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パンクバンド・SHAKALABBITS

年内で活動休止を発表したSHAKALABBITS。

高校の頃から好きだったバンドが今、ラストツアーを回っている。
自分の好きなバンドがこういう状態になって、しっかり最後のツアーを回ることって、あまり今までなかった。

正直、関西に来れば絶対に見に行ってたわけじゃない。チケット代はメジャーアーティスト相応の値段で高かったし、ライブに行くのは年に1,2回の頻度。活動当初の97年なんて、俺は4歳だから、長い歴史を見ているわけでもない。

だからずーっと追いかけてるファンの人からしたら「お前程度のやつが」って感じかもしれないけど、俺には俺なりのSHAKALABBITSへの思いがあって、色んなものを得てきた。

なので、文章にして残すことにしました。
別にライブレポートじゃないので、完全に自分目線の主観のストーリーです。

そもそも、SHAKALABBITSを聴くまでガールズボーカルのバンドを好きになることってなかった。

とあるアーティストにハマってからパンクに突き進んでいって、ハードコアやメタルばかり聴き始めて、「激しい=カッコイイ」って時代だった頃に飛び込んできたSHAKALABBITS。
最初に思ったのはポップでガーリーだけど、芯が詰まったパンク。そんな印象。

激しいのからゆっくりしたのまで、色んなジャンルを聴くけど、俺はやっぱりパンクが好き。
パンク全開のサウンドじゃなくてもよくて、パンクの魂が入ってるアーティストが好き。

といっても、別に、パンクに影響を受けてモヒカンにしたわけじゃないし、
パンクを聴いてこんな性格になったわけじゃない。

自分の思っていること、
自分の感じていること、
自分の目標、

あらゆる面で自分の言葉を代弁してくれる、自分の性格に共鳴する音楽がパンクだった。

SHAKALABBITSはガールズボーカルだから一見優しく見える。でも、並み居るパンクバンドの中でも、特に強く芯を感じた。

人によって、パンクは何かなんて違うと思うし、意味も要素も沢山ある。
そして、俺にとってのパンクの中には「折れない信念と強い意志」がある。

ボーカルのukiさんとmahさんからは、それをいつも感じた。
インタビューを読んでも、ライブを見ても、どんなポップな曲をやろうが、この人たちはパンクスだ。って思ってた。

そして、活動休止を発表して最初のツアー。
一旦、最後となるアルバム「Her」を出して、大阪にやってきた。

ある曲をする前に「この曲はずっとあったけど、何度悩んでも、歌詞をつけることがどうしてもできなかった。それでも!!私は諦めなかった!だから、アルバムに入れることができて、君らの前で歌うことができてるんだ!」って話していた。

諦めないって1番難しい。人生に小さな妥協はたくさんあると思う。
言ってしまえばアルバムなんて、一般的に言えば10曲あれば成立する。
Herは12曲あるから、1曲足りなくったってリリースできないことはない。

でも、そこで妥協せず、折れずに踏ん張る力、諦めてたまるかって思う気持ちこそが、ただの意地ともとれるこいつが、パンクってものの一角を担っている大事な要素なんじゃないかって思う。

そして始まるラストツアー。関西圏は後半に固まっていた。
前半に1本くらいはいきたいと思って、友達と相談した。
結果、運転をしてもらって、比較的前半に日程が組まれていた金沢のツアーに行けることになった。

 金沢のVAN VAN4というハコは小さめのハコだった。

自分の好きな聴きたかった曲も沢山やって、人がパンパンじゃなかったこともあっていい感じに楽しんでいると、ギターのたけしさんが喋り始めた。
ツアーにまだ行っていない人も見るかもしれないから少し伏せると、「別にやりたいことができた」ということだった。ヨウスケさんも同じようなことを話した。

2人とも、かなり明確なビジョンを持って口に出した言葉で、その答えを聞くと多くの人が納得するような内容だった。

 バンドなんて、当人たちがやりたくてやってるのが1番で、無理してやってるとほころびが出てきてとても悲しい終わり方をしてしまう。
そんなバンドをたくさん見てきたし、実際に6年前のSHAKALABBITSだってそうだった。

活動休止は、正しい選択だろうって素人ながらに思った。

「私だってSHAKALABBITSが大切だから、簡単な気持ちで認めたわけじゃない!だけど、2人がそうしたいっていうなら、そうさせてあげたい。」とukiさんが言う。
mahさんもそれを受け入れつつ「来年から、どうなるかなんてわからねーよ。俺は、2人みたいに次が決まってるわけじゃないから。どうなるか本当にわからない。けど、俺がやりたいことはコレで、これからも今まで通りのことしかできない。」と話す。

完全に両サイド2人の気持ちが次へ向かってしまっている以上、今回の活動休止が覆ることは確実にない。それを目の当たりにして、「見れるだけ見ないと」という思いがとても強くなった。

とにかく目に焼き付けないと、いけるとこ行っとかないと、そう考えて4公演のチケットを抑えた。

大阪
京都
神戸
東京ファイナル

の4公演。

でも、京都と神戸はHawaiian6のECHOESが被っていた。例年行っているFIGHT BACKの出店と、中学の頃から聴いてきたHawaiian6の20周年を見届けたい気持ちが強かったから、この2公演は行かないことにした。

そして、東京の新木場の日は、大阪でSTORMY DUDES FESがある。
ECHOESと対をなすハードコアまみれのイベントだけど、大阪に人が集まるって点では俺の中ではECHOESをわずかながら上回っていて、1年で1番の楽しい日、くらいの感覚になってる。

だけど、俺はこの日を蹴る勢いでいた。
それくらい、SHAKALABBITSのラストライブを見届けたいって気持ちが強かった。

だから、俺のSHAKALABBITSの予定は

10/8 梅田トラッド
11/4 新木場スタジオコースト

の2本。ここに全てをかけようと思った。

 

そして、10/8。大阪・梅田でのライブ。
ツアーのセットリストは普段共通のSHAKALABBITS。
ただ、今回は2パターンあるらしい。

1曲目から金沢とは違う曲。
別のパターンだった。
地域によって数曲の変更はあるけど、これで今回のツアーの大体の曲は聴くことができる。
あまりどの曲をやったやってないは気にしないし、パンクのライブはダサいかカッコいいか、2択くらいでいいと思ってるけど、単純に嬉しかった。

 

途中、どっちのセットリストでもやってないという最初に聴いたアルバムの曲をやった。
「思い出すたびに強くなっていく」って唄う曲。
バーニングシリンダーっていうライブアルバムで死ぬほど聴いたのを思い出しながら、自分たちに跳ね返ってきてるのかな、とか思いつつ聴いていた。

ずっとCDでしか聴いてなかった曲もやった。

金沢のときとはかなりイメージが違って、凄く楽しめた。

控えめに言っても、本当にいいライブだった。

ライブを見ながら、色んなことを考えた。
実は今回、俺はSHAKALABBITSのメンバーに渡そうと、自分で作ったTシャツを作って持ってきていた。

長くなるからざっくり説明すると、SHAKALABBITSの活動休止が発表された日に、俺は復興支援の一環で行う、ワークショップイベントに使うTシャツのデザインを考えていて、ちょうどこの気持ちを形にしようと思った。

まずウサギのイラストを描いて、そのときSHAKALABBITSを弾いていた俺のギターを持たせたデザインを作った。

将来その子供たちに出会えて、あれ実はSHAKALABBITSってバンドが活動休止するって聞いた日に考えてさ〜みたいなこと話せたら素敵だよな、とか思いながら。

そしてイベント当日。

内容としては、子供たちにデザインを選んでもらって、それを持ってきた無地のTシャツに一緒にプリント。出来上がったらそのままプレゼント〜っていう、無料イベント。

蓋を開けてみれば、ウサギをプリントする子供たちの多いこと多いこと。何種類か作ったのにそればっかり出るし、みんなとてもいい笑顔でプリントをしてる。

ネガティヴな気持ちで考えたデザインに、凄くポジティブなパワーが込められた気がした。

俺はそれをSHAKALABBITSに伝えたかった。

被災地で子供達が喜んで着てるTシャツとお揃なんすよ!なんて教えたら、少しパワーが伝播するんじゃないか、みたいなことを思ったりして。

mahさんにTwitterでそれを伝えると、ありがたく受け取ってくれるという。
俺は、直接渡したいと強く思っていた。

特に、ラストツアー前のSHAKALABBITSは、絶好調!って感じではなかったので、ツアーのお守りとして前半に受け取って貰おうと考えた。しかし、金沢では、ライブハウスのセキュリティの硬さで断念…。

けど、mahさんが時々前に出てくるってこともわかったし、大阪ではそのタイミングで呼んで投げ入れればどうにかなるわって思った。

話を戻して、、、

いざライブ中、mahさんが前に出てきて渡しに行こうとしたとき「最後のツアーで突然ポッと出の面識もないメガネが、わけわからんこと言って直接Tシャツ渡そうとしてくるって、それって突然歩み寄ってくる人みたいで怪しいし、仮に自分のことを信じてくれたとしても、都合が良すぎないか?」って考えが頭をよぎった。

「今まで、それなりに追いかけてきた人たちがやるなら説明もつくけど、大した数も行ってないくせに、渡したいだけなら別にどんな手段でもいいはずだろ、、、」そんなことを考えるうちに、自分がもっともらしい理由でメンバーに近づこうとしてるヤツに見えてきて、ダセーな。って結論が出た。

そして「直接渡したい」ってのにこだわるのはやめて、本人の手元に渡りさえすればいいや、って足長おじさんスタイルへと思い直した俺は、タイミングを見てSHAKALABBITS直付きのローディさんに渡した。

メンバーとの距離も近いし、人としても信用できそうだったから、この人なら大丈夫だと思って声をかけると「マー君ね!わかった!」と言って受け取ってくれたから、うまく渡ったと信じたいです。

そうこうしてるうちに、エンディングが近づいてくる。
湿っぽい空気もあまりなく、本当にいいパンクのライブだった。

たかがパンク、たかがライブ。
だけど俺は、こいつに色んな感情を植え付けられるし、色んなきっかけを与えられる。

アンコール。
何曲か演奏したあと、両サイド2人が今日も別の道を歩きたいということを話した。

そして縦列2人にマイクが映る。
mahさんは「4輪のタイヤのうち、2輪が別の方向を向いちゃ走れねーよwでも、形は変わるかもしれないけど、俺がやりたいことは音楽しかない。俺はこれからも曲を作ってドラムを叩いて生きていく」といった。

金沢では、一言目が「どうなるかわかんねーよ」だった。

具体的に決まってはないんだろうけど、何かが見えたんだなと思った。
ukiさんも話す。「私には選択肢なんてない、歌が別に得意ってわけじゃないけど、私は歌が歌いたい。自分が考えていることを、これからも詩にして、歌で表現していきたい。」

2人の話を聞いたとき、mahさんとukiさんが、それぞれなのか、一緒なのかはわからないけど、きっと帰ってくると確信した。

金沢と大阪のライブで、
決して、聴きたい曲が全部聞けたわけじゃない。
決して、全てに満足したわけじゃない。

だけど、ファイナルに行っても聴きたい曲全部を聞けるわけはないし、100%満足なんてできない。

だから俺は、パンクであるあの人たちを信じて、待つことも答えの1つなんじゃないかと思った。
パンクは人が鳴らしているんだから、この人たちを待っていれば間違いはない。

これからどんな困難が待っているか想像もつかないけど、それでもきっと帰ってくるあの人たちに「待ってましたよ」って言える人でありたい。
直接渡さなかったTシャツも、覚えてくれているかどうかはわからないけど、そのときのちょっとした話の種になれば、それが1番いい形なんじゃないかな、って思う。

そしてその頃には、きっと今いるファンの何割かはいなくなってしまっている。
10年間以上見続けてる人とかは別だけど、このラストツアーで久々に来たって人とかは、特に。

人間の情熱を長続きさせるのは難しい。
今、燃えたぎっている情熱が冷めてしまったら、どうなるかわからない。

ファイナルまで見たら「SHAKALABBITSに満足」というより「なんだかんだ最後まで見た自分に満足」してしまうんじゃないか。
いざ帰ってきたとき「あのとき最後まで見届けたし、SHAKALABBITSじゃないし、なんかいいや。」ってなりはしないか。

「んなこたない!」って思える人はそうなんだと思いますけど、今まで好きだったのに興味をなくしてしまったものはいくつありますか。

俺だって「もうすぐ最後だから、とにかく沢山見なきゃ!目に焼き付けなきゃ!」って思いは、確かにあった。
きっと喧嘩別れの状態だったらその気持ちを持ち続けたんだろうけど、俺の中のソレは、金沢と大阪で消えた。

これからも続くあの4人の道を、今までと同じように、定期的にタイミングとお金に都合をつけて、細くとも長く応援し続けることが、俺にとってのSHAKALABBITSとの向き合い方。

だから、11/4の東京・新木場のファイナルに絶対行かなきゃって気持ちはなくなった。

まだ、もう行かない!と言えるほど割り切れてはいないけど、それは前までの「SHAKALABBITSを見届けにいく」という感覚よりも「曲を聴きにいく」ためだと思う。

色んな人に影響を与えて、色んな人の人生を変えたSHAKALABBITS。

各地のラストツアーを回って、最後の大阪公演が終わった今、あと5回のライブを残して、火が消えようとしてる。

だけど、終わらない旅に恋をしているあの人たちは、きっと少し小さい火になってともり続ける。
その火が消えないように、ちょこちょこと油を注げるような存在で入れるように、俺はこれからもアンテナを張り続けようと思います。

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THE SKIPPERS pre.PUNK THIS TOWN 2017

8/6、真夏の日曜。大阪の池田市、猪名川運動公園というところで行われた「PUNK THIS TOWN」というイベントに行ってきました。

 
THE SKIPPERSが主催するPUNK DRUG NIGHTの後継にあたるイベントで、快晴のなかスキッパーズの盟友とも言えるようなバンドが次々に出演し、その度に出てくるジャガーさん。

夕暮れも近づいてきた頃、池田の大御所・ゲルググから渡されたバトンを持って、スキッパーズが登場。速攻ライブをスタート。
幾度となく聴いてきたアポロがやっぱり1曲目で、ぶっ飛ぶキッズ達の少し後ろから全体を見る。
最初は正直、フェスで見るスキッパーズだ!テンション上がるな〜!くらいにしか思っていませんでした。
そして最初のMC、ジャガーさんが喋り出す。

「PUNK THIS TOWNへようこそ!
今までずっと友達・仲間のライブを見てたけれど、これはまだ夢なのかな、起きてないのかなって思ってます。

ほんとに、俺ら主催か?ってずっと思ってます。俺ら主催、、、やんな?
あんまり言わないけど、今日は言う。みんな、みんな本当に今日きてくれてありがとう。
俺は高校生の頃までずっとかっこ悪いやつで、そこから抜け出したくて、変わりたくて池田を出てTHE SKIPPERSを始めた。
あれから15年。これがかっこいいって思ってバンドを続けてきた。自信もあった。

でも、売れない。ライブをやっても売れないし、CDを出しても売れない。やけど必死で続けてやってきた。
池田にいた頃はかっこ悪くてダサかったけど、いつかここでライブして、かっこよくなったところを見せてやる!

