無事に合格者一覧に自分の名前を見つけて、思いつく限りのガッツポーズをして、その足で友達と大学の旅行予約センターに行った。やっとのここから本題である。

「再来週くらいにイタリアに行きたいんですけど…」俺の卒業旅行はここから始まった!けども、「たぶんどこも空いてないですよ」と、答えは一瞬で返ってきた。まぁよくよく考えていれば当たり前で、大体海外旅行なんて3か月、下手すれば半年前から企画するもので、1番卒業旅行として込み合う時期に、2週間前にいきなり来て予約しようったって、そうはいかない。見つけたイタリアへのプランを総当たりで聞いてもらったけど、どこもかしこも空いていなかった。「旅行代理店にでも行ってみてください。小さいところならチャンスがあるかもしれません」と慣れた口調で言われて、俺らは放り出された。毎年のように、俺らみたいな馬鹿な学生がぎりぎりで言ってきてはじき出してるんだろうな…となんとなく思った。

とりあえず近場の旅行代理店でも行くか…と駅前まで足を延ばした。店の前に並んだパンフレットを見ていると、どれも「2016/4~」と書いてある。「これは…」と内心思いながら、口には出さずに店に入った。
「再来週くらいにイタリアに行きたいんですけど…」同じセリフをここでもいうと、とりあえずパンフレットはあるようで、持ってきてくれた。沢山魅力的なプランが並んでいる!所詮学校の旅行代理店もどきなんてもとから期待してなかった!餅は餅屋!!と思いながらあらゆるプランを聞いたが、どれも飛行機が空いてなくて帰ってこれないか、もうそのプランの募集は打ち切って催行中止になっているか、どちらかだった…。スタッフのお姉さんが、もはややけくそになっている俺らを見かねて、ヨーロッパ全土をしらみつぶしに確認してくれたけど、どこも空いていなかった…。「ここらならどうにかできますけど…」と、パンフレットをもらって、その店を出た。

途方に暮れ、我が家で緊急特別会議を開くことにした。なんたって頭の中ではイタリアがん攻めルートが決まっていたのに、もらって帰ってきたのは「ロサンゼルス」「ニューヨーク」とか書いたパンフレットだった。アメリカも…そりゃ行きたいけど…思ってたのと違う。諦めが悪い俺らは、ネットで検索をかけることにした。これはできるだけやりたくなかった、初めての海外旅行で、しかも遠い国へ行くのに、ネットじゃ不安な点がもっと増える。とりあえず調べるだけ調べたが、どれもこれも帰国が4/1になるものしか残っていない。その日は入社式だ…ドボンになってしまう。そういえば、お姉さんが「うちは大手でHISだけ扱ってないので、最後に望みをかけるならそこですね…」とつぶやいていたのを思い出した。調べると、なんと「HIS ヨーロッパ専門店」なるものがあるらしい。俺はそこを調べつつ、同時に友達に速攻電話をかけてもらい、「3/16~3/31の期間内なら何でもいいので、イタリアのプラン空いてませんか…」とすがりついた。調べてみますと返事があり、すぐに折り返しが来た。なんと2席だけ余ってるプランがあったようで、やっと俺の卒業旅行が決行されることになった。
出発日は、卒業式の翌日である3/16からで、移動手配とホテルのみの予約をしてもらう、ガイドなしのフリープランとなった。買ってきたガイドブックに、「主要都市は英語でもOK!」と書いてあり、余裕だなと思っていたら、英語もしゃべれないのに気付いたのは飛行機に乗ってからだった…。

ついに出発の日が来た。ひかに送り出してもらい、関空についた。あまりに広い初の国際線ロビー。右往左往しながら「カタール航空」の文字を探す。カタール航空とは、その名の通り、カタールに本拠地を構える航空サービス会社で、何といっても砂漠国家ゆえに、油田を大量に持つ金持ち国家だ。かなり安い飛行機なのに、とてもサービスがいいことで有名らしい。俺らのルートは、まずカタールのドーハ空港へ行き、そこから乗り継いでベネチアのマルコポーロ空港(ベネチアはマルコポーロの出身地らしい)へ行くルートだ。まずドーハまで11時間半、乗り継ぎに5時間、ベネチアまで5時間半の驚異の22時間コースである。なんなら関空に2時間前につかなきゃいけないので、24時間、家からだと26時間…考えると気が遠くなる。が、旅の最中は相対性理論が活発に発動しているので、意外と何ともなかったりする。

