やりたいこと(続)

社会人になりました。ゆうせいです。

こうやってブログ、というかSNSにもあんまなんも書いてないので、友達に向けて文章を書くのは久しぶりですが、それには理由があります。

実は会社にフェイスブック的な社内SNSがあって、「新入社員は、出勤日は内容はなんでもいいから毎日投稿をするように」なんて社長から言われちゃって、そっちばっかやってるから、あんまり触ってないんです。普段その社内SNSではかなり綺麗に言葉を使っているせいで、今日は崩してもこんな感じの言葉になります。毎度通り長いですが、どうか読んでいってください。

さて、自分で言うのもなんですが、俺が入った会社は大企業ってほどではありませんが、中小企業にしてはそこそこのスケールの会社です。少なくとも、俺よりはだいぶ格上の学歴を持つ人しかいません。そもそも、なんたって僕は適性検査の筆記試験がぜんっぜんダメだったみたいです(猛爆)

ただ、攻撃性MAXと出たという心理診断と、面接で見たお前の性格を理解して取った。と専務からはありがたいお言葉を頂戴しております。

社内SNSについてですが、I7Sのシンノスケさんに「そんなレベルの会社になってくると、普通は下のやつになんて見向きもせんくなる。でもわざわざ上の人がそういう場を与えてるってことは、そこで自分を出していかん手はないんちゃうか。」と言ってもらって、必要以上に自分を出しまくっています。

良いのか悪いのかわかりませんが、おかげで、アクセス回数はほぼ毎回新入社員の中でTOPです。まぁ、もうめんどくなって書かなくなっている人が大半なのも理由の1つですが。最後の1人になったって続けたいです。

肝心の仕事は、幸い前のブログ(https://uuuuu921.wordpress.com/2015/12/10/%e3%82%84%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8/)に思い描いていた通りの仕事です。事業内容的に、デザイン方面ならなんでもやっているので、毎日毎日デザインと向き合って生きています。

以前書いたように、俺は営業ですが、デザイナー部隊も社内、というかオフィス内の5mくらい離れたところで作ってくれるので刺激を受けまくってます。
去年の七夕の短冊に「日々、デザインと向き合える人生が送れますように。」と書いたんですが、見事に叶えています。

そういえば、2012年のAIRJAMがあったとき、ディズニーで短冊に「AIRJAMに行きたい」って書いたなぁ。そのあとすぐハズレの連絡きたけど、知る人ぞ知る個人情報厳しすぎるトラブルがあって、ほぼ全員抽選をはじかれて落ちてたっていう。笑 再抽選されて、結果的に無事に行けました。七夕は優秀です。

福岡も行く気ですよ。

仕事中は、自分で言うのもなんですが、とにかく全力です。ただ、赤ちゃんの頃から染み付いた夜行性がなかなか消えず、朝型の生活に馴染めません…。どれだけ前日寝ていても、わからない話が一生続いていると、商談中に意識を失います。問題といえばそれくらいですが、これをまずどうにかしなければ、と思い、無理くり話に入ったりしています。ただ、こんなことをしているようじゃいけません。俺は期待に応えなければいけないんです。
実は、入社式のとき、わざわざ社長が俺の前まで来てくれて、直々に「君は本当に良いと、面接のとき直感で感じたんだよ。今年は沢山新人さんが入ったから、僕もみんなを覚えることはできないんだけどさ。君には期待しているよ。」と言ってくれたのです。最後に「まぁ、根拠はないんだけど」が付くんですが(猛爆)
それでも、同期が30〜40人いる中で、そうやって、わざわざ俺の名前を出してくれた。人は、期待されると持っている以上の力を出せるもんです。期待された結果を、社内SNSのアクセス数だけで終わらせてはいけない。
最近常々思うのが、人よりやりたいことが多い俺は、その分誰より努力しなきゃならないということ。最近はずっとそう思っていて、もっともっと出て行って、結果を叩き出してやりたい気持ちが強いです。
そんなことを考えるうちに、打ち合わせに対しても気持ちが変わってきました。制作物となると、まずは相手の会社のことをよく知らねばなりません。
簡単にでも事前準備をしてたら、途中参加の案件の打ち合わせでも、話している内容の解決策を自分なりに考えることができます。