そう思ってたら、色んな人が力を貸してくれて、今日みたいな日ができました。
ギターもまともに弾けない、歌も歌えない。そんなギター小僧が夜中に猪名川に来て、作ったダサい曲をアンプもないのに弾いて、歌いながら思い描いた夢が、今日です。

最後まで、楽しんで行ってください!

LOVE & PEACE & PUNK ROCK

俺たちが、THE SKIPPERS!!!」

 
わかりやすく文章にして見たけど、3人に1人くらいは「?」ってなりそうなくらい、言葉足らずだったMC。
でも、その言葉には、相変わらず一点の曇りも背伸びもない。120%の熱量がこもった本気の言葉。それは会場にいた人たち、みんなに伝わってた。

久しぶりのスキッパーズの晴れ舞台。

僕はまず、久しぶりに見たジャガーさんの変わらなさに驚いた。

 
あの人は、自信はしっかり持っているけど、自分を高くは見積もらない人で、「世の中から見た自分」というものをすごく理解しているイメージがある。

 
初のワンマンをした日も「本当にみんな、俺らだけを見に来てくれてるんか…」と、信じられないような気持ちと、感慨深い気持ちが入り混じった顔で話していたのを覚えています。

 
2010、2011年?くらいから僕はスキッパーズを見ていて、それでも所詮6,7年。スキッパーズの歴史で見ると、1/3程度でしかない。そんな僕がスキッパーズのことをよく知っているなんて言えるはずもない、、、でも。

 
キングコブラで前身のイベントをやって、売れ切れなくて。

 
BIG CATで前身のイベントをやって、売り切れなくて。
 

なんばハッチで前身のイベントをやって、売り切れなかった。

 
売り切れる売り切れないが全てじゃないし、それでライブのクオリティが変わるわけじゃない。
それでもきっと、大きいところを借りて腹くくってイベントを作る以上「ソールドアウト」ってのは一つの目標になっているはず。

 
そんなスキッパーズが今日、当日券はあるものの事前販売の1200枚のチケットを売り切って、自分達で作り上げたどでかいステージに立って演奏している。

それでもジャガーさんは何も変わらないまま、天狗にもならず、俺らがこんなところで、、、夢のようや、と目の前の風景を見て喋っている。

 
ジャガーさんは、何も変わってない。

スキッパーズは、やっぱりかっこいい。

今日という日を、絶対に目に焼き付けなきゃいけない。

 
直感でそう思いました。
話は変わって、僕とジャガーさんはそこそこ前から面識はあって、あの人は本当に僕に良くしてくれていて、ずーっと近くにいたわけじゃないけど、とても近くにいた時期もありました。

 
今、僕はデザインという道に公私ともにのめり込んでいますが、生まれて始めて自分のデザインを形にしてくれたのがジャガーさんなんです。(パロディでしたがw)

 

この前初めてジャガードッグに行ったら「ゆうせいのステッカー出てきたから貼ってん!!」って言ってくれました。

そんな風に結構仲は良かったんですけど、自分の中では少し後悔があって、それがなかなか飲み込めなくて、しばらく距離を置いていました。

 
そりゃ、たまに新曲出せばチェックするときもありますし、フェスとかで会えば話しますけど、ライブハウスみたいな狭いコミュニティでスキッパーズを見ることは避けていたように思います。

 
そんなものが全部吹っ飛んだ、、、ワケではないけれど、それでも、久しぶりに見たジャガーさんの「本気の目と本気の言葉」には、固く凍りかけてしまっていたものを溶かす力がありました。

 
あの日から何年たったかわからないけど、なかなか飲み込めなくて、ずーっと喉につっかかっていたものが取れた気がして、心の底から、「スキッパーズはやっぱり最高のパンクバンドだ。」

そう僕に思わせてくれました。

だから、目に焼き付けたいと思ったんです。

 

ジャガーさんがまた話しだします。

「こんなこというの、ダサいのわかってる。

ダサいのわかってるけどいう。
みんなほんまにありがとう。これからも力を貸して欲しい!

もっともっと俺らはかっこよくなって、かっこよくなった姿を見せるから!


いつもの声で叫ぶ。
バンドの魅力は沢山あって。

その魅力の1つは、高そうなカベをぽーんと飛び越えていくことだと思っていて。
突き抜けたバンドってのは常人では見えないような壁すら飛び越えていって、そういったところに魅力を感じることもあります。
すっげー!!バンドスッゲー!!って。

夢あるな!!とか言ったり、しますよね。
 

でもスキッパーズはそうじゃない。
いつだって背伸びのない等身大で、いつだって泥臭くて、15年間、大なり小なりはあれど、小さなライブハウスで連日連夜ライブをして。ときに大きなイベントに挑戦して。

 

それを、ずーっと本気で折れずにやり続けてる。
そんなジャガーさんの周りには、気持ちのいい人たちが集まります。 

 
あの破天荒な性格だからしょっちゅう喧嘩してるし、嫌われることもあるんだろうけど、ジャガーさんのことを慕っている先輩・後輩からの信頼度は普通じゃ考えられないくらい高いと思う。
だから、ジャガーさんの見る夢をみんなで見たいと思う。

だから、みんな力になれることがあるなら、手を貸そうと思う。

だから、実際のPUNK THIS TOWNの運営の現場を仕切っているっぽいたかおさんや、ブロンズチームも、準備に奔走しようと思う。

僕は、それはジャガーさんの人柄あってのものと思っていました。

たとえばそれを自分に当てはめてみると、あの人みたいに酒を飲まないから、スパークしてはっちゃけるわけじゃない。

性格は負けず劣らずややこしいとこがあるかもしれないけど、殴り合いの喧嘩はまぁしないだろうし、いい曲が作れるわけでもない。

そんなこんなで、自分がああいう形で人望を持つのは無理なんだろうな、となんとなく考えていました。

これはずーっと思っていました。

 
それもあの日に、壊されたんです。
PUNK THIS TOWN前日、8/5に仙台から10年ぶりに大阪に来たspike shoesがライブ中に「新しい事を始める勇気!!やりたいことを続ける情熱!!」と叫んでいました。まさにこれはスキッパーズにも当てはまることで。
結成から今年で15年。

ジャガーさんは僕の知らない頃から、きっと何も変わらない。ジャガーさんのままなんです。
いつだって本気で、

いつだって正直に、

いつだって折れずに、

ここまでやってきた人だから、
だから、たくさんの仲間と一緒にこんな日を作ることができたんじゃないかと思います。
ただただあの魅力的な(?)性格だけで、こんな日が作れたわけじゃなく。

「本気で、正直に、折れずに」ずっと生きてきた日々に、ジャガーさんの持つ「人柄」っていうスパイスが入ったから、こんな日が出来上がったんです。

 
あの酒癖でバンドやってなかったら、ただのヤバイ兄ちゃんです。
あの人の持ち前の性格を羨んでしまった日もあったけれど、そんな言い訳してられねーなと思いました。

 
僕は僕のやり方で、これからもデザインの世界を、あの人みたいに「本気で」「正直に」「折れずに」生きていく。苦労せず得るものは無し。

そうしていれば、フィールドは違っても、いつか見たことのない夢の景色が見れることは同じなのかもしれない。

 
僕は、自分の信念を持って生きているし、ブレたことはないつもりですが、スキッパーズのあの30分で、自分の生き方の芯をもひとつぶっ太くしてもらえたような気がしました。
それだけ、自分にとって得るものがあったあの日のライブ。

たかが音楽、たかがライブ、たかがパンク。

ただただウェイウェイ盛り上がって終わるライブもあれば、自分の生き方や何かに気づかせてくれるライブもある。

音楽で世界は変わりませんが、人1人の思想や生き方は十分に変わる。

 
家でダラダラしたり、

昔からの友達とバカ話をしたり、

そんな時間ももちろん大事なんですけど、ときには、別に音楽じゃなくとも、それより大事だと思えること、夢中になれることを見つけて時間を費やさないと、人生がもったい気がします。

やりたいことをするには人生はあまりに短いし、

やりたいことのない人生はあまりに長い。

どうせなら、長い人生を短く感じるくらいに充実した人生を送らなきゃもったいないと思うんです。

何より、夢中になって打ち込んだ時間は無駄にならないし、時たま自分の思いもよらないところまで連れて行ってくれる。

人によって、スポーツ、料理、アート…色々あるんでしょうけど、一歩進めば極める道が始まる。

それは、きっと人生を豊かにするはずなんです。

少なくとも、 僕はこれからもそれを信じて生きていきたいし、きっとそう信じて生きてきたスキッパーズの生き様を見て、本当にかっこいいと思いました。

そういえば、終わってから友達とみんなでいたときに、ジャガーさんに遭遇。

「色々……思い出すメンバーやな」っとなんとも言えない表情で話して、1人1人と握手をしてから、「あのMCは全部嘘やから!今日のために台本書いたんや!」って言いながら1人ひょこひょこ消えていきました。
照れ屋なパンクロッカーの旅に、これからも関わっていきたいです。

 
誰に勧められたわけでもなく、

自分で見つけて、

自分の目で見て、

自分の耳で聴いてきた、僕の好きな音楽達。

自信を持って沢山の人に勧めてきた、
我らが THE SKIPPERS は、

「やっぱり、間違いない!」です!!


  P.S.

「目に焼き付けようと思った」と書いたのは、ライブの情景を描こうと思っていたのもあったのですが、少し思うことがあって、ぱっと見じゃよくわからないこの絵にしました。

少し話すと、お盆に僕は祖母の家に帰省していて、祖母宅からほど近い庄内に出かけました。おじさんと一緒だったので行きませんでしたが、ジャガーさんの拠点、JAGGER’Sのあるところです。

そこでたまたま道路を見ていると、計測用?の数値がたくさん書いてありました。道路の文字なんて普段見ることもないんですけど、すごくそれが気になって、デザインに落とし込めるかな?と考えたとき、これを今までのスキッパーズの道のりに当てはめて見たら面白いんじゃないかな、と思って描いたのがこれです。池田ではないけど、JAGGER’Sのある庄内で見た風景ってことになんとなく意味を感じたので、描いてみました。

引っ張りだしてきた水彩絵の具で塗ったのですが、なかなか気に入っています。

さぁ、来年も行くぜ!PUNK THIS TOWN!

自分の考える復興支援

僕は、復興支援活動をしています。
している…と言っても、「やってる俺カッケーとでも思ってんのか」とか言われるのも心外なので積極的に話しているわけでもないし、月に何回も被災地へ駆けつけて現地の作業を手伝えているわけでもありません。

ただ、2012年からずっと、個人的には復興支援を続けているつもりでいます。

「なぜそんなことをやっているのか」
よく聞かれるし、思っている人もいるかと思うので、今日は少し書こうと思います。

311の震災以降、僕たちの属するライブハウスのコミュニティでは「それぞれができることをするべきだ」というような風潮があったかと思います。
それに流されるとか流されないとかでなく、当たり前のようにその考えがするっと出てきたライブハウスの文化を僕は素晴らしいと思いますし、ツアーバンドが多く、現地との距離感が一般層より近かったからというのも原因の1つだと思います。

そして例に漏れず、ライブハウスにいる色んな人が考えた「私にできること」を僕も考えました。
その時は華の大学生。お金はなくとも、時間を作ろうと思えばいくらでも作れますので、現地へ行こうと決めました。
そうと決まれば話は早く、我らが十三ファンダンゴの村上パイセンに先導してもらい、東北各地を物資を持って回りました。社会人になればそうやすやすと3日間の時間を作ることはできないし、そもそも平日にいけるかもわからない、そう思っていたからこそ、何度も帯同させてもらいました。

そして、各地を回った日の夜に、「今は俺が連れてきているけど、いつかはお前らが連れて行く側になってほしい。」という言葉が村上パイセンの口から溢れました。本人が覚えているかはわからないですけど、僕の頭にはその一言が残りました。

そうやって、最初の頃は「これが俺にできることだから」という思いで復興支援というものと関わっていましたが、時間が経ってくると、物資よりも住居の問題やメンタルケアの問題が大きくなってきます。

もはや、自分にできることとして物資を持って回るだけでは、向こうのためになっているのかわからないこともありました。

いつか書いたような気もしますが、そもそも僕はあまり「人のため」に動ける人間ではありません。マザーテレサじゃないんです。自分が何かをして、誰かをいい方向に導けると思ったのならば、心血を注いでやれますが、「俺が何かやったところでなんの意味もないな」と思ってしまったら最後、とてもドライに切り捨ててしまいます。

このままではいけない、復興支援を続けようという火が消えてしまう…そんな気がしました。
全ての何かを続けるコツは「無理のない範囲でやること」です。
こんな気持ちのままガムシャラに復興支援を続けても、短期的には持っても、長期的に続けることができない。

そうして、「自分にできること」という復興支援との関わり方から、少し変わっていかなければいけないと思った僕は、

「自分のやりたいことで人を喜ばせる」

という考えにたどり着きます。なんじゃその都合のいい考えは!という声が聞こえそうですが、僕のやりたいことというのは、やはりグラフィックデザインです。

カッコイイデザインを考えてチャリティTシャツを作れば、いいと思った人は買って喜んでくれる。その売上で、Tシャツのプリントイベントを開けば、被災地の人たちが喜んでくれる。