日本を出てしばらくすると提供される機内食、時差がドーハの時点で-6時間になるので、何ご飯をたべているのかよくわからなくなる。これはチキンとマッシュポテト。

ユーラシア大陸を横断し、ドーハを目指す飛行機(時速800キロ以上)

機内ではマーベルムービー、アントマンを見ながら過ごした。見たことがあっても、機内で見るとまた違う。

関空を出て11時間半、8274キロ先だったドーハへ到着。

ドーハ(ハマド)国際空港。この時点で金持ち国家感がすごい。周りはアラブ系の人々ばかり。

ここで長い長い乗り継ぎタイムとの闘いに入る。まず関空発のチケットには書かれていた出発ゲートの記載がない。ので、ゲートの確認からだが、インフォメーションのスクリーンを見ていても乗るはずの便はあらわれない。人生初のリアル「エクスキューズミー」である。ほんとに通じるんだなーとなんとなく感心した。


この空港の名物、謎のくま?の巨大ぬいぐるみ。上から電気が当たってるのではなく、くまにめり込んでいるのが最大のポイントといえる。

カフェのおしゃれな入口の前で


クランベリーココナッツドリンク。飲んだことのない味でおいしかった。

ユーロで払ったら、割り切れないお金が「カタールリヤル」という謎の通貨で返ってきた…。

空港内を走るシャトルトレイン。この近未来感がかっこいい。天井はなぜか木目調。

ドーハ空港の出発ロビーについて受付に「ここであってますか?」と聞きに行くと「まだ始業時間じゃないから1時間待ってくれ!」この時点で、日本とは仕事に対する考え方が違うんだなと確信。無事に会っていたようで、飛行機のもとへクソでかいバスで移動。

運転席の見たことのないスケール感。
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外はやっぱり砂漠。

飛行機に乗り込み、待つこと5時間半。ついにベネチア空港に到着。そこらかしこにいる中国人と韓国人のマナーの悪さに辟易しながら、入国審査。「コンニチハ!」と言われて終了!無事にイタリア入り!

ベネチア空港は、ベネチア空港というものの、ベネチアには位置しておらず、イタリア本島にある。そもそも、ベネチアというのは、日本でいう沖縄のように、大小数々の島を総称してベネチアと呼んでるみたい。さて、そんなわけで空港からベネチア行きのシャトルバスに乗って、ベネチアへ!!

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ちなみに、イタリアは左ハンドル右車線なので、違和感がすごいです。

IMGP8227.JPGベネチアのローマ広場へ到着!止まってたトラム(日本でいうちんちん電車)

ベネチアは、車の乗り入れがこのローマ広場という島の入り口までと限定されており、自動車は通行禁止。街の人たちはみんなゴンドラかモーターボート。または水上タクシー使って移動し、生活している。さすが世界で唯一の水上都市。

IMGP8229.JPG最初に見えた運河、ついにここまできた!と、1日かかった移動の疲れなんて吹っ飛ぶ。IMGP8238.JPGIMGP8249.JPG運河に架かる橋の上から撮った1枚、水の反射がきれい。

IMGP8267.JPG映りこむ建物を見ると、ベネチアっぽい写真だなー、と思う。IMGP8277.JPG
路地1つ取ってみても、とてもいい写真が撮れる。

散策しまくって、1キロほどの距離にある、ベネチアの中心地。サンマルコ大聖堂の近くにあるホテルにたどり着くまで、1時間以上かかってしまった。

IMGP8297.JPGホテル「ベッラ ベネチア」4つ星ホテルで、泊まった中で1番グレードの高いホテル。

ホテルについて、荷物を置いたら、またすぐに街の散策を開始!