基本はまだまだ素人アイデアなので、そうそう口には出しませんが、たまに「これだ!!」と思うのだけニヤけないようにボソッと提案したりして、それが採用されたときなんて嬉しいもんです。
しかし、新製品についての制作物に途中から参加させてもらっていると、これはもはや何をしているのか皆目検討がつかなくなります。そういうとき、最初は無意識に仕方ないと思い、解決策を考えることをやめていました。
先輩も、さすがにこのレベルだとわからなくて仕方ないよ。と言ってくれるのですが、人より何かをやりたいやりたいって言ってくるくせに、ダッサイ考えしてんな、とだんだん情けなくなってきて、気づけば「仕方ない仕方ないは仕方なくない」という考え方をするようになりました。

新入社員だから仕方ない。教えてもらってなくてわからないことだから仕方ない。こんな甘えは仕方なくない。

実は、俺はこの会社に入るにあたって、本当に魅力的だった夢へのお誘いを遮って入社しました。
そこまでしてここを選んだなら、どうやったって結果を残さなきゃならない。なんのためにこっちに来たんだって思うような社会人生活を送ったら、こちらを選んだ意味なんてない。

ここまで言い切ったら、そうそうのもんじゃ折れません。

 
そして、あれだけ強気で書いていたやりたいこと。

その火は全く消えておらず、 まずは英語を始めました。
別に、俺は崇高な高い意識を持ってグローバルな人間になりたいわけではありません。

ただ、自分の知らない面白い世界があるというのは気に食わない。100があるなら100まで見たい。これは昔からの俺の信条です。日本以外の場所があるなら、日本以外も行ってみたいんです。
きっとイタリア旅行のブログにも書くと思いますが、正直英語なんてまともに喋れなくてもどうにかなります。ホテルと列車がついただけのフリープランで、同じく英語が話せない友達と1週間いましたが、困ったことなんて特になにもなかったです。

高校の頃から、英語が全て赤点だった俺が言うんだから間違いないです。

英語は、海外旅行に必要不可欠ではありません。少なくともヨーロッパではどこも同じようなものでしょう。
ただ、英語をしらなければ、思いついたことを話せません。相手の言っていることがわかって、言い返しが思いついても、それをどう話すのかわからないから言えない。そういうもどかしい思いは沢山しました。
ということは、英語を覚えなければ、100まで楽しめません。だから始めるのです。ちなみに、「NO,I don’t.」のドントの部分を完全に忘れていました。スペルすら自信なしです。先は長そうです。

そして、デザイン。

より、デザインに魅力を感じるようになってきました。

本当に自信のある良いものを作って、お客さんに「いいね!」と言われる瞬間、喜んでくれるかな?これは絶対にいけるだろ!と思っている瞬間。すなわち最高です。普通にボツッたりしますが。
運良く無事に校了して、僕らのいる川上から、お客さんのいる川下まで自分の手がけたものが流れていくときも最高です。

世の中に自分の携わった制作物が並ぶ、何度考えても、こんな幸せなことはないです。

例えば、タワレコにジャケのデザインをしたNOT A NAME SOLDIERSのCDが並んだとき、街中で知らない人がFIGHT BACKxI7SのTシャツを着ているのを見たとき、たまたま会った友達がPARALLEL YOUのTシャツを着てくれていたとき。

自分のやりたいって気持ちで動き出したものを、誰かがキャッチしてくれている。繰り返しになりますが、本当に幸せでしかない。

でも、ここ最近思うことは、俺にとって、やっぱりデザインとは「絵」です。

絵が好きになって、デザインが好きになった。子供の頃は絵描くか遊ぶかしかしてなかった。図画工作は俺のための時間だと本気で思ってた。今でも、打ち合わせで紙とペンを持った瞬間、絵を描く描かないで魂が葛藤しています。
ただ、家に帰ると不思議と描かない。