デザインは人を喜ばせることができる。
これなら、いつかの村上パイセンの「いつかはお前らが連れて行く側に…」という思いにも答えられる。

そうして、岩手の大船渡・熊本の阿蘇・岩手の大槌町でイベントを開いてきました。

僕たちの活動を見て「なんの意味があるんだ」と思う人もいるかもしれません。
確かに、瓦礫をなくす作業だとか、直後であれば炊き出しだとか、そういった行動の方が何倍も役に立つのかもしれません。

それでも、このイベントを開くたびに、嬉しいことにいつも好評の声をもらうことができる。
「自分のやりたいこと」だからこそ、多少無理したって続けられるし、「自分のやりたいこと」だからこそ、それで人様が喜んでくれたら本当に嬉しい。やりたいことで人を喜ばせるのは簡単なことじゃない。

こんなに「やりがい」があることなんて、なかなかないからこそ、僕たちは誇りを持って続けることができるんです。 

なんでそんなことやってんの?と心のどっかで思ってる人へ。せっかくの機会なので、もう一度答えておきます。

「自分のやりたいことで、人を喜ばせられるからです!」

 



自分のやりたいことが 、たまたま人様に喜んでもらえる可能性を秘めていたことを、本当に光栄に思っています。(まぁ、鉄オタとかなら鉄オタなりの喜ばせ方があるんでしょうけど……)


 


  • チャリティTシャツのデザイン

チャリティグッズについて思うことはたくさんあります。 
Tシャツを始めとする、グッズのデザインを考えるとき、僕はこういうものが欲しいだとか、こういう意味を入れたいとか、結構あーだこーだ自分なりの考えを込めます。

別にそれを1つ1つ挙げて説明する気はなく、「なんとなく伝わってる部分があればいいな」と考えている程度です。お客さんはいちいちそんなことを考えて買う必要は全くないし、直感で判断してくれたらそれで構わないんですけど、僕にとってその意味を込めるという作業は必要不可欠なんです。

というのも、僕にとってデザインというのは、連想ゲームと似ています。

例えば、I7Sとのコラボデザインを考えたときを例にとります。

まず、僕らFIGHT BACKのロゴとは別に、I7Sのロゴを考えました。
そしてW-NAMEということで、どうやって2つのロゴを違和感なく並べたらいいか…
ここで、僕はオリンピックの国旗掲揚を連想し、それぞれの旗を掲げるという意味でデザインにしました。
そして、2つの旗を掲げてどうするのか?
東北に希望の光を灯すんだ!という意味で、ライターを描いています。
そしてI7Sのイメージが不足しているな…というところから、Vo.シンノスケさんをイメージしたバンダナを巻いて完成、といった具合です。

ロゴを並べたい=国旗掲揚=2本の旗
希望=希望の光=ライター
I7S=シンノスケさん=バンダナ

こんな連想ゲームが僕の頭の中に存在し、それぞれの意味づけをしているんです。

となると、僕の考えるデザインは、基本的には「○と○を組み合わせて○な感じのロゴを作る!」とかいうなんとなくのイメージはあるものの、(ちなみに、この時の着手前のデザインイメージは、I7Sのロゴをこんな感じのにするぞ!くらいでした。)
基本的に完成に向けての過程は「連想ゲームでビジュアルを肉づけて行く」という感じになります。

このやり方のメリットとしては、1つ1つのデザインに思い入れが込められるということがあります。バンドさんのデザインや、普段のFIGHT BACKのデザインでは、結構意味合いとかコンセプトを大事にしてくれる人が多いので、それなりに好評を得ているんですけど、被災地の人が着るTシャツとかだと、そうは行きません。なぜかというと、色んな思いを込めるがあまりに、僕のデザインは直感で「なんかよくわからない…」となりがちなんです。

考えたデザインを判断するのは、実際に着るお子さんや、親御さんたちで、意味合いやコンセプトなんかより、ビジュアルが命の世界。連想ゲームからビジュアルへ向かっていっているようでは、ゴール地点が変わってしまい、直感で判断してもらいづらくなってしまうんですね。

要するに、最初から「星型のキャラを作る!」とか考えて、そこに向かってビジュアルを起こす作り方をしなきゃいけない。これはあまり好きじゃなくて、スキルがなくてパロディしかできなかった頃の自分を思い出したりして、なんの意味もないデザインをバンバン考えて、ビジュアルだけ取り繕えばいいのか…?とか思っちゃったりするんです。そんなもん質より量で100案出して、ただ好き嫌いで決めてもらうようなやり方と変わらないんじゃないか、とも。

でも、被災地の人に着てもらうことが目的である以上、いつもの「自分がやりたいこと」の優先順位を少し入れ替えて、ビジュアル優先で考えていかなきゃいけない。

そのモヤモヤを抱えながら取り組んでいて思ったんですけど、別にビジュアルのゴールを目指して、なんの意味もないものを作る必要はなく、ビジュアルを起こしてから意味づけをしていけばいいんですね。すごく頭でっかちになってしまっていたことに、僕は気付きました。

「ビジュアルを作ってから連想ゲームで肉付けをしていく」いつもと逆の工程は、ただでさえ低いレベルがもひとつ低いので、日々勉強して、レベルアップを図っていかなければいけないところです。

そういえば、名前からとって「U」を中心に考えたデザインを作りたいと思っていたので、今のデザインをしっかり完成させて、うまく自分の血肉にしてから取り掛かっていこうと思っています。いつかどこかでUPされているのを見たら、「あ、あのとき言ってたやつか」と思ってもらえたら嬉しいです。

  

 
…と、なんの学校を出たわけでもないのに偉そうなことを長々と語ってしまいましたので、この辺りで閉じようと思います。

ありがとうございました。

 

 

 

 

人生最大の買い物

表題どおり、三連休最後の月曜日に、人生最大の買い物をします。
厳密に言えば、「買うは買わないかはまだわかんないから!」とか言ってるんですけど、十中八九買います。
なぜそれを買うに至ったか。いつかの自分が見て思い返せるように、今日は少し書こうと思います。

はじめに。僕は結構貯金癖があります。それは「いつか何かがあるかもしれない、そのために貯金をしなければならない。」という恐怖観念からくるものではなく「自分がやりたいこと、行きたいところを見つけたとき、お金が理由で断念したくない。」という理由からです。

前に書いたような気がしないでもないですが、僕のこのクソみたいな長さと自己主張を押し付けてくるブログを毎度読んでいる人はそうそういないと思うので、割愛しますw
まぁ要するに、自分が興味を持ったことや、熱量を向けられることを、お金がないってことで諦めるのは勿体無いと思うからなんです。そこから先に自分の見たことのない何かが待っているかもしれないのに、せっかく芽生えた可能性を潰したくない、そういう理由です。だから金欠で予定を蹴ってる人見ると「勿体ないなあ、普段から貯金しとけばいいのに…。」とか思います。まぁ、人それぞれですが。

会社員になってからは、馬車馬のように働いているということもあり、そこそこお金がたまり始めました。それもそのはず、生活水準が学生の頃から変わっていないので、お金を使うのなんて旅行くらいです。

そしてある一定のラインを越えたとき、僕はデザイン用のPCを買いました。

それが今このブログをポチポチ打っているMacBookProです。
「デザインをやる以上はMacでしょ!」みたいな形から入る考えは嫌いでした。ダサいと思ってたし、そもそも、今までWindowsでデザインをやってきて、死ぬほど困ったこともありません。Mac信者なんていう人たちも苦手でした。

ただ、新しく購入したPCのOS、Windows8に3年たっても全く慣れなかったことと、実際にデザインの現場で働いていると、データのやり取りや手配の面で、Windowsでは困ることが多いことに気づいて、どうせなら思いっきり変えてやろうという気持ちで買っちゃいました。どうでもいい余談を書くと、デスクトップにしようかなとも思ったのですが、冬はこたつで触りたいので動かせるノートにしましたw

ただそんな理由はもちろんありますが、最大の理由、というか検討にあげた理由は、自分のやりたいことに使うものだったからです。

そして、月曜日に購入しようとしているものは…ギターです。

僕はギターが好きなんです。
ライブを見るときは大体ギターの人を見ていますし、好きになるって仲良くなるバンドマンも大体ギターパートの人です。
でも、自分のことをギタリストだと思ったこともなければ、全くもってうまくもありません。そりゃ単純なコードくらいなら弾けますけど、ビビるくらい下手です。
それでもギターが好きなんです。毎日眺めて持って、弾いて歌う毎日を過ごしています。

デザインを考えようと思うときも、なぜかギターを手に取ります。

疲れて仕事から帰って来たときも絶対手にとって何かを弾いて歌います。

夢中で絵を描いているときや、集中して文章を打っているときとはまた違う、ギターには僕の心を癒す何かがある気がします。俗にいう、ストレス発散?とは少し違う気がしますが、ギターに触れて音を出しているとき、本当に幸せなんです。

1年前、イタリアに旅行に行ったとき、長い旅行になると周りからは途中で帰りたくなるとか、日本食が恋しくなるとか言われてたので、さあどうなるかと思っていたのですが、感じたのは「ギター弾きてえなあ」ってことくらいでした。そのくらい好きなんです。

実は…あまり言ったことはないんですが、僕の家にはギターが11本あります。
実家用に1本、友達に1本貸しているので、全部合わせると13本でしょうか。

バッカじゃねえの?!!って意見はあるかと思いますが、極論好きなものだからいいんです。
とやかく言われたって、僕にとっては1本1本違うギターで、それぞれここに来るまでの道のりと、ここに来てからの改造と…色んな愛が詰まっているんです。

まぁそれはいつかの機会にお話しするとして…
初めて僕がギターを認識したのは子供の頃。スーパーの食玩コーナーです。
バッカじゃねえの?!!!(第2波)が出るかもしれませんが、当時そのスーパーに、グレッチの食玩コレクションみたいなものがあったんです。

そのパッケージには、今でこそ名前がわかりますが、グレッチの顔とも言える「ホワイトファルコン」が載っていて…あまりのかっこよさ、美しさに、僕は心を奪われました。

ファルコン
世界一美しいギターと呼ばれるホワイトファルコン(フィギュアですよ)
ギターが何かすらわかってなかった優成少年は、それを頼んで買ってもらって、ワックワクしながら封を開けると、何かが足りてないとしか思えないホワイトペンギンが出て来ました。

ペンギン
足りてないホワイトペンギン(フィ)
もちろんホワイトペンギンもめちゃくちゃいいギターなんですが、そのときの僕は納得できませんでした。しかし、中に入っていたリーフレットで、僕が一目惚れしたギターの名前が「ホワイトファルコン」という名前だということを知りました。

それから激しい音楽にハマり、みんながバンドをやり始めるようになって、僕も誘われたりはしました。だけど、流されて始めたくはない、と思ってやりませんでした。
しかし、大学に入ってしばらくしてから、大学でできたギターのうまい友人に手取り足取り教えてもらい、楽器屋にもついて来てもらってついに念願のファーストギターを手にします。

それが僕のファーストギター、エクスプローラーです。
ジグザグなので「ザグジー」って呼んでました(大爆笑してください)

EpiEX

なんでやねん!!っていう声がたくさん聞こえてきそうですが、見てください。
あえてのゴールドパーツというところに、ファルコンへの憧れを残していますw

というのも、このころの僕の音楽の趣味はパンクとメタルになっていたので、メタリカのジェイムズに憧れていました。そのジェイムズへの憧れと、いつか見たホワイトファルコンへの憧れが、このゴールドパーツのエクスプローラーの購入に繋がったんです。

そこからは、変形つながりでフライングV(フォルム状、座ると全く弾けない)や、みんな大好きな健さんに憧れてレスポールシェイプのギターを買ってみたり、アコギにも手を出してみたりと、泥沼にズブズブはまっていき、最終的には塗装やらなんやらまでやり始めました。

…話が恐ろしく脱線しましたね。

ただ、僕はいわゆる「高いギター」っていうのを持っていませんでした。
安くで買って改造して自分らしくする、のが好きなのもあってそれで満足しているところもありましたが、「これ!という1本が欲しい。」とはずっと思っていました。

そうなると…やっぱり最初に見たグレッチのギターが頭を霞むのです。

しかもよりによって、2、3年前から健さんがグレッチシリーズを使い始めました。
見る機会も多いから、必然的にグレッチに惹かれていってしまいます。
しかもシグネチャーモデルまで出しました。

少し話を変えますが、僕は緑と青が混ざった中間色が1番好きなんです。
俗にいうミントとか、ターコイズとか言われる色ですね。

こう見ると結構淡い色に見えますが、後々になって自分の身の回りを見渡すと、濃いブルーグリーンのようなカラーの持ち物が多いことにも気づきました。青と緑が混じってれば多分なんでもいいんですw

ブルーグリーン
いつのまにかこんな感じのコートも持っていました
そんなときに、健さんが出したシグネチャーモデルがこれです。

けにーJえr
Kenny Falcon Jr.
嘘だろ…と思いました。

自分が初めて好きになったギター、ファルコンを。
自分が好きなギタリストがシグネチャーモデルとして、
自分の好きな色で発表して、発売する。

こんなことあんのかよ、と思いました。

このギターは、何度も店頭に見にいったり、何度も試奏したりしたんですが、本当に良いギターで、ずーーーーっと買うか悩んでいました。
車のメタリック加工みたいな色で、見る角度によって水色に見えたり緑が強くみえたりして、とにかく綺麗で…なんならヤフオクに出てたとき、恐る恐る入札したりしましたw

でも、購入まで一歩踏み出せなかった最大の理由は

「健さんのシグネチャーモデルだから」

というものでした。

少し理由を書くと、僕はずっと健さんが好きで、ライブにもよくいってます。最近例のあれでとやかく言われてますが、別に僕らファンがブツブツいうことではないし、あまり気にしていません。

ただ、彼のライブに現れる「健さんになりたい人」には辟易しています。
こんなことをネットに書くとおっそろしいですが、彼と同じ格好をして、彼と同じ髪型にして、同じようなネックレスつけて……。

そりゃ、単純に趣味が似てるとか、機能的な服装だからってんなら否定しませんけど、あまりにも猿真似に見える人たちが多すぎる気がします。どんだけ見た目を似せようと、あんたは横山健になれないよって言いたいです。僕も昔は憧れてディッキーズ履いてましたし、髪も一部金髪でしたし、レスポールも買いました。でも崇拝しているわけでも、盲信しているわけでもない。好きなアーティストに近い格好をする、そういう時期は誰にでもあると思います。