IMGP8301.JPGホテルにほど近いところにいたマルコポーロさん。黄金の国ジパングを見つけてくれてありがとう。IMGP8303.JPGイタリアはピザとかは安いけど、飲み物が高い。コーラで大体2ユーロ(260円くらい)で、ビールと同じくらいです。水とコーヒーが1ユーロ(130円くらい)で、同じくらいの値段。生活にコーヒーが密接してるから、カフェでもどこでもこの値段。ちなみにコンビニはありません。

IMGP8305.JPG海まで出てきたところIMGP8315.JPG夕焼けの時間になってまいりました!IMGP8323.JPGこっち見んなIMGP8327.JPGカジノを発見!なんと港にカジノ行の送迎船なども…全額かけたかったけど初日のため断念IMGP8332.JPGお気に入りのサンセット写真IMGP8338.JPG夜になってくるとゴンドラの料金が高くなりますIMGP8349.JPGIMGP8295.JPGIMGP8360.JPGIMGP8364.JPGIMGP8365.JPG日もすっかり落ちてきたところIMGP8370.JPGIMGP8372.JPGIMGP8376.JPGそろそろ飯の時間だなーと歩き回っていると、運河沿いに、いい感じのお店を見つけた。IMGP8383.JPG

水上タクシーが浮かぶ運河を横目に、チキンステーキを注文!ここのスタッフのイタリア人のおっちゃんが面白くて、微妙に日本語を話せる。
「ジャパニーズ?」と聞かれて、受け答えしてたら、「すごーいすごーい」と言いながら手元のスマホを触って何か出してくる。なんだと思えばコスプレイヤーの写真のスライドショーwwベネチアまで来て日本人のコスプレイヤーを見せられるシュールな状況に笑ってたら、また「すごーいすごーい」と言いながらタブレットをいじって何か出してくる。今度は中学くらいの頃?昔ジャンプに載ってたトラブルっていうエロいアニメwww
サービス精神旺盛なおっちゃんとのひと時を楽しんで、1日目を終えました。

サービスでもらったオレンジジュースの横に鎮座するおっちゃんのスマホ(トラブル上映中)

2日目の朝、移動の疲れも思ったよりもなく気持ちよく起床!夕方にはフィレンツェへの移動を控えていたものの、この日は事前から予告されていた鉄道ストライキの日。とりあえず旅行会社の現地支店まで一度電話してくれと言われていたので、携帯からかけようとするも、通話料が馬鹿ほど高くなるかもしれないし、とりあえず別のプランを練ることに。
しかし、ホテルの電話は外線につなぐ操作方法がよくわからず、公衆電話でも使うかな、とチェックアウト。とりあえず公衆電話を発見し、お金を入れるが…入らない。明らかに入れる場所はあっているのに…入らない。

「使い方調べろよ!」とお思いの皆さま。なんとベネチアではモバイルWi-Fiがほとんど機能せず、昨晩の帰り道も地図は使えず、なんとなくの記憶で帰ったのです。

使い方が記載されている感じのステッカーも、さすがはイタリア。なぜかゴリゴリにはがされており、全く読み取れない。かろうじてクレジットカードのロゴが読み取れたので、カード入れてきなところにクレジットをぶち込んだけど、さっぱり反応はない。結局30秒で終わらせようと携帯で書けると、「え?スト?今日はないっすよ」 あ、そうですか。イタリアクオリティ。IMGP8393.JPG問題の公衆電話。後から知ったけど、イタリアの公衆電話はほぼほぼ壊れていて小銭が使えず、郵便局でテレフォンカードを買わなきゃいけないとのこと。俺がクレジットを突っ込んだのは、テレカ用のさし口だったとさ…

気を取り直して、ベネチア観光2日目!ホテルのすぐ近くにあるサンマルコ大聖堂のある、サンマルコ広場へ。息をのむほどの絶景が広がっていて、圧倒的な異国感。天井に大天使ガブリエルが乗っている、高くそびえたつ鐘楼に上り、ベネチアの街を見下ろして、その絶景に、本当に来てよかったと100回くらい言った。多分この時点で累計500回くらい言ってた。

