月別アーカイブ: 2016年11月

就職して。

こうやってブログを書くのも久しぶり。

「金と時間が無いは言い訳」とどこかで聞いたけれど、本当にないから仕方ない。
思うこと、感じたことを文にしようとしたことは何度もあって、こうやって書き始めるものの、帰ってくる時間も遅いから書き始めが遅くて、次の日の仕事が迫ってきて、モヤモヤしながら眠りにつく。

休みの日は休みの日でひたすら遊んでるかマジでぐったりしてるか、ほんと0か100のどちらかで、久しぶりの更新になってしまいました。
今日はとにかく、今の自分の気持ちを書き留めておこうと思います。

愚痴っぽくなるかもしれませんが、理由は1つだけ。初心忘れるべからずと言いますか、自分が思う納得できないところ、仕事の中で持った疑問と今の気持ちをしっかり書き留めて、それが当たり前となってしまわないように。
仕方ないにせよ、やるしかないにせよ。その疑問だけは持ち続けられるように。その思いのみです。

最近は、ひたすら働いてます。
自分でこんな感じのこと言うなんてダサいと思ってましたが、客観的に見てもそれなりに頑張ってるだろうと大真面目に思うんです。

「疲れたー」って、つい言っちゃいますけど、できるだけ「頑張ったーー」って思うようにしてます。その方が精神衛生上良いのかな〜と。

なんたって、パワハラなんかないので死にはしませんが、勤務時間的には電通の亡くなった子なんて目じゃないくらい働いてます。
金曜ももちろん朝から働いて、事務所の鍵を閉めて、終電で帰ってきました。まぁ会社に2〜3泊くらいする人もいるので、帰れるだけマシです
そんな僕の職業は、デザイン制作・印刷会社の営業マン。

別に俺んとこやべ〜みたいな可哀想自慢をしたいわけじゃなくて、広告業界ってのはどこもやっぱりこういうものなんです。雇われである以上、働かせてもらってるだけで感謝って気持ちは持つようにしてます。

そこに別に不満はないし(そりゃ帰れるものなら早よ帰りたいけど、終わらないものは仕方ない)、今の僕のメインの仕事である毎日の新規開拓、いわゆる飛び込み営業も仕方ないもんだと思います。

ただ、飛び込み営業について思うことはある。
「自分のやりたいことで人を喜ばせることができる」ってとこに魅力を感じて就職したのに、死ぬほど嫌がられること、迷惑がられること。

もちろん嫌がられるのは当たり前で、飛び込みなんて誰に来られてもきっと嫌だし、自分が先方の立場になってもやっぱり嫌。

ただ、ウチの会社としても、新しいお客さんを探すってことはこの斜陽業界では至上命題であって、最優先事項なので、仕方のないこと。

頭では分かってる。理解もしてるけど、ただ、「こんなはずじゃない。」って思う。今はやるしかない。でも、この感情はずっと持ってないとって思う。納得してしまってはいけない。

理由は後述しますが、こう書くと、飛び込み営業が辛くて悩んでんのかな…って印象を与えてしまうかもしれません。でも、別に飛び込むのが嫌なわけじゃないんです。

まぁ、思ってる以上に(?!)飛び込みで、ただただいきなりどっかの会社の受付に、受付がないなら直接事務所に「はじめまして〜」って言って「は?」って対応されるとこから始まるんですが、そりゃやるまでは「マジで行けんのか?」って不安に支配されてました。

ただ、初っ端西成とか門真とかの👿なとこ行ったせいか、そもそもバンドマンにデザインさせてくれって頼んでた頃があったからかはわかりませんが、思いの外一瞬で慣れて、2日で「セールスお断り」の看板5枚抜きくらいは余裕でできるようになりました。

これを読んでる人で、飛び込みの対応してる方がいたらごめんなさい。
話を戻して、、、

そんなん感じなので、その場はどれだけ足蹴にされてもなんとも思わない。別に二度と会うこともない人に何言われたって、傷ついてるのが勿体無い…ってなるだけ。

ただ、仕事が終わって家に帰ってるとき、「俺は人様をイラつかせるために、迷惑をかけるためにこの仕事をしてんのか?やりたいことで、人を喜ばせたかったんじゃなかったんか」と思うんです。

そもそも、僕は割とドライで自己中な人間なので、決してネガティヴな感情ではなく、現実的な意見として、「誰も俺のことなんて興味持って見てないやろうし、好きにさせてくれよ。」とか、「人の視線気にして、何かを譲って遠慮したりして損するなら、そんなもん無視して生きたい」とか、基本的にそんな考えです。