でも別に、なりたいと思ったところでなれません。
そう思ってる限り誰も超えることすらできない。

最終的に、レスポールってギターの魅力は憧れとして残りましたが、他は自然としなくなりました。影響を受けるってのは、何もその人の真似をするわけじゃなく、一部を取り入れるとかそういうもので、憧れの人と自分は違う存在なんだって思えたとき、少しずつ自分ってものが出来ていくんじゃないでしょうか。

だから、いつまで健さんになりたいの?って思ってしまうんです。聞いた話だと子供にも健さんの子供と同じ名前つける人がいるそうで、、、「親子揃ってまで猿真似する気?!」って思います。
こんなことばかり思ってるため、健さんファンの友達は全然できませんw

話を戻して…シグネチャーモデルっていうのは、その名の通りその人の音が出るモデルです。
僕は、さっきも書きましたが、

自分が初めて好きになったギター、ファルコンを。
自分が好きなギタリストがシグネチャーモデルとして、
自分の好きな色で発表して、発売する。

ってことに、すごい魅力を感じて欲しくなりました。

それでもグラフィックデザイナーとして、オリジナルなものを作っていくクリエイターの1人として、どうしてもシグネチャーモデルっていうのが自分を殺してしまう気がして、飲み込めなかったんです。

サブギターの1つならいいんですが、メイン(とかいって別にまともにバンド動かすわけでもないですがw)、として使っていくギターですから、どこかで「健さんのモデルやん」みたいに言われるのを考えても嫌でした。いちいち「このギターを買ったのには理由があって…」みたいに言えるわけでも当然ないですし。普段は人にどう思われようが別に…思ってるタイプなんですけど、自分が一緒にすんな!と考えている、健さんになりたい人の一派に思われるのはやっぱり釈然としませんでした。

そんなとき、ギターマガジンを立ち読みしていてグレッチの広告を見つけて、そこには、カントリークラブというギターが載っていました。

生産本数の少ないギターで、大阪には入ってきていません。しかし、…僕は2月の半ばに東京の御茶ノ水へ走り、このギターを試奏しました。

 

 

あ、このギターを買うんだろうな。と直感で思いました。
いつも流していたお店の人のセールストークをよく聞いて、名刺までもらいました。

このギターはG6196 CountryClubというギターで、ファルコンという種類が現れるまではグレッチの最高峰に君臨していたギターです。あえてファルコンじゃなくて、カントリークラブという一般認知度0.05%くらいの機種であることが性根が捻れまくっている僕の心をくすぐりましたw
国内流通本数も本当に少ないそうです。

このカラーは「キャデラックグリーンメタリック」といいます。
キャデラックグリーンというのも綺麗な色で、それは深緑なんですが、これはメタリックなカラーで、少しブルーの色合いも含まれていて、見る角度によって色んな表情を…ってのはまた後からにします。

これをなぜ買うと思ったか、まず僕の中に、「自分の好きなもの、やりたいことにお金を使おう」という思考があります。それはどこからきているのか、ということなんですが…

僕は…やりたいことを仕事にしたつもりです。しかし、世の中はそう甘くなく、100%やりたいことをできるわけがありません。なんで俺が…って思うような仕事だって、正直たくさんあります。

それでも、今はこれからの自分の将来への準備期間だと考えていて、将来的に、僕はデザイン、それも大好きな音楽に関連したデザインもやりたいと思っています。

それを強く意識するため、新社会人である1年目に、デザイン関連のものと音楽関連のものを買うのはすごく意味があると感じたんです。それが、「自分の好きなもの、やりたいことにお金を使う」という思考に繋がりました。

先々へのモチベーション、今の自分の心境、言語化できない感情はたくさんありますが、近い関係の人には話してますが、わざわざ近道があったのに遠回りして…高く飛ぶための準備期間である今、買うことに意味があるんです。

そして、彼との再会も大きかった。

人のため」というタイトルで書いたブログ、まぁ学生時代の僕が1人の男に振り回されまくったという内容なんですが、久しぶりに彼と再会すると、彼は楽器屋の店員になっていました。

というのは、僕のストーキング(猛爆)により暴いていたのですが、バイオリンやピアノがメインだと思っていたのですが、どうやらギターも守備範囲だったようです。

僕への感謝を口にする性格ではありませんが、ふとこのギターについての話をすると、この生産本数が全然ないモデルを、グレッチの総合商社をしている神田商会と毎日連絡を取ってくれて、取り寄せてくれました。

取り寄せて入荷した時点で、小売店はギターメーカーに仕入れ値を払っています。
そのため、普通は購入する予定でないと試奏すらできないのですが、試奏のみでもいいという店に入れてくれて、買うならば日本一安く売ってくれることになりました。というか仕入れ値まで聞きました。

そんな彼は冒頭に書いた

大学でできたギターのうまい友人に手取り足取り教えてもらい、楽器屋にもついて来てもらって念願のファーストギターを手にします。

この友人なんです。

ファーストギターを一緒に買った友達から、5年の時を経てメインギターを買う。
そこにも、しょうもないですがロマンを感じました。

こういう先述した的を射てんだか射てないんだかよくわからない考えと、少しロマンのあるエピソードが、今回僕を突き動かした理由です。

そして最後にもう1つ。自分の決断力を試したかったんです。

僕には独立志向があります。親がずっと自営でやってきた姿を見ていたのが大きいと思うんですが、そのせいで当たり前のように独立志向が備わっています。

独立には、決断力と判断力が必要です。ときにリスクをかけて思い切った決断をしていかないといけない。僕にとってこのギターは安くありません。日本一安くと言ったって、新品なので半額になるわけでもなく、これを決断するには、それ相応の覚悟がいります。

今回は「大きなお金を動かす」という決断ですが、別にお金に限りません。
大きな分岐点になることを恐れず、自分を信じて決断していく力を鍛えることにもなるんじゃないかとどこかで感じているんです。

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半年ぶりに定時ダッシュで届いたその日に一度試奏しに行きました
image1
僕に買われるのを今も待っている…はず。
 

たかだかギター1本買うのに何を大げさな…って感じですが、僕にとってたくさんの意味がある買い物を月曜日にするってことを書きたかったんです。

長々と失礼しました。

 

 

人のため

人のために何かをするっていうのは、凄く力のいること。

っていうのが、少なくとも自分の人生を自分のために生きてる僕の認識。結婚したり、子供ができたりしたら変わるのかもしれませんが。

でも、自分が何かをすることで、その人の何かが良い方に向かうのなら、なんだってやってあげたい。どれだけ労力を使ったって、全力をかけたい。そこに損得の感情なんていらない。

いつだってそう思ってます。

まぁ、僕みたいにやりたいことがどうたらこうたらと、バカみたいなこと言ってる自己中な部類の人間は、それでバランスを取ってるんじゃないでしょうか…。
そんなプラマイ0人間みたいな僕と違って、世界には本当の意味で、世のため人のために尽くす、尽くせる人たちがいます。

あまり詳しくはないですが、マザー・テレサなんてまさにそうなんじゃないでしょうか。
大きすぎる人を出してしまいましたけど、自分の周りにもそういう人たちが沢山いて、本当に尊敬できると日々感じています。本当に。

ただ、SNSとかで拡散されてくる人を見ると、そうではない人も沢山いるんですよね。
人のために何かをしようとしたものの、相手に冷たい態度を取られて、豹変してしまう人、心当たりあったりしませんか?

凄く疑問に感じるんですよね。

って言うのも、仮に誰かから助けて!と言われて、しぶしぶそこに手を差し伸べて、結果その悩みが重すぎた、、、俺じゃどうしようもできんよ、、、ってのは正直仕方ないと思うんです。

問題なのは、自分から手を差し伸べたくせにすぐ振り払おうとする人です。

まず、「助けて」って言える人って、きっとそこまで多くないと思うんです。

多くの人は直接的には言えずに、会って話すときにポロっと愚痴をこぼしたり、あるいはSNSに書いたり、遠回しに遠回しに伝えて、誰かに扉を開けてもらえるのを待ってるってのが実情だと思うんですよ。

そして、それに気づいた人や心配した人、この人の悩みなら自分が解決できると思った人が、その扉をこじ開けて、手を差し伸べる。世の中そうやって、お互い持ちつ持たれつやっているんだなと思うんです。

ただ、そうやって扉をこじ開けて手を差し伸べた人の手を、悩んでいる人たちはそうそう素直に握れたりしません。

「お前に何がわかる」
「なんの解決にもならない」

って言われたり、

完全に無視されたり、逆切れされたり、、、

悩みのスケールが大きいほど、そうそう一筋縄ではいかないと思うんです。

まぁ、一筋縄ではいかない問題だから、誰かに助けて欲しいってわけなので、当然と言えば当然です。
そこで、冒頭に書いたように豹変してしまう人。

気持ちはよくわかるんです。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「お前のためを思っていっているのに、なんでわからない」
「助けてやろうとしたのに、なんで俺がこんな目に、、、」

誰もがハッピーにまみれた思考回路をしているわけではありません。人によっては様々なことを思うでしょう。

そこで救いになるはずだった手を引っ込めて、余計関係が悪化した人たちを、きっとどこかで見かけたことがあるのではないでしょうか。

書いた通り、気持ちはよくわかるんです。
ただ、なんのために手を伸ばしたんだ。って思うんですよね。
無視することだってできたはず。

それでも、「あなたのことを助けたい」「あなたのことを助けてやれる」そんな気持ちがあったから、わざわざ閉じこもっている扉をこじ開けて手を伸ばしたんじゃないかと思うんです。

そこで思うように手を握れなくて、途中で振り払ってしまっては、それはただの自己満足。

もはや人に「優しい人」と思われたいだけで、「優しくなりたい人」「優しくあろうとする人」でしかない。

それはそれで立派なのかもしれませんが、見返りを求めた優しさに疑問を感じずにはいられません。

突然ですが、僕の名前はゆうせいといって、漢字で「優成」という字を書きます。「優しく成る」と名付けられた以上は、優しいって言葉に対して嫌でも敏感になります。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けること、見返りなんてもとめないこと。そして、なにがあっても相手を許すことです。

そもそもなんでこんなことを書いたか。またまた長くなりますが、読んでくれたら嬉しいです。

僕には、大学に入学して、出席番号が1つ後ろだったことから仲良くなった友人がいます。

彼は2浪して入ってきたんですが、家庭環境が複雑で、現役で大学に合格したものの、父親の突然の失業(同情できるようなものではない)により入学金が足りず、自分で学費を稼いで入学。

入学後も日々学費稼ぎに奔走するも、来る日も来る日も貯めた貯金を父親によってギャンブルに使いこまれ、それにもめげず、普通の4大に通いながら、リュウマチ持ちであまり働けない母親と高校生の弟の生活費を稼いでいました。

性格的には、ギターが好きで異常にうまくて、とても面白いやつ、というかぶっ飛んだやつなので、僕は仲良くしていましたが、毎日夜勤をしているせいで大学にはまともに来れませんでした。(自分で稼いだ学費なのに無駄にしてる)

なので、僕は金銭面以外で、多岐に渡って彼のサポートをしていました。まぁ、思えばただのお節介です。

ただ、自分は彼にどう接するべきか、最初の頃はとても悩みました。

というのも、彼の辛い状況を僕はわかってやれる立場じゃない。
普通の家庭で育ってきたぼくが同情なんてしたところで、「お前に何がわかる」と思われると考えたので、一貫してあっけらかんとした、家庭のことをネタにするくらいの態度で臨みました。調子に乗ってネタにしすぎましたけど。怒らない程度に。

でも、彼自身は自分から大っぴらにそういうことを話すタイプではなく、僕がいなければただただ常に顔色の悪い、素行不良の生徒と思われて終わってたと思うのですが、そのぶっ飛んだキャラと相まって、大学でも沢山の友達に恵まれるようになりました。

嫌な思いもさせてしまったかなと思うんですが、「この4年間で俺は良い友達を得た」と話していたので、それなりに何かは残せたみたいです。
ただ、こんな状況なので彼は定期的に音信不通になります。平気で1カ月くらいなんの連絡も取れなくなります。

4大なので、少々単位を落とすくらいは大丈夫なんですが、問題はゼミです。僕らみたいな文系、特に法学部系にとってはゼミが相当重要なウェイトを占めます。

なかなかパンチの効いた、かなり厳しい教授のゼミに僕たちはいたのですが、彼が休む度、彼のフォローを行うのは僕でした。

今日はなぜ休みなのか、論文は書いているのか、現在などういう状態なのか(治験で消え去る時期が多かったので)、体調はどうなのか。

まるで親です。
でも、彼からのレスポンスは99%ありません。

都合が悪いことがあると完全に閉じこもるタイプなんです。そうなるとなぜか僕が機嫌を崩したゼミの教授に怒られるという謎の悪循環が巡ってきます。

しかし、普段の授業の4年間と、ゼミに入ってからの2年間、僕は彼にどれだけ手を振り払われようと、手を伸ばし続けました。どれだけストレスになろうと、自分が嫌な目を見ようと。

特に、卒業を間近に控えてからは本当に酷かったんです。

僕のゼミにはゼミ費を使った旅行があるのですが、最後に沖縄に行くことになりました。
しかし、彼の参加表明も聞いて申し込んだ直後、本当に連絡が途絶え、立替金の回収も行えない。そのままキャンセル代が発生する時期になっても連絡は取れない。

ただ、そこそこ楽しみにしていたので強制キャンセルはしたくない。
どうにか教授に掛け合って、キャンセルはしないで欲しいと伝えたものの、参加するのかしないのか一切わからない状態。

上記したように、都合の悪いとき、僕の連絡は一切見ないので、仲の良い先輩の携帯を借りて連絡すると返事があり、そこから連絡を取って前日の夜18時にやっと参加を表明できることに。

なんといったってトラブルメーカーなので、空港で携帯を落として、沖縄に飛ぶ直前に羽田行きの飛行機に持ち込まれてるのが判明してダッシュで取りに行ったり、、、ほんと話し出すと尽きないんですが、ひとまずは無事に旅行を終えました。
そして問題になっていた立替金は、ひとまずはゼミの教授が一旦払ってくれて、事なきを得ました。