鐘楼の上に、日本にもよくある記念メダルの自販機があって、1枚2ユーロで売ってたから、せっかくだから買ってみた。俺は普通に買えたけど、友達は間違えて3ユーロ入れてしまって、おつり返却ボタンを押すも…出てこない。画面のクレジットには[1 EURO]と表示されたまま。仕方ないから横の飲み物の自販機で2ユーロ硬貨を崩すべく、1ユーロの水を買っておつり返却バーを押すも…また出てこない。結局おつりが帰ってくることはなく、呑まれたままで終わるので、イタリアに行った際は自販機に気を付けてください(旅行中、合計4ユーロくらい呑まれました)IMGP8398.JPGサンマルコ広場にて

IMGP8509.JPGサンマルコ大聖堂、近づくと圧倒的な迫力がある。IMGP8512.JPG彫刻もいちいちすごいIMGP8394.JPGこれが上った鐘楼!IMGP8508.JPGもちろん名前通り鐘もついているIMGP8493.JPG鐘楼から見たベネチアIMGP8496.JPGサンマルコ広場の対岸、海の向こうに浮かぶ協会。サンタマリアマッジョーレ教会。IMGP8497.JPG建物はオレンジの屋根で統一されているIMGP8503.JPGサンマルコ広場を上から見たところIMGP8505.JPGサンマルコ大聖堂を上から見たところ

一通り広場を見渡して堪能したところで、ついにゴンドラに乗ることに。ベネチアのメインイベントだ。ベネチアにはいたるところに「ゴンドリエ」というゴンドラ漕ぎの人らがいる。チケットとかはなく、その人らに声をかけて交渉して乗り込むというのが一般的な乗り方だ。基本的に何人乗っても同じ料金のタクシーシステムなので、一緒に乗る人数が多いほど安くなる。1隻出すのに、25分で80ユーロ、40分で120ユーロ、1時間で160ユーロが相場だった。長くなればなるほど、通るのが難しい狭い水路も通るスペシャルコースになっていく。ただ、2人で来ていたし、どうするかなーと考えていると、サンマルコ広場で知り合ったペルー人の夫婦と再会。彼らもゴンドラに乗るというので、一緒に乗ろうぜ!ってことで、1番長いプランでGO!
ゴンドラに乗りながらペルー人との会話を楽しんだ。彼らはどこから来たのか聞いてきて、日本だと答えると、東京に行ったことがあるという。また行きたいなと言ってくれた。俺もどこから来たのかと聞いて、ここでペルーからと知った。
ペルーと言われて、俺は必至で頭に検索をかけたけど、何もヒットしなかった。かろうじて後から遺跡があったな…とは出てきたけど「ペルー=○○」みたいなのがなかった。俺はそれがすごく申し訳なくて、逆に、日本の話をポンと出してくれることが、とても幸せなことに思えた。

それはここだけに限った話じゃない。出会う人出会う人が、俺らのことを一発で日本人だと認識してくれて「ジャパニーズ?」やら、「コンニチワ」やらの言葉で挨拶してくれる。アジア人はたくさん来ていて、中国人や韓国人も沢山いるのに、間違われることは旅行を通して一度もなかった。ガイドなしのフリープランだったから、本当にいろんな人と話したのにもかかわらず。小さな子供でさえ「日本の街から着たの?ぼくも行きたいんだよ」と言ってくれる。遠く離れた国の人が、自分たちの国を、都市を、どんな人間が住んでいるのかを、理解してくれている。さも自然に。それに感動した。あ、ちなみによくいる「トモダチダヨナ!!」と話しかけてくるアメ村ちっくな押し売り黒人は除きます。
で、きっとそれは、自分の前の世代、その前の世代が、「日本人は、かくあるべき。」みたいなものを世界に示してきてくれたからで、自分たちの世代でそのイメージを壊すわけにはいかない。とすら思った。なんたって、こういう観光都市は割と並んだりする。ベネチアは並ぶといっても、この聖堂か鐘楼ぐらいだけど、バチカンとかは何をするにも並ぶ。そこにいる中国人たちは、少しでもスペースを見つけたら前へ前へ進んでいく。彼らにとって、行列は障害物競走でしかない。そんなんばかり見ていると、真面目に並んでいる自分が馬鹿みたく思えてくる。自分も行ってやろうか、と一瞬思ったけど、こういう小さな点で少しずつ日本人が評価されているのかもしれない、と思って、出した右足をひっこめた。