いや、正確に言うと、何気なく紙とペンが置いてたら家でもすぐに何か描き始める。0から、「描こうー!」という気にならないんです。
なんでだろうなーとか思いつつ、薄々わかってました。それは、やっぱり絵が下手だからです。コンプレックスが頭から離れないから、「いざ、やろう!」ってときに、できない。さらっと描くのとは違い、真剣に描けば否が応でも自分の絵の下手さを改めて受け止めることになるからです。
バンプの歌にも似たようなのありましたが、子供の頃は絵が上手いとずっと言われてました。でも、成長すると俺よりもっと絵の上手いやつなんて沢山出てきて、それに反比例して俺の評価は少しずつ下がってって…まぁ子供なんてそんなもんです。

それからも、何気ない絵を描き続けてはいたけど、コンプレックスは増え続けました。
客観的に見て、俺は平均的な絵よりは、少し上手い絵が描けると思います。

ただ、模写とかになってくると平均以下です。それはなぜかというと、きっと俺は、頭で思い描いた創造物を絵として描く力が、平均的な人より本当に少しだけ大きいだけで、普通の絵のスキルは平均以下なんです。
絵が上手い人というのは、そもそもの絵のスキルがあるのに合わせて、このアウトプットの能力もとても高いのでしょう。羨ましいを通り越して、正直妬ましいです。
そんなこともあって、デザイン物を1から10までPC制作したことももちろんあるのですが、やっぱり「絵」に敵うものはありません。

だから、絵・デザインの勉強も始めました。とりあえず基礎も基礎、綺麗な丸を描くところから。

絵が上手くなる!っていう色んな方法から1つを選んで試すんじゃなく、とにかく出てくるものを全て試してやってみようと思います。

現在、去年のブログから無事に受け継いだやりたいことの火は燃え続けいて、そこに仕事という薪も放り込まれ、前以上に気持ちが上がっています。不安や緊張もありますし、しないでいい挑戦も沢山ありますが、あえてどんどん首を突っ込んでいくことで、人一倍苦労し、人一倍成長しようと思います。逃げ続けたダサい背中なんて、いつ産まれてくるのかもわかりませんが、子供に見せられません。

振り返れば、学生時代は、その膨大な時間を自由に使い、思い描く光景を実現させることができました。膨大な時間はなくなりましたが、そこはもう膨大なやる気でカバーするしかない。思い通りに生きていくためには、誰よりやるしかない。
結局、好きな気持ちややりたいって気持ちってのは呪いで、人はそこから離れることなんてできないんです。

やらなきゃ後悔するだけだから、俺はやります。でっかいこと言ってしまいましたが、これから 見ててください!

イタリア旅行(日本~ベネチア編)

人生初の海外旅行!

卒業旅行として海外へいこうと漠然と思っていたのですが、どうせならなかなか行けない、そしてあまり行っている人がいないところに行きたいなーと考えて、ヨーロッパまで足を延ばし、イタリア国内をあっちこっち周り、6日間を向こうで過ごしてきました。
初めての海外旅行としては、難易度が高いと言われたのですが、世界遺産をどこの国よりも持つこの国はとても魅力的で、見たもの、感じたことを忘れたくないので、こうしてブログという形で残しておきたいと思います。ついでに大学4年間のことも…。
長くなるかとは思いますが、少しでも何かが伝わるように書きますので、お時間があれば見ていただき、魅力が伝わればこんなにうれしいことはありません。書きやすいように話口調で書きますが、お付き合いください。まずは、ベネチアまでを書きます。

2015年3月15日、4年間通っていた大学を卒業した。誰もが「大学の4年間は本当に短い」なんてことを言うけれど、御多分に漏れず、俺にとっての4年間もあっという間だった。思えば1年の頃、俺はとてもろくでもない大学生だった…。世間的に、「うぇ~い系」とか言われている、何の目的も夢もなく、ただただ漠然となんとなく日々を過ごしている同学年の人と混ざるのがいやで、意図的に距離を置いていた。誤解のないように書いておくと、友達もいて、学校にも行ってた。けど、行ってるだけだった。2000人もいる同学年の中で、聞こえよく言えば、自分の色を探すのに必死だった。悪く言えば、俺はあんな奴らとは違う!ってのを言い訳にして、ちゃんとした人だっていたのに、探さなかった。そんな大学生活を送った結果、そのうぇ~い系よりも成績は低く、心の底から自分を情けなく思った。当時は色んな人を受け入れることがまだできなかったから、こんなことになってしまったんだな、と今では思える。そう思えるようになったのも、色んな経験をして思い悩んだりして、バンドのデザインをやりだして、もっとたくさんの人と知り合って行ったからだと思う。いつのまにか、俺は大体の人を受け入れることができるようになっていった。それまでは、自分の中にある「こうあらねばならない!」という、なんかよくわからないプライドみたいなものを、人にも当てはめていたのが良くなかったんだと思う。自分が自分で考えたものは、自分で守り抜けば、それでいいんだなー、と気づいてからは、色んな友達から、自分の知らない世界の話をたくさん聞いて、俺も自分の世界の話をして、そうこうしてるうちに、大学生活は楽しくなり、成績もどんどん上がっていった。