と思ったのですが、ここからが本当に大変でした。

なんと、沖縄から帰ってきた日を境に、一切連絡が取れなくなります。そのまま僕は卒業してしまいました。

ありとあらゆる手段を使って連絡を試みても、全てをシャットダウンし、結局なんの返事ももらえませんでした。

「俺は4年間で良い友達を沢山得た」と言ったとき、まさかなと思ったのですが、彼はそのまま一切姿を現さず、退学しました。

自分の中で、「友達を作るための大学生活だった」と解釈して辞めてしまったんです。

正確にいうと、辞めたのかもわかりません。内定ももらっていて、まだ学校に来ていた頃、単位が危ういこと先方に告げると「まず1年くらいバイトで入ってくれてから卒業すればいい」と言ってもらったことだけは聞いていたので、休学の可能性もあります。が、卒業していないことは確かです。

そして、残ったもの。

それはゼミの教授への借金。
2泊3日の沖縄旅行代、わずか数万円ですが、僕たちの教授は結構癖がある法学の博士。
教授は、僕たちと過ごした、たったの2,3年間でポコポコと裁判を起こして、その都度勝ってきた人です。

簡単な裁判にも、どこからか連れてきたその道のスペシャリストの弁護士を用意して相手を叩き潰す人なんです。

ただ、東北の復興支援に協力してくれたり、僕の性格はよくわかってくれている人でしたが。要するに攻撃性が強いんです。

これは必ずこじれるなと思っていた矢先、案の定、教授から僕に連絡があり、彼の足取りをつかめるかということで連絡をもらいました。

既に上記した彼の話していた内定先へ何度も電話をかけ、彼の所在を問い詰めたところ「そんな人はいない!!」とキレられたそう。
そして、既に少額訴訟の準備を始めていることを伝えられました。

教え子を裁判にかけるって発想はそうそう出てくるものではないと思いますが、「それが私にできる最後の教育です」と引っ込む様子は微塵もありません。

やると言ったら脅しではなく本当にやってしまうタイプの人なんです。

さあどうするかな、、、と思ったとき、最終手段を思い出しました。
彼は誰にも教えていないんですが、ツイッターをやっていたんです。しかも結構な廃人。
件の旅行中、沖縄にいたときに彼がツイッターをやっているのを見て、

「音信不通のときに何かのチャンスになるかもしれないな、、、」

と感じた僕は、こっそりとIDを盗み見てメモり、怪しまれないように彼の趣味に合わせたアカウントを作って、フォローしていたのを思い出しました。

4年間を過ごしたからこそ僕の中の何かのセンサーがこれを見逃すなと反応したんでしょう。

そして、そのアカウントを覗くとやはりつぶやいていたので、「ツイッターしてる暇あるなら連絡ください。教授が何をしようとしているか、君なら薄々気づいてるでしょう。訴えられるよ。」とメールしたところ、アカウントに鍵がかかりました。

彼は普通に覗いていると思ったんでしょう。既にフォローしているのであまり意味はないんですが、、、その後もつぶやきは続けていました。

そこで、僕はもう見れなくなったという体裁で、その後は彼に連絡は取らず、たまにつぶやきを掘り返し、尻尾を出すのを待つことにしました。

しばらくすると、やはり4月に退学してからどこかで働いているようで、新生活ということもあって職場に関してのつぶやきをちょこちょこと書くようになり、最寄駅・職種・時間帯の情報をつかんだ上で、ついには職場を突き止めることに成功。

僕はそれを教授に伝えました。

そこからは、教授の突撃が始まり、ようやく本人と直接話せたということで、立替金の回収が成功し、ついにひと段落しました。

2月に沖縄に行ったのに、解決したのはもう7,8月くらいだったと思います

度々教授からの連絡が来て、僕が問い詰められるたびに、正直「なんであいつのせいで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ、、、」と思いました。

彼はもちろんのこと、僕だって新生活が始まったところで、毎日仕事に明け暮れても、悪い方に悪い方に物事が進んで、空回りばっかりしている時期でした。

それでも、4年間を共に過ごした友達が裁判にかけられる姿なんて見たくない。僕が行動することで、手を回すことでその最悪のパターンは変えられるかもしれない。その一心であの手この手で、もはやストーカーのような真似までしてしまいましたが、、、僕がいなかったら彼は今頃被告人です。

そう考えると、非常に無理をした結果になりましたが、良い結末にもっていけたと思っていて、間違ってなかったと感じています。

ここに書いた僕のパターンは、少し変わった例になるかもしれませんが、世の中にはあなたが手を伸ばすことで、あなたの貴重な時間や労力を犠牲にして誰かのために使うことで、その人の人生を良い方向に変えられることもできるんじゃないでしょうか。

そんなことを伝えたくて、ここまで長々と書いてみました。

まぁ、多くの人は僕なんかより人のために生きてるかと思いますので、な〜にを偉そうなこと言ってんだと自分でも思いますが…。

でも、そもそもこのブログを書こうと思ったきっかけは別にあるんです。

実は、件の彼に、この前久しぶりに連絡を取ってみたんです。

1年ぶりになる僕からのまともな連絡は
「生きてんのか?飯でも行こう」

同じく1年ぶりになる彼の返事は
「よお、3月入ったらまあまあ予定開けれるで」

ただただそれだけやり取りでした。

ってことで、久しぶりに会って、たっぷり話してこようと思います。

最後に、さっき書いたことをもう一度書きます。

僕が思う本当の優しさとは、どれだけ手を振り払われようと、どれだけ握ってもらえなかろうと、手を伸ばし続けること。見返りなんてもとめないこと。

そして、相手を許すことなんです。

でも、飯は全て奢ってもらうつもりです。

セレンディピティ

という言葉を、この土曜日に知りました。

この言葉とは今後とも向き合っていく予感がするので、この言葉と出会った経緯と、自分の気持ち。そして、最後にこの言葉の持つ意味について書き記しておこうと思います。
時間に少し余裕があれば、お付き合いください。

先週はまず、木、金、土と会社の2泊3日の研修でした。
僕の入った会社は実務的な研修はほとんどなく、「揉まれて慣れろ」の精神なのですが、社長や役員クラスの方の講義が少しと、大部分を研修会社の外部講師が務める研修がよくあり、4月、7月、2月と、今回で3回目です。

2泊3日と書いた通り、関西や中部を中心に、毎度色んなところで行われます。
休憩時間がほとんどない中、長時間の座学と、いわゆる前時代的なパンチの効いた飲み会が行われるため、体力と精神をゴリゴリと削られるほか、普段会えない各地方の同期に会い、「やっぱり関西はやべえよ…」と同情される日々を過ごすのが一定の流れです。

ほとんどの時間を共に過ごすことになる外部講師は、前回、前々回はなかなか壮絶な過去を生きてきた人たちで、素人ながらに、「人より厳しい人生を歩んできた人は、いざ人に何かを教える時に言葉の重みが違う。」と感じました。
同時に小中高の学校の先生は、学校を出て学校に入ってきた人ばかりなので、そういったものが全く感じなかったことへの証明にもなりました。

その点では、今回の講師はどんな人生を歩んできた人なんだろうと思っていたのですが、やってきたのは幾度も幾度も転職を繰り返したくせに、「私は年収上がりましたけど、あなたたちは転職なんてしないほうがいいですよ〜」とほざく、武勇伝を押し付けるおっさん。それ以上でも以下でもない人でした。
人事の前で転職を煽ることができないのはわかりますけど、それなら大人しく年収下がるから転職するな、くらい言えないものでしょうか。みみっちいプライドが最高に寒かったです。

しかしその講師が放った言葉の中で
「研修には君たちの時間と、100万以上の経費がかかっている。この3日間の中でそれに見合う何かを持って帰ってほしい。」
という言葉だけ、僕は同意できると思いました

なぜなら、この研修が行われる木、金、土のうち、木、金はもちろん通常営業日。
1月の年明けから、6年目になる僕の教育係をしてくれていた先輩が異動になり、僕はもともとやっていた飛び込み営業による新規開拓と並行して、先輩がヒイヒイ言いながらやっていた仕事を全て1人で回さなければいけない状況になってしまっていました。まぁそれは色んなところから火が吹き出しつつも気合いでやっているのですが、問題はその仕事を研修中誰がやるのかということ。

こういった時は、直属の上司がフォローをしてくれるんですが、直属の上司がいなくなってしまった僕の状況では、その役割はいきなり課長になってしまったんです。毎日夜中の2、3時まで働き、週に1、2回徹夜で仕事をしている課長に、さらなる負担を強いてしまいました。さすがに罪悪感がオーバーヒート。

こんな状況に追い込んでしまっている以上、手放しでは帰れない。という思いと、上記した通り、それなりの経費がかかっている以上、何かを得て帰ってやる、という思いで、3日間を過ごしました。

そして研修も最終日。
時間は終わりも近づく17時半。毎夜行われる飲み会で前日の記憶を激しくゆすぶられつつも、研修もまとめに入り、それなりに得るものはあったかなと思っていたとき、講師があることを話し始めました。

「機会があれば、やりたいことを100個書いてほしい。自分の持っているノートでもいいし、手帳でもなんでもいい。やりたいことが変わったら書き直してもいいから、とにかく書いてみてほしい。別にそのためにあれこれ努力するとか、そんなことは一切書かなくていい。ただ書くだけ。

これがどういうことになるか。最初は『〇〇に行きたい!』等の大きな目標や夢が羅列されるかと思いますが、100個もそれはさすがに持たない。『〇〇で〇〇をしたい』っていう風に、どんどん細分化されていって、具体的になって行きます。

そして、具体的になればなるほど叶う。この方法で、僕は現在49個のことを叶えています。」

僕は「言葉にして書くことで、脳により強く印象づけるのかもしれない」と、この話に少し感心して、人一倍やりたいことはあると思っているので、これくらいならやってみようかな〜なんて考えていました。しかし、もう少しだけ続きがあるんです。

「なぜこんなにも叶うのか。僕は特別そのやりたいことを叶えるために生きたわけではありません。しかし、やりたいことを書くことによって、それを叶えるチャンスを見つけることができるんです。

これはどういうことかというと、なんの変哲も無い日常生活の中で、自分のそのやりたいことへ繋がるヒントが見えたときに気づくことができるようになるんです。

ふとした偶然のチャンスに気づき、幸運を掴み取る能力。
自分にとって意味のある何かを見つける能力。
予期せぬものから素晴らしいものを発見する能力。

これを脳科学の世界ではセレンディピティと呼びます。」

僕はそれまで書いていたまとめを無視して真っ先にその聞きなれない横文字をメモ書きしました。

今思えば、僕にはセレンディピティの能力が備わっていたのかもしれません。
デザインをやりたいとくすぶっていたとき、たまたまNOT A NAME SOLDIERSのダイさんが「デザインやってくれる人いないかな〜」といってるのを見ました。それを見逃さずにコンタクトをとって、生まれて初めて、僕のデザインした商品が金銭という対価を持って売り出されました。
今でもその経験は自分の中で大きく存在していて、自信の1つになっています。

これを聞くまで、僕は、1つのチャンスを見つけたらそこに突っ込んでいく力が強いと自分で思っていたのですが、それはそもそもチャンスを得てからの話であり、さらに前の段階である、このセレンディピティというチャンスに気づける能力によって、今まで生きて来れたのかもしれません。

この言葉との出会いは、自分にとって大きなマイルストーンになるような気がしています。
ただの偶然、といってしまえばそれでお終いですが、この話を持ち出すまで、今回の講師はまた自分のサクセスストーリーをペラペラと話していて、僕は夢うつつの中でその話を聞いていました。

それが、たまたまこの話になった瞬間に、なんとなく目が覚めたのです。

これは、「今、ここから話し始める話はお前にとって重要な話になるぞ。」と、僕のセレンディピティが教えてくれたのでは無いのでしょうか。言い換えると、この言葉との出会い自体が、僕のセレンディピティのもたらしてくれたものなのでは無いか、そんな気がしてなりません。

どこかスピリチュアルなオカルト話をしている自覚はもちろんありますし、サクセス講師のありがたい話で洗脳されているわけでもありません。自動シャットダウンで聞き流しました。
それに、似たような意味を持つ運命なんてものも信じていません。決められた、定められた道を歩いている感覚はなく、自分で選んで毎日進んでいるつもりです。なんなら、仮に運命というものがあったとして、過去に1度か2度運命を蹴っ飛ばしたという自覚があります。

そんな捻くれまくった天邪鬼の僕が、これほどまでにこんなよくわからない言葉に何かを感じています。

なぜなら、深い関わりを持つ人には話していますが、僕には、どれだけタイミングが合ったといえど、それでも「こんな偶然があるのか」ということが人生にありました。もっといえば1度や2度じゃありません。いるべき場所にいる人、様々な知識や才能がある人しかたどり着けないチャンスを、僕はなぜか得てきました。

僕はそれを、自分の持つ運と思ってきたのですが、セレンディピティによるものなのかもしれないと思ったらしっくりくるのです。

いつかこれを、僕は自分自身のデザインに反映させたいと思っています。
実はもう何年も、頭の中にずっと、とあるデザインがあるんです。

これは、いつか自分の個人の名前で出そうと思って取っているんですが、ある日とても楽しみにしていたライブを見に行って、夢中で見ていたとき、ある人のあるポーズでたまたま気づいたこと、まさにセレンディピティによって偶然生まれたデザイン。

だいたい、よっしゃこれはきた!ってデザインとか、苦労して思いついたデザインって、ネットで調べたらどっかの誰かがとっくの昔にやってたりしてしょげるんですけど、これはまだ誰もやってないんじゃないかなって思ってるんです。

願うなら、このデザインを誰かのセレンディピティで見つけてほしい。
顔も見たこともない誰かが、どこかで何かの拍子で僕のデザインに出会い、そこに偶然の幸せを感じてほしい。

そして、もっと言うなら、僕の作ったデザインをきっかけに新たな偶然の幸せを手にしてほしい。
そのデザインを身につけて出かけるとか、たまたま似ていた何かも気になったとか、合うものを見つけたとか、同じデザインを持っている人と出会ったとか、些細な偶然から幸せを見つけて、どんどん連鎖させて行ってほしい。