俺は日本が好きだけど、鎖国時代から続く、なんとなく閉鎖的な国民性や、いわゆる出る杭は打たれるという風潮は大嫌いで、どうにかならないものかなーとなんとなくずっと思ってた。
ただ、海外志向を持つ人たちは「世界では、世界では」といつも世界を引っ張り合いに出して、俺をはじめ、海外に行ったことのない人にそんなこと言ったって、うまく伝わるわけないのにと考えていた。「よそはよそ、うちはうち」という言葉から何も学んでいない。
井の中の蛙大海を知らずという言葉があるけど、そういう人は少し外の世界に出てすべてを知った気になっているだけで、俺が感じたのは、日本は、このままの姿で十分美しいのかもしれない。ということ。どこか窮屈で、どこか臆病で、繊細だけど優しい人間が住んでいる国。きっと諸外国からはそんな風に思われている。

そりゃ、なめられているところはどうにかしなけりゃならないし、時間をかけてでも直さなきゃならない。出る杭は打たれるという風潮も、たくさんの才能をつぶすだけだから、少しずつ取り除いていけないもんかな、と思う。ただ、世の中の変化は始まっていて、出過ぎた杭は打たれないこともある。現にきゃりーぱみゅぱみゅなんかが実際にそうで、そういった人が少しずつ世に出ている時点で、すでに日本は、時には今までなかったようなものも受け入れて、いい方向に(別にきゃりーぱみゅぱみゅを推しているわけじゃありません)向かっているのかもしれない。

どこぞの海外志向の人間が言う、世界のどこかの国がいいなら、そいつがそのどこかの国に住めばいい話で、日本がその国の模倣をわざわざする必要なんてない。外の世界から見た日本は、今のままで十分に美しく、思った以上に愛されている。あとオタク文化はやっぱり海を越えてしまっている…。俺はイタリアでそれを感じて帰ってきました。

IMGP8407.JPG青空の下、キラキラに輝くゴンドラ乗り場。IMGP8408.JPG出発の準備をするゴンドリエ(漕ぎ手)!IMGP8409.JPGいざ!出発!IMGP8410.JPGIMGP8411.JPG同乗したペルー人の夫婦IMGP8414.JPG海の向こうに見える教会がしぶい。IMGP8420.JPG船上で撮ったお気に入りの記念写真IMGP8424.JPG街の中も水路が網目のように通っているIMGP8431.JPG器用にゴンドラの合間をすり抜けていくIMGP8435.JPG橋の下も通り抜けていくIMGP8448.JPGIMGP8461.JPG「マルコポーロの実家だよ!」とゴンドリエが教えてくれたIMGP8466.JPGイタリアには町中にアナーキーマークが点在している。IMGP8475.JPGそして国旗をめちゃくちゃ愛している、どこにでもある。IMGP8483.JPG案内してくれたゴンドリエ、渋いおっさん。IMGP8490.JPG通称「ため息の橋」尋問室と牢獄を結ぶ橋で、ここを通る囚人が、ベネチアのこの景色を見れるのも最後か…とため息をついたことが名前の由来になっている。

1時間のゴンドラタイムも終わり、最高の気分で最後にベネチアを散策することに。ここは仮面カーニバルというお祭りが有名で、誕生は1162年に戦争に勝利したとき、仮面をつけて仮装し、誰もが身分にとらわれずにサンマルコ広場に集って踊るということを起源に始まり、今では300万人が訪れる世界的な祭りになっている。毎年3月のはじめくらいまで行われていて、俺が行ったときはもう終わっていたけれど、仮面を売っている店は年中営業している。面白い祭りだなーと町中の仮面屋を見ていると、仮面が好きすぎて自分で仮面を作っているおっさんの店があった。IMGP8516.JPG俺らが行くと、喜んで仮装をするおっさん。

おっさんは仮面を作るのに凝りすぎていて、相場より少し高い値段で売っていたから、まともな仮面を買うのは厳しかったけど、どうせ何か買うならこの店で買いたいと思い、小さい仮面の置物を買った。商品をそのまま渡されることが多いイタリアで、このおっさんはプチプチでまず包み、新聞紙を4,5枚巻きつけて梱包するという、完璧な梱包をして見せた。本当に仮面が好きで、大切にしているんだろうなと思った。好きなことを仕事にしている人は、どんな国でも輝いている。


帰ってきてから自宅のぬいぐるみにつけさせて、みた図。次はでかいの買う!