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といっても、1,2年の代償は大きく…結局4年の後期まで単位が残ってしまっていた。俺は、5つの試験の中で2つ合格点を取らなければいけなかった。試験後は「まあ、なんとか行けたでしょ…」と思っていたけど、何といっても試験だから、解答欄が1つずつずれていたりだとか、実は受けた教室を間違えていたりとか、こんなことが考え出せばキリがないほど出てくる。結果はもちろん行けたけど、それまで旅行の予約をしに行くこともできなかった。

卒業者発表は卒業式の2週間前、3/3だった。無事に合格者一覧に自分の名前を見つけて、思いつく限りのガッツポーズをして、その足で友達と大学の旅行予約センターに行った。やっとのここから本題である。

「再来週くらいにイタリアに行きたいんですけど…」俺の卒業旅行はここから始まった!けども、「たぶんどこも空いてないですよ」と、答えは一瞬で返ってきた。まぁよくよく考えていれば当たり前で、大体海外旅行なんて3か月、下手すれば半年前から企画するもので、1番卒業旅行として込み合う時期に、2週間前にいきなり来て予約しようったって、そうはいかない。見つけたイタリアへのプランを総当たりで聞いてもらったけど、どこもかしこも空いていなかった。「旅行代理店にでも行ってみてください。小さいところならチャンスがあるかもしれません」と慣れた口調で言われて、俺らは放り出された。毎年のように、俺らみたいな馬鹿な学生がぎりぎりで言ってきてはじき出してるんだろうな…となんとなく思った。

とりあえず近場の旅行代理店でも行くか…と駅前まで足を延ばした。店の前に並んだパンフレットを見ていると、どれも「2016/4~」と書いてある。「これは…」と内心思いながら、口には出さずに店に入った。
「再来週くらいにイタリアに行きたいんですけど…」同じセリフをここでもいうと、とりあえずパンフレットはあるようで、持ってきてくれた。沢山魅力的なプランが並んでいる!所詮学校の旅行代理店もどきなんてもとから期待してなかった!餅は餅屋!!と思いながらあらゆるプランを聞いたが、どれも飛行機が空いてなくて帰ってこれないか、もうそのプランの募集は打ち切って催行中止になっているか、どちらかだった…。スタッフのお姉さんが、もはややけくそになっている俺らを見かねて、ヨーロッパ全土をしらみつぶしに確認してくれたけど、どこも空いていなかった…。「ここらならどうにかできますけど…」と、パンフレットをもらって、その店を出た。

途方に暮れ、我が家で緊急特別会議を開くことにした。なんたって頭の中ではイタリアがん攻めルートが決まっていたのに、もらって帰ってきたのは「ロサンゼルス」「ニューヨーク」とか書いたパンフレットだった。アメリカも…そりゃ行きたいけど…思ってたのと違う。諦めが悪い俺らは、ネットで検索をかけることにした。これはできるだけやりたくなかった、初めての海外旅行で、しかも遠い国へ行くのに、ネットじゃ不安な点がもっと増える。とりあえず調べるだけ調べたが、どれもこれも帰国が4/1になるものしか残っていない。その日は入社式だ…ドボンになってしまう。そういえば、お姉さんが「うちは大手でHISだけ扱ってないので、最後に望みをかけるならそこですね…」とつぶやいていたのを思い出した。調べると、なんと「HIS ヨーロッパ専門店」なるものがあるらしい。俺はそこを調べつつ、同時に友達に速攻電話をかけてもらい、「3/16~3/31の期間内なら何でもいいので、イタリアのプラン空いてませんか…」とすがりついた。調べてみますと返事があり、すぐに折り返しが来た。なんと2席だけ余ってるプランがあったようで、やっと俺の卒業旅行が決行されることになった。
出発日は、卒業式の翌日である3/16からで、移動手配とホテルのみの予約をしてもらう、ガイドなしのフリープランとなった。買ってきたガイドブックに、「主要都市は英語でもOK!」と書いてあり、余裕だなと思っていたら、英語もしゃべれないのに気付いたのは飛行機に乗ってからだった…。