常々、自分のやりたいことで人を喜ばせることができるのが1番の理想だと思っていますが、自分のデザインから生まれた幸せがどんどん大きくなっていけば、その大きさに応じて僕も嬉しくなる。

たまに聞く「今日はゆうせいのやつ、着てきたよ。」の一言が、僕の背中をどれだけ押してくれているか。人前であんまり真面目なこと言うのは好きじゃないので言いませんが、本当に感謝しています。

自分のデザインで沢山の幸せを生み出す。
今すぐにできることではないし、時間もかかると思いますが、言った以上は引っ込みません。

いつか絶対に叶えてみせます。

 

 

 

「描く」ということ。

日本には、たくさんの「かく」という言葉が存在している。

いびきを「かく」胡坐を「かく」曲を「かく」

挙げだすと本当にキリがない。

その中でも自分は絵を「描く」ことが好きだ。

社会人になってからというもの、過去のことをよく振り返るようになった。それは別に過去に帰りたいというわけではなくて、過去の自分を見つめることで、自分の気持ちを再確認して、この先の未来も同じ気持ちで生きていこうとしているからだと思う。ちょっと洒落た言葉を使うのなら、原風景とかいうのだろうか。

そんな風に、最近振り返ってよく思う。僕は子供の頃から絵を描くことが好きだった。昔から、人より少しうまく絵が描けた。幼稚園で「お絵かきクラブ」に入っていた頃から、今もそれは変わらない。ただ、こんなことをネット上で書くのは情けないけれど「少し」だということは自分が1番理解していた。

それを最初に感じたのは本当に大昔、幼稚園の頃。

新幹線が大好きなよくいる子供だった僕は、たくさんの絵を描いていたけど、どうしても斜めから見たアングルの新幹線のぞみが描けなくて、大好きなおじさんに頼んだ。

おじさんは別に絵の仕事をしているわけでもないけど、とてもうまく、サラサラと僕のリクエストに答えて、新幹線を綺麗に描いてみせた。嬉しかったけど、自分にはこれは描けないと子供ながらに感じて悔しかった。そのときの絵は、20年近くの時が経ったけど、僕の頭の中に今でも鮮明に残っている。今更描いてくれなんて言えないけど、僕の記憶が正しければ、未だに僕のはあの絵を越えられていない。

幼稚園で奇跡の初挫折wを人知れず経験し、でも絵は好きで描き続けた。

なぜこんなにも絵が好きなのか。決して僕は芸術が好きなわけじゃないし、価値の真贋がわかるような目なんて持ち合わせていない。だいたい、価値があると崇めているから大衆が価値を感じているだけで、多くの人間はなんの知識もなしに有名絵画を欲しいだのみたいだの思わないんじゃないか。

もちろん、ピカソのゲルニカやドラクロワの民衆を導く女神とかには、引き込まれる何かを感じる。教科書で初めて見たときから一発で頭に刷り込まれて離れない。発想力や画力、色彩のセンス。素人目に見ても後世に残っていく絵なんだろうなと思う。

ただ、例えばゴッホのひまわり。定期的に話題として上がってはくるけれど、いい絵だという感情が湧いたことがない。ゴッホに否定的なわけではなくて、ローヌ川の星月夜とかは幻想的で大好きだ。

でも、僕はたまにあるテキ屋で世界回っているおっさんが描いて売っている絵の方がよっぽど価値を感じる。芸術だと思う。自分を良く見せるために表面的な部分だけを見て、そういった目を持った気になって芸術家ぶるやつなんてクソだ。

例えば、キングコングの西野さんは本当に綺麗な絵を描くし、長い時間努力して数々の作品を作っているんだと思う。話題になった絵本は読んだ。絵はもちろんのこと、とても素晴らしい内容で、ジーンとなったけれど、本人の思考回路が透けて見えて泣けなかった。

彼からは「作品を描きたい、作り上げたい」という思いよりも、人によく思われたい、こんなことができる人だって思われたいって感情を強く感じる。立派なことだと思うし、人の世で生きていく以上、もちろんそれは付いて回る。だけど、こういう人がいることで芸術って言葉は急に胡散臭くなる。純度が低くなる。ほとんどが彼みたいなエセ芸術家なんじゃないかと思う。だから芸術って言葉は嫌いだ。

じゃあなぜ好きなのか。それはもう「絵」が好きだから以外にない。

。。。これではなんの答えにもならないので、少し考えてみた。

⑴自分の頭の中を映し出すことができる

想像力、といってしまうのは簡単だけれど、自分の考えている頭の中の景色を写真に撮ることはできない。もちろん当たり前だけど、子供の頃の僕はそれが疑問で仕方なかった。頭の中に確実にあるのに取り出せない、どうしたらいいんだと考えたときに「絵にすればいいんだ」と考えて描くようになった。うまく何かを説明できないとき、図を書いて説明するのだって同じこと。絵は、自分の頭の中を描き出すことができるから、好き。

⑵思い通りの世界を作れる

絵の中の世界に不自由はない。一度これを描くと決めてしまえばなんでも描ける。空を飛ぶこともできるし、好きなキャラクターと並ぶこともできる。嫌いな人を奴隷にして、自分は国王になったっていい。普段は高くて買えない服だって自由に着ることができる。。。思うがままの世界を描き出していける、こんなに自由な表現方法はない。だから絵が好き。ちなみに、友達の顔とか描くときは気付いたらその描いている絵の表情になっています。

⑶自分の見ている何かを表現できる

自分の見ているこの景色は、他の人から見ても本当に同じなのか。そんなことを考えたことは誰もがあるはず。僕も常々考えていた。例えその目に映る景色を「これこれこうだから同じものを見ている」って説明したところで、相手の目の映像が入ってくるわけじゃないから、確かめる余地なんてない。だけど、自分の見ているものを絵にすれば、それは相手が本当は見れないはずの自分の目の映像を表現することになって、自分が見ている景色はこれだよ。と相手し示すことができる。今はカメラがあって、写真があるから、自分の見ている映像を簡単に人に見せることができる。でも、自分の目に入ってきているのはそんな無味乾燥なフィルムじゃ表現できないと思うことも、多々ある。「こんなもんじゃねえぞ」って。ときには、何かが霞んで見えるほど輝いて見えする。それを表現できるから、絵が好き。まぁもちろん、それすら相手の目の映像わかるわけじゃないから本当に見れているかは(以下略)

ざっと挙げてみるとこんなところになった。

いくらでも出てくるけれど、明日も早いから、ペースを上げよう。

そんなこんなで、僕は絵が好きなので、例えば小学生の頃、図画工作の授業が時間割にある日は1日そわそわしていたし、一度授業が始まれば45分の普段は長い長い授業が10分に感じた。

思い返して強く思うのは、本当にやりたいことをやっているときは、びっくりするほど時間が経つのが早いということ。相対性理論という言葉で片付けると何か味気ないけれど、小学生の図画工作の時間から僕はそれを学び、今でも何か一度デザインを始めたら止まらない。気づけば7、8時間平気で過ぎている日だってある。普段の時間の流れと同じようには思えない。

このブログを読んでくれている人にとってもそれぞれあるはずで、それは大切な人と過ごす時間かもしれないし、漫画を読んでいる時間かもしれない。

生きていれば常に時間に左右される。明日の仕事の時間に、学校の時間に左右され、アポイントの時間に左右され、休憩時間に、退勤時間に、ありとあらゆる制限を食らうことになる。何をしてたって手には腕時計、ポケットには携帯が入っていて、離れられることはない。

ただ、その中で、「あれ?気づけばこんな時間?」と思わせてくれる何かが、あなたの心を、体を、時間から解き放ってくれている。僕はそう感じている。信じている。

大げさに聞こえるかもしれないが、あなたにとってそんな存在はいくつあるだろうか。

人生は、何かを成すにはあまりに短く、何もせぬにはあまりに長い。

というよくある言葉の意味は、もちろん何かを極めて成し得るのは並大抵の時間ではできないという意味だ。しかし、何かに熱中することで、短く感じるということも同時に意味しているのかもしれない。自分が集中できる何か、自分が熱中できる何か、一瞬で時間が過ぎていくような何かを見つけることは、きっと人の幸せを大きく左右する。

特に僕にとってすぐ時間が経つのは、

絵を、デザインを描いているとき。

大切な人と過ごしているとき。

最近だと、仕事で提案の企画書を書いているとき。

そしてこうやって文章を書いているとき。

そう、実際に今こうやって書いているように、文を「書く」のも好きだ。

現に、この文章は2:10に書き始めたのだけれど、すでに時計は4時を回っている。ということは、モニターを見つめて2時間、ひたすら文章を書いているわけだ。しかし、体感時間は10分程度だ。

文章についても書きたいことが浮かんできたけれど、今日の僕の時間からに離脱はこの程度にして、これはまた次の機会に書こうと思う。

まとまりのない文章を長々と読んで下さり、ありがとうございます。

熊本復興支援の報告

ご無沙汰してます。ユウセイです。
時間は経ってしまいましたが、今日は8月の末に行ったFIGHT BACKによる熊本での復興支援イベント、「PEACE OF MIND」について書こうと思います。

こういうとき、僕はFIGHT BACKのデザイナーという立場で、どういう視点から書けばいいかわからなくて、(そのまま書いたらリーダーと同じことを書くことになるので…)長々と時間がたってしまうのが常なのですが、僕の主観的なところから、少しずつ書いていければと思います。
4/14に余震、4/16に本震が起きた熊本地震。

僕は新入社員として、今の会社に入社直後で、「なぜこのタイミング」というのが正直な気持ちでした。

東日本大震災が起きたときは、以前のブログにも書きましたが、高校生で金銭的余裕がなくて、今回は時間的な余裕がない。

同期には熊本県阿蘇市出身の子がいて、状況を教えてもらいながら、行ける日を待っていました。

そんなときに、FIGHT BACKのリーダーのソウタさんから連絡があり「熊本へ行こうと思う。」と話をもらいました。

FIGHT BACKというチームとしてではなく、個人的に行こうと思っていた僕にとってはありがたい申し入れで、決めた日付は夏の終わり、8/27,28。

27日に阿蘇でイベントを企画して、28日に色んなところを見て回ろうとザックリと計画を決めた僕たちは準備を始めました。

リーダーが今回はSAVE THE HIROSHIMAを始めとする団体と連絡を取り、共同でイベントを企画。熊本に住む地域の子どもたちや親御さんたちを対象にして、つけた名前が「PEACE OF MIND」。

大きいことはできないけれど、元気を与えたい、精神的な面での支援をしたいという気持ちからつけた名前です。

行った支援は大きく2つ。

・Tシャツプリントワークショップ

東北でも行った企画で、支援金を使って無地のTシャツ(今回は幡ヶ谷再生大学から、水害にあった工場から引き取ったリユースTシャツを購入しました)を購入。

子どもたちや親御さんたちに、僕らが用意したデザインの中から、好きなデザインを選んでもらってそのTシャツにプリント。

しっかりと乾かして乾燥したら、そのTシャツをプレゼントするという企画です。
・けん玉のプロと一緒にけん玉体験

オリジナルのけん玉をプレゼントし、SAVE THE HIROSHIMAの方に招致してもらったプロのけん玉アーティストの方にけん玉を教えてもらうという贅沢な体験。

子どもたちの間では想像を絶するレベルでけん玉が流行っており、とても驚かされました…。

あとはお菓子の詰め合わせをプレゼントしたり、大阪で活動するプロペラ団の方がたこ焼きを作ってくれたりと、きっと1番重要な「住」は僕らではどうすることもできませんが、「衣・食」の面では、少しだけお役に立つことができたんじゃないかと思っています。
それでは、実際の当日の動きをレポート形式(初)で追いたいと思います。未だかつて、4ヶ月前の出来事をレポートとして追うことがあったでしょうか(反語)

ただ、忘れる記憶でもないので、やってみようと思います。

8/27 AM9:00 熊本入り


FIGHT BACKチーム到着、天気は晴れ。

既に地震から4ヶ月が経っているのに、屋根にブルーシートを掛けている家が沢山あることを実感しました。

AM9:30


熊本空港の中は立ち入り禁止区域があり、左右で分断されています。現在も工事を行っていて、復旧は年明け1月。

AM10:00〜PM12:00 阿蘇へ


腹ごしらえをしつつ、雄大な峰々を通り過ぎて阿蘇へと向かいます。

橋の陥落の影響でかなり大回りをしなければなりませんが、関西では見たことのないような景色の数々が僕たちを出迎えてくれました。

PM13:00 会場である「コットンクラブ」に到着


既に子ども達が集まってくれていて、早速準備開始!ヤギがいる素敵な素敵なペンションです。
PM13:30〜PM18:00 PEACE OF MIND開催 


Tシャツプリントワークショップ


炎天下の下でプリントの乾燥を待つTシャツたち。この後ろは崖になっていて、地震の後連日続いた雨により土砂崩れが起きてしまったそうです。


今回持ってきていたデザインは上の4種類。

その中でも上の2つはありがたいことにとても人気で、スクリーンが削れてしまい、急遽別デザインを投入するなど、嬉しい誤算もありました。

仕事終わりに必死で描いた甲斐があった…。



子どもたちはもちろん、お父さんお母さんにも大好評だったプリントワークショップ。

良いところを見せてやるぞ!と挑んだお父さんのプリントがズレちゃったり、よくわからないままやってみたお子さんがうまくできてたり、そんな出来事も詰め込んだ、形に残る思い出として持って帰ってくれたように思います。

けん玉体験

思ったより自分が必死でやっていたため、明らかに写真が減っていますが、SAVE THE HIROSHIMAの皆様の呼びかけで、広島を中心に多くのけん玉プレイヤーが集まってくださり、様々な技を見せてくれました。