早めに駅に到着して、フィレンツェへ行く電車が電光掲示板に出ていることを確認して、一安心。最後に駅前をぶらついて、名残惜しくベネチアを去る。本当に素敵な町だった。自動車もバイクも使えない、というのは、住人からすればかなりきついはず。なのに、そこで生活する人々はとても生き生きしていて、みんなこの町が好きなんだろうな、と思った。絶対にまた行きます。

俺らの乗った電車、「AV 9445 ROMA TERMINI」行きIMGP8517.JPGベネチア唯一の駅「サンタ・ルチア」IMGP8520.JPG色んな路上アーティストがいる。IMGP8530.JPGホームの高さは0、まぁまぁビックリする。フィレンツェへGO!!

以上、ベネチア編でした!次回はフィレンツェ編を書きます!アリーデベルチ!!(さようなら)

やりたいこと

冬の夜中の覚書です。あのときこう思っていたと残すための。公の場に公開するという、ある種宣言でもあるので、お暇がある人は見てください。

俺には、昔から好きなことが死ぬほどあります。きっと、好奇心旺盛ってやつだと思います。

テレビでなにか面白そうなことしてるのを見たら「これやりたい!」綺麗な風景が映ってたら「ここ行きたい!」って言い出す、そんな子供でした。

小さいながらに、それは簡単にできないってことは理解していて、「いつかタイミングが来るかな」なんて思ったりしていました。

少し歳を重ねて、少年と青年の間くらいになった頃、「待ってたって、タイミングなんてこない」と気づきました。もちろん、全てがこないわけではなくて、こないタイミングだってあるんだ、ということです。

きっかけは、たしか部屋の片付けをしていて「これはいつか使う」とか思って置いてたものを、何年か後に掘り出して捨てた時に感じたんです。「こいつを使うタイミングなんて、結局こなかった」って。

もうそれが、何に使うものだったかは忘れてしまいましたが、あの時俺が、行動を起こし、それを使っていれば、その時点で「タイミングはきていた」のです。タイミングは待つものじゃなく、作るものだと意識するようになりました。

さらに言うと、人の記憶には優先順位があります。今日思っていた些細なことを、明日覚えていられるか、なんて自分じゃわからない。言い換えれば、何かをしたいなと感じた時、今日しなければ、明日できるかはわかりません。タイミングはどんどん逃げていく。やはり、タイミングは思いついた時に作るんだと決めました。

そう確信した俺は、人生の夏休みと言われる学生時代、色んなことをやってきました。

「好きなことをやる」簡単なようですが、これが難しくて。なぜなら、俺はどこぞのバンドマンのように、どっかのネジが取れてるような人間ではなく、いわゆる「普通の人」です。

変わってると言われることも時たまありますが、客観的に自分を見ても、平均的な日本人男性だと思っています。思考も行動も。普通だと思ってるから、変わってるなんて言われると、少し嬉しかったりするんだと思います。天然気取りが天然と言われて喜ぶみたいなw 別に変人気取りしたことは一度たりとてありませんが…

で、そんな俺が、何か好きなことに手を出すとき。

もちろんやましいことをするわけじゃない。誰も俺のことを見ているわけじゃないし、監視しているわけでもない。そんなことはわかっているのに、本当にやってもいいのかどうか。タイミングは作るものだ!と決めた頃の俺は、どこかで悩んでいました。

きっとそれは、全ての責任は自分にかかるから。自分がやりたいと思ったことを、自分で準備して実行する。うまくいかなかったとき、ケツを拭いてくれる人も、気持ちの上の保険なんかもないから。とにかくどっかでビビってました。でも、ビビってばっかじゃいられないから、「自分で選んだ道からは逃げない。」ってことだけは決めました。

少し成長して、「自分にはもう自由な時間があまりない」と、前に思ったことがあります。

音楽が好きなのですが、好きと得意は全然違って、昔からとにかく音楽ができませんでした。

成績は、普通の教科と体育(この見た目の割に)はそこそこでしたが、とにかく音楽だけは、何を習ってるときもいい評価がついたことがなかった。いつも実技で死んでたので、筆記テストに全力を注いで、生き残って来ました。