でも、自己中がやりたくてやってること、デザインだったり絵だったり何かを作ることだったりで、喜んでくれる人に出会ったとき、これ以上ないくらいの幸せを感じたんです。

そもそも、自分がやってることなんて、誰も理解してくれんと思ってました。高校くらいまでの頃は絵が上手いキャラでしたけど、どんどん関わる人も増えて、自分なんかより才能ある人なんていっくらでもいて。
別にそれで興味なくしたり、冷めたりはサラサラなかったけど、忘れもしない高3の進路相談。

デザイン方面に進みたいと言った俺に、お前なんかじゃ無理って担任が言ったときに、たしかに自分は、そういった人様に認められるものを描ける人ではないんだろうなって、自分をカテゴライズしたんです。

だからこそ、ちょこちょことデザイン活動をする中で、俺の描いたモノを良いと言ってくれて、お金を払ってくれる人がいることが本当に嬉しかった。本当に嬉しかった。(大事なことなので2回言いました)

その気持ちが忘れられなくて、一度は諦めたはずのこの道で、結局働くことにしました。営業ですが。

長くなりすぎましたが、だから飛び込みで人様に迷惑をかけているという事実が、毎日毎日僕の首を絞めてきます。
でも、そんなときに思い出すのは、尊敬する人に貰った言葉。

人生は常に己の選択。

あっちだこっちだというような選択肢の意味とは少し違って、「お前は今自分で道を選んでここにいるんだろ?」っていう意味。

仕事にブツブツブツブツ文句を言うなら、辞めて転職すればいい。自分で「まだ、この会社に」って道を選択してるくせに、文句ばっかたれんなって、そんなちょっと強気な考えです。

そもそも、こんな状況なのは言ってしまえばそれは、僕に実力がないから。

もし僕が最高にセンスあるデザイナーなりイラストレーターだったら、待っててもいくらでも依頼が来るだろうし、こっちから行けば「そらもうやってくださいよ!」って言って貰えるんだろうと思います。

いつかそうなるために、僕はこれからもしばらくは、自分で選択してこの会社にいる。

今は理想と現実のギャップの中で苦しんでいるけど、この経験がきっと役に立つはず。
この毎日が、「自分が良いと思うのはもちろん、人が求めてくれるような魅力的なデザインを、絵を描かないと」と思わせてくれる。「しょうもないデザイナーになろうものなら、人様をイラつかせて、迷惑がられる人生を送るしかない」と毎日思わせてくれる。

だから、飛び込み営業の違和感と戦いながら向かっていくんです。

そんな「人生は常に己の選択」は、僕の好きな言葉ですが、逆に大嫌いな言葉は社会人なんだからです。

社会人なんだから、時間は守りなさい。

社会人なんだから、○○はできて当たり前。

社会人なんだから、体調管理くらいしろ。

社会人なんだから、土日もお客様の対応しろ。

社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ

社会人なんだから、社会人なんだから、、、

本当に嫌いです。

ウチの会社は割とゆるい空気なので(上はなかなかパンチ効いてますが、どこもそんなもんだと思います)、何かやらかして嫌な上司とかに直接言われたわけじゃないんですけど、自分の頭に浮かぶ数々の言葉は、口にすれば「社会人なんだから」で打ち消されるんだろうな、と思うんです。

それほどまでにこの「社会人なんだから」という言葉は力を持っていると思うんです。そのときそのとき、使う人によって少しずつ意味の変わるマジックワード。

だっておかしいですよ。

例えば、「社会人なんだから体調管理くらいしろ」って、人間生きてたら風邪くらい引くでしょう。
そもそも、イジメでも受けてない限りわざわざ好き好んで風邪引くわけがありません。しんどいし。社会人である前に「人間なんだから、体調管理はしてる」んですよ。

もちろん大事なプレゼンの前とかは必要以上に気を配ったり、そういうタイミング的なものならわかりますけど。一生気も張ってられるわけでもなし、限度があるでしょう。

で、「社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ」こいつもどうかと思うんです。

これは僕らの業界が少し顕著なところもありますが、1日の14,5時間を普通に会社で過ごすわけです。
それはもう仕方ないことです。そのおかげで、尊敬する同僚や、ライバル意識のある同僚、気の合う同僚ばかりなら、それは仕事も捗っちゃいます。