用意したけん玉も大人気の中でなくなり、子どもたちは炎天下の下、みんな熱中していました。


僕が子どもの頃はけん玉も触れ合うことはあまりなく、ほとんどの子どもたちより低レベルだったため、逆に教えてもらうという情けない有様でした。

PM18:00〜 お開き


楽しい時間が過ぎるのは早く、すぐにお開きの時間。

残っていた子どもたちにお菓子の詰め合わせをプレゼントして、みんなで花火をしました。

熊本の人たちに、一夏の思い出を作ることができたのかな…と考えていると、子どもたちから

「今年はもうやらないの?」

「また絶対やってね!」

と言ってもらえたり、

親御さんからは

「この子たちがこんなに笑ってるの久しぶりに見ることができました」

と言ってもらえたり。

自分たちのやりたいこと、自分たちだからやれることをやって、こんな言葉をもらえる。

いつだって思いますが、これほど嬉しいことはありません。

何度か過去にも書きましたが、僕たちは大きなチームではありません。時間と人手が必要な土木作業はできないし、次の週から来る台風に備えて、ブルーシートを張るために屋根に登っていたたくさんの家庭の力になることもできない。

本当に、できることは限られています。

「無理をし過ぎるもんじゃない」とは思いつつも、それを負い目に感じながらこの日を準備して待ちました。

そんなことを話していたとき、復興支援の最前線で旗を振っているジャパンホープの服部さんがくれた一言。

「こっちに来たら、できることは何かあるんだよ。」

たくさんの人々を導いてきた人だからこそ言える、色んな経験が詰まった言葉だと思いました。

これからも、自分たちのやり方でできる「何か」を探していこうと思います。

来年は東北へ足を運びますので、よろしくお願いします。

楽しみすぎてマイナースレット状態におちいるノブちゃん(けん玉プレイヤー)

僕は気を張り過ぎていたのか、終わってから頭痛が止まりませんでした(猛爆)


8/28 熊本散策

一夜明けて、熊本近辺を見て回ることに。

町中にダメージは残されていて、初めて震度7が2回記録されたという、熊本地震の威力を物語っていました。



ただ、町の人たちは本当に元気にされていて、逆に僕達が元気付けられることに。


本当は、色んな人に熊本に興味を持って行ってもらえればと思っていて、観光地みたいなところをピックアップしていたのですが、あいにくの悪天候と迂回に次ぐ迂回が必要になり向かうことができず、今回はこの江津湖だけに。

綺麗な湖畔の広がる、家族づれにも人気のスポットでした。


熊本の特徴として、兎にも角にもごはんがうまい。名物のあか牛はお値段は控えめなのに最高級の味がするし、圧倒的な雄大さを持つ牧場で育った乳牛の飲むヨーグルトは絶品。

ちなみに、前日はあか牛ハンバーガーとあか牛サンドイッチ(どちらも超ボリューミー)を食べて、お腹が崩壊しました。

ワンニャンハウス


腹ごしらえのあとは、益城町で被災した犬猫を、総合体育館の仮設にて保護しているワンニャンハウスさんへ物資を届けました。

現在は避難所の閉鎖とともに終了されましたが、元々専門のペットを取り扱う方達がボランティアで犬猫のケアに当たっていて、この人たちがいなければ、悲しい結末が最も増えていたことかと思います。少しでも力になれていたならこんなに嬉しいことはありません。本当にお疲れ様でした。

オープンセサミ


「余生馬牧場」と銘打たれたオープンセサミでは、色んな馬たちが静かに余生を送っています。

走ること、勝つことが目的で生まれてくる競走馬は、多くが殺処分の対象となり、天寿を全うできる馬はわずか1%。

そんな馬を救いたいという気持ちから始めた牧場には、人からの虐待を受けた馬も自然と集まるようになったとのこと。

そんな矢先に被災。スタッフ不足、資金不足に陥りながらも、代表の百瀬さんがほとんど全ての運営を行っているそうです。


知識のない人間による世話によって、足が曲がったまま成長してしまったユウマくん。ゆっくりゆっくり歩いて、人懐っこく甘えてきてくれます。

本来、馬は背後に立たれることを嫌い、時には警戒して人を蹴り殺してしまうこともあるそう。

しかし、ここの馬たちは元競走馬なのに、一切そんなことはなく、関わる上での注意事項も「特にない」とのこと。その理由は「ノンストレスだから」だそうで、人に動かされることなく、自由に過ごしている馬は人を襲ったりしないそうです。

古来から、その優れた運動能力と頭脳の良さを理由に、人のために生きて、人のために死んでいく馬。

たまにそんなことを考えて、変にセンチメンタルになってしまう事もあるのですが、こういう人たちが悪循環を止めているんだと思うことで、前向きに考えることもできました。

オープンセサミさんには、ニンジンなどの馬の餌などの支援物資をお届けしました。

益城町


被害が色濃く残る町、益城町。

報道で何度もその名前を見たこの町は、被害も甚大でした。4ヶ月経った時点でも、この状態。

土木作業をする方の人員も足りず、瓦礫すら片付いていない状態でした。

真っ先に復興を進めるはずの空港が、1月復旧予定だったことから、想像はしていたんですが、あまりに厳しい現実を改めて突きつけられるようでした。

これからも、沢山行けるわけではありませんが、何度も何度も時間をかけて通って、復興していく様をこのブログに書いて報告していければと思います。

最後に

今年は復興支援として、東北に向かうことができませんでした。

しかし、個人的なイベントで宮古に行くことはできて、道中でいつもお世話になっている、大船渡に住む夢ママには会いに行けました。

今回はISCREAM 7 SHOWERSをギターでサポートしてくれていた、CROW DRAGON TEAの玉ちゃんと一緒に。

FIGHT BACKに協力してくれているI7Sは、今は活動を休止していますが、いつか東北にライブをしに行こうと話していて、きっとそれは、いつの日か叶うと思います。

しかし、一緒になって協力してくれていた玉ちゃんはサポートを辞めてしまい、自分のバンドの状況を鑑みても、東北へ足を運んでもらうのは難しいことになると思っていたんです。

ただ、玉ちゃんにも、どうしても東北に来て欲しかったのと、どうしてもあの日協力してくれた夢ママに会わせたい気持ちがありました。

そんなとき舞い込んできたチャンス、「ハイ・スタンダードが宮古でライブ」。

行けるようになったのは直近でしたが、僕は1番に玉ちゃんを誘いました。

本人には前日まで伝えず、こっそりと水面下で手配をして、I7Sとのイベントから2年が経ってしまいましたが、なんとか2人を会わせることができました。
大船渡にて。夢ママと玉ちゃんと。

来年はISCREAM 7 SHOWERSの支援金を使って、また新たなイベントを東北で行うつもりでいます。

ちょこちょことSNSを更新しますので、また気が向いたら目を通していただけたら幸いです。

P.S.

Team Kさんのご厚意で、AIR JAM2016に僕たちFIGHT BACKのチラシを置いてもらいました。

手描きで描き上げた思い入れのあるチラシなので、少し文字が小さいですが、よかったらお目通しください。

自らチラシを置いて下さると提案していただいたTeam Kの石原代表と。
今年も、皆様のおかげで色々な支援を行うことができました。

長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!

就職して。

こうやってブログを書くのも久しぶり。

「金と時間が無いは言い訳」とどこかで聞いたけれど、本当にないから仕方ない。
思うこと、感じたことを文にしようとしたことは何度もあって、こうやって書き始めるものの、帰ってくる時間も遅いから書き始めが遅くて、次の日の仕事が迫ってきて、モヤモヤしながら眠りにつく。

休みの日は休みの日でひたすら遊んでるかマジでぐったりしてるか、ほんと0か100のどちらかで、久しぶりの更新になってしまいました。
今日はとにかく、今の自分の気持ちを書き留めておこうと思います。

愚痴っぽくなるかもしれませんが、理由は1つだけ。初心忘れるべからずと言いますか、自分が思う納得できないところ、仕事の中で持った疑問と今の気持ちをしっかり書き留めて、それが当たり前となってしまわないように。
仕方ないにせよ、やるしかないにせよ。その疑問だけは持ち続けられるように。その思いのみです。

最近は、ひたすら働いてます。
自分でこんな感じのこと言うなんてダサいと思ってましたが、客観的に見てもそれなりに頑張ってるだろうと大真面目に思うんです。

「疲れたー」って、つい言っちゃいますけど、できるだけ「頑張ったーー」って思うようにしてます。その方が精神衛生上良いのかな〜と。

なんたって、パワハラなんかないので死にはしませんが、勤務時間的には電通の亡くなった子なんて目じゃないくらい働いてます。
金曜ももちろん朝から働いて、事務所の鍵を閉めて、終電で帰ってきました。まぁ会社に2〜3泊くらいする人もいるので、帰れるだけマシです
そんな僕の職業は、デザイン制作・印刷会社の営業マン。

別に俺んとこやべ〜みたいな可哀想自慢をしたいわけじゃなくて、広告業界ってのはどこもやっぱりこういうものなんです。雇われである以上、働かせてもらってるだけで感謝って気持ちは持つようにしてます。

そこに別に不満はないし(そりゃ帰れるものなら早よ帰りたいけど、終わらないものは仕方ない)、今の僕のメインの仕事である毎日の新規開拓、いわゆる飛び込み営業も仕方ないもんだと思います。

ただ、飛び込み営業について思うことはある。
「自分のやりたいことで人を喜ばせることができる」ってとこに魅力を感じて就職したのに、死ぬほど嫌がられること、迷惑がられること。

もちろん嫌がられるのは当たり前で、飛び込みなんて誰に来られてもきっと嫌だし、自分が先方の立場になってもやっぱり嫌。

ただ、ウチの会社としても、新しいお客さんを探すってことはこの斜陽業界では至上命題であって、最優先事項なので、仕方のないこと。

頭では分かってる。理解もしてるけど、ただ、「こんなはずじゃない。」って思う。今はやるしかない。でも、この感情はずっと持ってないとって思う。納得してしまってはいけない。

理由は後述しますが、こう書くと、飛び込み営業が辛くて悩んでんのかな…って印象を与えてしまうかもしれません。でも、別に飛び込むのが嫌なわけじゃないんです。

まぁ、思ってる以上に(?!)飛び込みで、ただただいきなりどっかの会社の受付に、受付がないなら直接事務所に「はじめまして〜」って言って「は?」って対応されるとこから始まるんですが、そりゃやるまでは「マジで行けんのか?」って不安に支配されてました。

ただ、初っ端西成とか門真とかの👿なとこ行ったせいか、そもそもバンドマンにデザインさせてくれって頼んでた頃があったからかはわかりませんが、思いの外一瞬で慣れて、2日で「セールスお断り」の看板5枚抜きくらいは余裕でできるようになりました。

これを読んでる人で、飛び込みの対応してる方がいたらごめんなさい。
話を戻して、、、

そんなん感じなので、その場はどれだけ足蹴にされてもなんとも思わない。別に二度と会うこともない人に何言われたって、傷ついてるのが勿体無い…ってなるだけ。

ただ、仕事が終わって家に帰ってるとき、「俺は人様をイラつかせるために、迷惑をかけるためにこの仕事をしてんのか?やりたいことで、人を喜ばせたかったんじゃなかったんか」と思うんです。

そもそも、僕は割とドライで自己中な人間なので、決してネガティヴな感情ではなく、現実的な意見として、「誰も俺のことなんて興味持って見てないやろうし、好きにさせてくれよ。」とか、「人の視線気にして、何かを譲って遠慮したりして損するなら、そんなもん無視して生きたい」とか、基本的にそんな考えです。

でも、自己中がやりたくてやってること、デザインだったり絵だったり何かを作ることだったりで、喜んでくれる人に出会ったとき、これ以上ないくらいの幸せを感じたんです。

そもそも、自分がやってることなんて、誰も理解してくれんと思ってました。高校くらいまでの頃は絵が上手いキャラでしたけど、どんどん関わる人も増えて、自分なんかより才能ある人なんていっくらでもいて。
別にそれで興味なくしたり、冷めたりはサラサラなかったけど、忘れもしない高3の進路相談。

デザイン方面に進みたいと言った俺に、お前なんかじゃ無理って担任が言ったときに、たしかに自分は、そういった人様に認められるものを描ける人ではないんだろうなって、自分をカテゴライズしたんです。

だからこそ、ちょこちょことデザイン活動をする中で、俺の描いたモノを良いと言ってくれて、お金を払ってくれる人がいることが本当に嬉しかった。本当に嬉しかった。(大事なことなので2回言いました)

その気持ちが忘れられなくて、一度は諦めたはずのこの道で、結局働くことにしました。営業ですが。

長くなりすぎましたが、だから飛び込みで人様に迷惑をかけているという事実が、毎日毎日僕の首を絞めてきます。
でも、そんなときに思い出すのは、尊敬する人に貰った言葉。

人生は常に己の選択。

あっちだこっちだというような選択肢の意味とは少し違って、「お前は今自分で道を選んでここにいるんだろ?」っていう意味。

仕事にブツブツブツブツ文句を言うなら、辞めて転職すればいい。自分で「まだ、この会社に」って道を選択してるくせに、文句ばっかたれんなって、そんなちょっと強気な考えです。

そもそも、こんな状況なのは言ってしまえばそれは、僕に実力がないから。

もし僕が最高にセンスあるデザイナーなりイラストレーターだったら、待っててもいくらでも依頼が来るだろうし、こっちから行けば「そらもうやってくださいよ!」って言って貰えるんだろうと思います。

いつかそうなるために、僕はこれからもしばらくは、自分で選択してこの会社にいる。

今は理想と現実のギャップの中で苦しんでいるけど、この経験がきっと役に立つはず。
この毎日が、「自分が良いと思うのはもちろん、人が求めてくれるような魅力的なデザインを、絵を描かないと」と思わせてくれる。「しょうもないデザイナーになろうものなら、人様をイラつかせて、迷惑がられる人生を送るしかない」と毎日思わせてくれる。

だから、飛び込み営業の違和感と戦いながら向かっていくんです。

そんな「人生は常に己の選択」は、僕の好きな言葉ですが、逆に大嫌いな言葉は社会人なんだからです。

社会人なんだから、時間は守りなさい。

社会人なんだから、○○はできて当たり前。

社会人なんだから、体調管理くらいしろ。

社会人なんだから、土日もお客様の対応しろ。

社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ

社会人なんだから、社会人なんだから、、、

本当に嫌いです。

ウチの会社は割とゆるい空気なので(上はなかなかパンチ効いてますが、どこもそんなもんだと思います)、何かやらかして嫌な上司とかに直接言われたわけじゃないんですけど、自分の頭に浮かぶ数々の言葉は、口にすれば「社会人なんだから」で打ち消されるんだろうな、と思うんです。