そんな俺が、音楽は壊滅的だけど、ずっとやりたかったギターを買って、毎日基礎練習して、人の10倍は遅いペースで少〜しずつ弾けるようになったとき、バンドを組もうとしましたが、あまりうまくいかず。

「逃げない」の決意通り、ギター自体は今も毎日やっていますが、大学2年当時、今からバンド組んでも、まともに活動できる時間なんてないんだろうな、自分には、もう自由な時間はなくなってきているんだ。とおぼろげながら思いました。

そして実際に、あと何ヶ月かで俺の自由な学生生活は幕を閉じることになります。

来年から社会人になる同級生は、口を揃えて「社会に出たくない」と言います。

もちろん俺だってそうです。出なくていいなら、出たくないんです。本音は。

続けて、彼らは「社会は辛く厳しいから、出たくない」と言いますが、そこは違う。もちろん自分でも、その理由がウェイトを占める部分はありますが、俺としては何より、「好きなことをする時間がなくなる。」それが辛いです。

未だに、テレビを見てこれやりたい!ここ行きたい!こんなことできないかな?って、毎日思ってます。どうにか現実にする方法はないかって、すぐに調べてます。色んなものを創ってます。

「好きなことだけやって、生きていけるわけじゃない」ってのはわかってますけど、「生きていく中で、できるだけ好きなことをやっていきたい」んです。

こんな考えの俺は、きっと社会を、仕事を舐めてるんだと思います。

でも、仕事だけに人生を注ぐ大人もかっこいいけど、好きなことやって仕事もしてる大人や、好きなことを仕事にしてる大人だって、俺はかっこいいと思うんです。

悩みに悩んだ就職活動は

・好きなことをできる時間を確保できる職業

・好きなことを仕事にできる職業

この2つで死ぬほど悩みました。

そして、内定が周りでポロポロ出だす頃まで悩んだ上で、好きなことを仕事にすることにしました。

俺は、欲を言えばグラフィックデザイナーになりたかった。それは、大学の学部のこともあって、叶わなかった。

だけどそれは、高校のとき、デザイン方面に進みたいと進路相談で伝えた時、当時の担任に「死ぬほど厳しい」と言われて、「考えが甘かったんだ」と、諦めてしまった自分の責任。しがみつけばどうにかなったかもしれないのに、知識がなさすぎました。

そして進んだ、今の大学から選んだ、この先の道。

俺は、デザイナーではないけれど、デザインする営業マンになります。

デザイナーになりたいと話したら、専門に進めばいい、と言われました。でも、それは自分の中で、やると決めた就職活動からの逃げでした。

好きなことが好きなだけやりたいなら、フリーターになればいい。そう言われもしましたけど、男目線で言えば、ここまできていきなりそれは、人生からの逃げに思えました。

投げないこと、逃げださないことは一番大事と誰かも歌っていましたから、俺はこの就職活動の結果を抱えて、来年の4月を迎えます。

最初に言ったように、俺は「普通の人」なので、「普通の人生」を大きく逸れるようなことはできません。

小中高大と出て、社会というレールに乗る。鉄板も鉄板です。自由に生きる人から見れば、しょうもない人生でしょうが、俺は「出る杭」になれる存在ではないんです。打たれたくないですw

ただ、生きていく中で、できるだけ好きなことをやっていきたいと思っているので、「普通の人生」のレールに、好きなことの駅を沢山作っていく、そんなバランス感覚には自信があります。

振り返った時、好きなこと、やりたいことも沢山詰まっている、「普通の人生」のレールを作れるように、楽しく社会人生活を過ごしたいところです。

俺には、まだまだやりたいことがあります。

4月から、きっと時間は著しくなくなっていって、余裕もなくなって、思いついても何もできなくなって、気力もなくなる時期が来るんでしょう。

それでもきっと、未来の自分が好きなことをやってくれるよう、ここにこうして書きました。いつかこの文章をまた読んで、自らの手でタイミングを作って、そこから、逃げ出さずにいてくれることを祈ります。