でも、もちろん嫌いな人やロクでもない人も一緒です。
ウチの会社は、土日を加味したって、家族より会社の人と一緒に過ごす時間の方が余裕で長いんです。

人それぞれ家庭環境に違いはありますし、僕は一人暮らしなんで今はあまり気にしてません。
が、愛する家族より嫌いな人やロクでもない会社の人と過ごす時間の方が長いって、どんな人生なんですか。疑問を持たないのが不思議です。

結婚して子供ができて、会社の人より家族とより多く過ごしたい、それがなかなか叶えられない夢物語で、現実的に無理なのはわかります。
ただ、多くの時間を一緒に過ごす人は、せめて自分と気があう人がいい。いつかは、自分の意志で一緒に働く人を決められたらと思うんです。

今年の初め、僕を選んで働きたいと言ってくれた人がいたように、僕も、この人と働きたいと思った人と働く人生をいつか送りたいです。

過剰な「社会人なんだから」には社会人である前に1人の人間なんだから、従いません。僕らには生まれながらにして、最大に尊重されるべき幸福追求権がある。なんか訳のわからないWEBで稼げる講座みたいな言い草になっちゃいましたけど、本気でそう思うんです。

そして最後は熱量。
とにかく4月に就職してから、熱量を持って仕事に接することを意識してきました。
ウチの会社の研修は5日で終わり。

すぐに正式配属されて、仕事については現場で学べってスタンスです。
先輩に同行させてもらい、途中から入った仕事の打ち合わせでわけわからないものが大半でしたが、必死で話についていき、意見を求められている場では、さすがに何もわかってない身で口出しはしないにせよ、頭のなかでアイデアを大量に考えたりして、毎日を過ごしました。

そして、飛び込み営業で自分が取ってきた仕事には、思いついたことは全部やるスタンスで、過剰と言えるほど資料を作って準備したり、それを先輩に訂正されたら舐めんなよってなって(別に舐められてない)、訂正されてないところまで悔しくて直したり、それでまたアホほど遅い時間になったり、、、と、まぁ色々ありましたが、とにかく熱量を持って働いてきました。

今だって自分1人でアレコレ言われながら企画提案書を書いてます。逃げ続けてきたパワーポイントとの戦いです。

そのなかで思ったこと、それは、ただ金だけのためには働きたくないということ。

そう、最後は端的に言うと、金ばっかに辟易したって話です。

先述どおり、僕は営業マンです。

営業である以上、いわゆる「ノルマ」ってやつがあります。1年目である僕の肩にも実は既に何千万という額が乗っかっているわけです。
それを消化するには、稼ぐしかない。

お金をもらうしかない。

それは仕方ないことです。

あまり書きませんでしたが、ウチの会社は中小企業ではあるものの、それなりの規模の会社ではあって、デザインやらなんやらかんやらを1から10まで自社でできる体制になってます。ということはそれだけ関わる人間も多く、しっかりお金を払わないといけない。そのためノルマも多いというわけです。

やはり、仕方のないことです。
この前、日頃取引のある企業さんから、大型案件の打診がありました。

先輩にサポートについてもらい、まずは打ち合わせ形式でお話を聞く。

すると、先方の口から出てきた言葉
「まぁ、こんなもの作っても誰も見ないんですけどね」

え?

そんなこと言われて、作る側の僕は全く気が乗りません。もちろん仕事なんだから、気が乗らないとか舐めたこと言ってる場合ではない。そんなことはわかっているし、しっかりとやるつもりだけど、少なくとも先述したような熱量は出てこない。熱を出すための火種も炭もない。

どうにかならんものかなと、飲みの席で先輩に聞いた。

「誰も見ない、誰も必要としてないものを作ることに、どうしてもやる気をマックスにできないです。どうやってモチベーションを保ってるんですか。」

帰ってきた答えは

「ええやん。金もらえるんやから。」

きっとこれは正しい答えなんです。なぜなら、うちの営業の口癖は皆これなので。

それに、先輩は営業としてとても優秀な人で、尊敬できる点も多々ある。
それでも、これは納得できない。

仕方なくなんて、ない。

僕はこの仕事を、「誰も見ないものだけど、誰にでも必要なもの」とカテゴライズして、どうにか今、熱を高めていっているところです。
これからも絶対、僕は「金だけのために」働かない。
「自分のため」か、「喜ぶ人のため」に、ありったけの熱を投じて働く。それが社会人として間違っていると言われても。

愚痴っぽくなってしまいましたが、以上です。
いつかまた読み返した先の自分が、「流されてないな、何も変わってないな」と思える自分でいることを信じます。