それほどまでにこの「社会人なんだから」という言葉は力を持っていると思うんです。そのときそのとき、使う人によって少しずつ意味の変わるマジックワード。

だっておかしいですよ。

例えば、「社会人なんだから体調管理くらいしろ」って、人間生きてたら風邪くらい引くでしょう。
そもそも、イジメでも受けてない限りわざわざ好き好んで風邪引くわけがありません。しんどいし。社会人である前に「人間なんだから、体調管理はしてる」んですよ。

もちろん大事なプレゼンの前とかは必要以上に気を配ったり、そういうタイミング的なものならわかりますけど。一生気も張ってられるわけでもなし、限度があるでしょう。

で、「社会人なんだから、どんな人とも上手くやれ」こいつもどうかと思うんです。

これは僕らの業界が少し顕著なところもありますが、1日の14,5時間を普通に会社で過ごすわけです。
それはもう仕方ないことです。そのおかげで、尊敬する同僚や、ライバル意識のある同僚、気の合う同僚ばかりなら、それは仕事も捗っちゃいます。

でも、もちろん嫌いな人やロクでもない人も一緒です。
ウチの会社は、土日を加味したって、家族より会社の人と一緒に過ごす時間の方が余裕で長いんです。

人それぞれ家庭環境に違いはありますし、僕は一人暮らしなんで今はあまり気にしてません。
が、愛する家族より嫌いな人やロクでもない会社の人と過ごす時間の方が長いって、どんな人生なんですか。疑問を持たないのが不思議です。

結婚して子供ができて、会社の人より家族とより多く過ごしたい、それがなかなか叶えられない夢物語で、現実的に無理なのはわかります。
ただ、多くの時間を一緒に過ごす人は、せめて自分と気があう人がいい。いつかは、自分の意志で一緒に働く人を決められたらと思うんです。

今年の初め、僕を選んで働きたいと言ってくれた人がいたように、僕も、この人と働きたいと思った人と働く人生をいつか送りたいです。

過剰な「社会人なんだから」には社会人である前に1人の人間なんだから、従いません。僕らには生まれながらにして、最大に尊重されるべき幸福追求権がある。なんか訳のわからないWEBで稼げる講座みたいな言い草になっちゃいましたけど、本気でそう思うんです。

そして最後は熱量。
とにかく4月に就職してから、熱量を持って仕事に接することを意識してきました。
ウチの会社の研修は5日で終わり。

すぐに正式配属されて、仕事については現場で学べってスタンスです。
先輩に同行させてもらい、途中から入った仕事の打ち合わせでわけわからないものが大半でしたが、必死で話についていき、意見を求められている場では、さすがに何もわかってない身で口出しはしないにせよ、頭のなかでアイデアを大量に考えたりして、毎日を過ごしました。

そして、飛び込み営業で自分が取ってきた仕事には、思いついたことは全部やるスタンスで、過剰と言えるほど資料を作って準備したり、それを先輩に訂正されたら舐めんなよってなって(別に舐められてない)、訂正されてないところまで悔しくて直したり、それでまたアホほど遅い時間になったり、、、と、まぁ色々ありましたが、とにかく熱量を持って働いてきました。

今だって自分1人でアレコレ言われながら企画提案書を書いてます。逃げ続けてきたパワーポイントとの戦いです。

そのなかで思ったこと、それは、ただ金だけのためには働きたくないということ。

そう、最後は端的に言うと、金ばっかに辟易したって話です。

先述どおり、僕は営業マンです。

営業である以上、いわゆる「ノルマ」ってやつがあります。1年目である僕の肩にも実は既に何千万という額が乗っかっているわけです。
それを消化するには、稼ぐしかない。

お金をもらうしかない。

それは仕方ないことです。

あまり書きませんでしたが、ウチの会社は中小企業ではあるものの、それなりの規模の会社ではあって、デザインやらなんやらかんやらを1から10まで自社でできる体制になってます。ということはそれだけ関わる人間も多く、しっかりお金を払わないといけない。そのためノルマも多いというわけです。

やはり、仕方のないことです。
この前、日頃取引のある企業さんから、大型案件の打診がありました。

先輩にサポートについてもらい、まずは打ち合わせ形式でお話を聞く。

すると、先方の口から出てきた言葉
「まぁ、こんなもの作っても誰も見ないんですけどね」

え?

そんなこと言われて、作る側の僕は全く気が乗りません。もちろん仕事なんだから、気が乗らないとか舐めたこと言ってる場合ではない。そんなことはわかっているし、しっかりとやるつもりだけど、少なくとも先述したような熱量は出てこない。熱を出すための火種も炭もない。

どうにかならんものかなと、飲みの席で先輩に聞いた。

「誰も見ない、誰も必要としてないものを作ることに、どうしてもやる気をマックスにできないです。どうやってモチベーションを保ってるんですか。」

帰ってきた答えは

「ええやん。金もらえるんやから。」

きっとこれは正しい答えなんです。なぜなら、うちの営業の口癖は皆これなので。

それに、先輩は営業としてとても優秀な人で、尊敬できる点も多々ある。
それでも、これは納得できない。

仕方なくなんて、ない。

僕はこの仕事を、「誰も見ないものだけど、誰にでも必要なもの」とカテゴライズして、どうにか今、熱を高めていっているところです。
これからも絶対、僕は「金だけのために」働かない。
「自分のため」か、「喜ぶ人のため」に、ありったけの熱を投じて働く。それが社会人として間違っていると言われても。

愚痴っぽくなってしまいましたが、以上です。
いつかまた読み返した先の自分が、「流されてないな、何も変わってないな」と思える自分でいることを信じます。

明日からの熊本復興支援について。

明日、8/27,28と復興支援として熊本に行きます。向かう前に、自分の気持ちを書き留めておこうと思ったので、ブログを書きます。
4/14。僕が新社会人として働き始めて2週間が経った頃、あの大きすぎる余震が起きました。

その日は、仕事終わりにI7Sのシンノスケさんにご飯に連れて行ってもらっていて、社会人になって思ったことや、これからの展望を沢山話して、帰路に着いてから地震のことを知りました。

僕は、東日本大震災が起きたころは高校2年で、まず財力がなく、すぐさま被災地へボランティアに行くこともできませんでした。

そもそも、なぜそんな復興支援にこだわるのか、ってところですが、僕は1歳のころ、大阪の豊中というところで生活していて、そこで阪神淡路大震災に遭いました。
近隣の建物も含め、結構被害が大きい場所で、記憶はないものの、家族から何度も何度もその頃の話を聞かされました。
ただ、正直言って映像も古いし、写真じゃ荒れ果てた土地が写っているだけで映画に見えるし、現実味を帯びていませんでした。
それが、東北の震災で全てが変わったんです。

自分達の土地で、津波はないものの同じことが起きたこと、そして助けてもらっていたこと。

僕は、日常的に仲のいい人ならお分かりかと思いますが、基本的に聖人的な性格とは程遠い方にいますし、なんなら人がドブに入ったら笑ってしまうタイプの人間です。

でもこのとき、とても感覚的な言葉になるんですが、本当に全ての考えが変わったんです。
ありとあらゆる映像を見て、何が起きてるか調べて行く中で、お金がある人は寄付を、時間がある人は現地へいくべきだ。俺は後者だ。そう思いました。

そんな意識を持ちつつ、残りの高校生活を過ごしました。
そして大学生になって、時間とお金にある程度余裕が出来てからは頻繁に通いました。
が、すぐさま行けなかったという負い目はずっとどこかに感じていて、別に褒められるためにやっているわけじゃないんですけど、快く褒めてくれた方にも、「速攻行けたわけじゃないので」と、ずっと答えていました。

もっと素早く的確に動いていた方は沢山いて、僕はその人たちの背中をずっと見てきたからできたんです。

だから、今度何かが起きたら、必要としているところを見つけて、いち早く自分先頭に立って旗を振り、力になりたいとずっと思っていました。
しかし、新社会人デビューして2週間。

その日は来てしまいました。今の自分には有給もない、ということは時間もない。就いた職を速攻投げ出してまでいく度胸もない。

それが本当に情けなくて悔しくて、日々増えていく犠牲者を見て、頼むからこれ以上増えないでくれと思っていましたが、結局90人近い方々が亡くなられてしまいました。

余震当日の夜は0人で、増えないで欲しいと願いながら寝たのを覚えています。

亡くなってしまった方々に、心からご冥福をお祈り申し上げます。
とにかくできることはしよう、と仕事終わりに物資を送るサポートはしてみたけれど、現地が求めているのは物資ではない。

その時点で、今回もすぐには叶わないと思いながらも、やっぱり現地へ行くしかないと思いました。

ちょうどFIGHT BACKのリーダーであるソウタさんも同じ思いで、今回はチームFIGHT BACKとして熊本へ向かいます。

堅いことを長々と書いてしまいましたが、僕はこういう気持ちをしっかり持った上で、まず自分が楽しんで現地へ行こうと思っています。
僕らにできることは決して大きいことじゃない。

東北へ行ったとき、被災地の方へ恐る恐る聞いた今一番欲しいものは?という質問。

帰ってきた答えは「家」。
どうにもできない。
でも、続けて「笑顔、癒される時間が欲しい」と答えてくれました。

万が一、家を与えられるとすれば、それは企業ぐるみで「慈善事業もやってますよ!」というアピールをしたいどこぞの大企業くらいでしょう。

ただ、その支援に、、、きっと担当されている方の強い思いとかはあるでしょうが、実際に形になるとき、その思いが被災された方に届くのかはわかりません。

人の数が増えれば増えるほど、一個人の熱量は冷めていくものだと思っています。

それに比べ、家は建てられないけど、僕たちには、人に負けないそれなりの熱量と気持ちがある。向こうの人たちの1番欲しいものではないでしょうけど、「笑顔、癒される時間」くらいは作ることができる。
(補足すると、これは大きな団体をディスっているわけではなく、自分がやるならこっちだな、というだけです。個人が動きやすいなら個人で、団体が動きやすいなら団体で、というだけで、本当に素晴らしい支援をされている団体も沢山おられます。)

最初は、「自分たちだからできる支援」として考えて、思いついた「オリジナルTシャツ製作体験」。

子供達に、チャリティグッズの利益でTシャツを買って、僕とソウタさんが描いたデザインから好きなものを選んでもらい、一緒にプリントしてできたTシャツをプレゼントするという、完全無料のワークショップイベント。
来てくれた子供達が喜ぶ姿を想像していると、僕たちにできることは精神的な支援、心の支援だと気づいたんです。

小さな小さな支援ではありますが、そういう経緯で打ち立てたのが、今回のPEACE OF MIND、意味は心の平和。
初日は、誰よりも自分が楽しんで、その楽しさを向こうの人たちに伝染させまくってきます。

2日目は、色んなところを見て回って、魅力的な場所やしっかりと見ておかなければいけない場所へ行って、沢山の思いを持ち帰ってきますので、頭の片隅に置いといてやってください。

自分も復興支援に行かなければ!とか、押し付けるようなことではなく、単純に「あれ、行ってもいいかも?」と思えるような何かを掴んで帰ってこれたらなと思います。たとえ誰か1人でも、続いてくれたら本当に嬉しいです。

しばらくはSNSにもよく投稿するかと思いますが、よろしくお願いします。
、、、ここまで、一応の意志表示としいる堅っ苦しく真面目なことを書いてしまいました。

上に書いたことは全て本音です。が、よくよく考えていただければ、僕はしっかりとした意識の高い人のような、崇高な素晴らしい思いは持ち合わせていないんです。熱量は比べ物にならないほど持ってると思いますが…。
実際、彼らが言うような、「○○○だからこうすべきだ!」みたいな〜すべき理論は、初回の東北に忘れて帰ってきました。
もちろん復興支援で行っているということは忘れてはなりませんが、向こうにいる間、四六時中考え続けても気持ちが暗くなって、疲弊するだけです。
しっかり色んなところを見て、ときには景色に感動して、感じたことをしっかり覚えて、持ち帰って考えることで色々見えてくるものだと思います。

まぁ、そんなことを考えてる時点で、ちょっと人として失格なのかもしれませんが、向こうの人たちの人の明るさや温かさに触れることで、逆に元気づけられてしまうんですから、そこでウジウジ悩んでいる方が失礼だと思うのです。

このように、他のボランティアさんとは少し考え方も違いますが、何が1番違うかというと、そもそも僕は好きなことをしに行くだけなんです。

そもそも、いわゆるボランティアと言えば、荒れた大地を整地したり、荷物を運んで片付けたり、といった力仕事がほとんどを占めます。

最初の頃は物資をひたすら運んでましたのでこれに近かったです。

ただ、明日僕たちがやることのメインは、STHさん協力のもと開かれるけん玉体験と、Tシャツ作りのワークショップです。180度違います。

私事になりますが、僕は単にデザインやイラストを描くのが好きで、それを見て人が喜んでくれるのが嬉しかっただけでした。
自分のデザインが人の生活のどこかにいることにとても幸せを感じるんです。
ちょっと気持ち悪いですが、あげたプレゼントをずっと使ってくれたら嬉しいじゃないですか?そういう気持ちです。

どこかに置いてくれるだけでも十分幸せなのに、服とかだと喜んで着て生活してくれる人がいる。こんな幸せなことはありません。まさにWIN-WINの関係です。
そして、ボランティアで物資を運びながら感じたこと、「これをチャリティTシャツとすることで、ここにいる被災地の方も喜ばせることができる。WIN-WIN-WINかもしれない。」

そうして突発的に始めたのが、色んなことを巻き込んで今回はワークショップというスタイルで、形になろうとしています。

復興支援やボランティアというと、大そうなことをしているように一見見えますが、僕みたいに自分のためにやっていることが、延いては人のためになるパターンが他にもきっとあります。

何かきっかけがあれば、あなたのやりたいことで、得意なことで、被災地の方のサポートができるかもしれません。
もしお時間があれば、少し考えていただければと思います。
僕なんかでよかったら、いくらでも相談にのります。アイデアだけは人一倍出てきますので、お気軽に!!(現実性は低め)

そして最後に。
僕たちのやっているこのサポートは、作ったモノを買ってくれる方がいて初めて成り立ちます。
それを忘れず、しっかりと胸に留めて子供たちを元気にしてきます。
また、報告のブログを書きます。
長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました!!