ついに出発の日が来た。ひかに送り出してもらい、関空についた。あまりに広い初の国際線ロビー。右往左往しながら「カタール航空」の文字を探す。カタール航空とは、その名の通り、カタールに本拠地を構える航空サービス会社で、何といっても砂漠国家ゆえに、油田を大量に持つ金持ち国家だ。かなり安い飛行機なのに、とてもサービスがいいことで有名らしい。俺らのルートは、まずカタールのドーハ空港へ行き、そこから乗り継いでベネチアのマルコポーロ空港(ベネチアはマルコポーロの出身地らしい)へ行くルートだ。まずドーハまで11時間半、乗り継ぎに5時間、ベネチアまで5時間半の驚異の22時間コースである。なんなら関空に2時間前につかなきゃいけないので、24時間、家からだと26時間…考えると気が遠くなる。が、旅の最中は相対性理論が活発に発動しているので、意外と何ともなかったりする。

日本を出てしばらくすると提供される機内食、時差がドーハの時点で-6時間になるので、何ご飯をたべているのかよくわからなくなる。これはチキンとマッシュポテト。

ユーラシア大陸を横断し、ドーハを目指す飛行機(時速800キロ以上)

機内ではマーベルムービー、アントマンを見ながら過ごした。見たことがあっても、機内で見るとまた違う。

関空を出て11時間半、8274キロ先だったドーハへ到着。

ドーハ(ハマド)国際空港。この時点で金持ち国家感がすごい。周りはアラブ系の人々ばかり。

ここで長い長い乗り継ぎタイムとの闘いに入る。まず関空発のチケットには書かれていた出発ゲートの記載がない。ので、ゲートの確認からだが、インフォメーションのスクリーンを見ていても乗るはずの便はあらわれない。人生初のリアル「エクスキューズミー」である。ほんとに通じるんだなーとなんとなく感心した。


この空港の名物、謎のくま?の巨大ぬいぐるみ。上から電気が当たってるのではなく、くまにめり込んでいるのが最大のポイントといえる。

カフェのおしゃれな入口の前で


クランベリーココナッツドリンク。飲んだことのない味でおいしかった。

ユーロで払ったら、割り切れないお金が「カタールリヤル」という謎の通貨で返ってきた…。

空港内を走るシャトルトレイン。この近未来感がかっこいい。天井はなぜか木目調。

ドーハ空港の出発ロビーについて受付に「ここであってますか?」と聞きに行くと「まだ始業時間じゃないから1時間待ってくれ!」この時点で、日本とは仕事に対する考え方が違うんだなと確信。無事に会っていたようで、飛行機のもとへクソでかいバスで移動。

運転席の見たことのないスケール感。
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外はやっぱり砂漠。

飛行機に乗り込み、待つこと5時間半。ついにベネチア空港に到着。そこらかしこにいる中国人と韓国人のマナーの悪さに辟易しながら、入国審査。「コンニチハ!」と言われて終了!無事にイタリア入り!

ベネチア空港は、ベネチア空港というものの、ベネチアには位置しておらず、イタリア本島にある。そもそも、ベネチアというのは、日本でいう沖縄のように、大小数々の島を総称してベネチアと呼んでるみたい。さて、そんなわけで空港からベネチア行きのシャトルバスに乗って、ベネチアへ!!

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ちなみに、イタリアは左ハンドル右車線なので、違和感がすごいです。

IMGP8227.JPGベネチアのローマ広場へ到着!止まってたトラム(日本でいうちんちん電車)

ベネチアは、車の乗り入れがこのローマ広場という島の入り口までと限定されており、自動車は通行禁止。街の人たちはみんなゴンドラかモーターボート。または水上タクシー使って移動し、生活している。さすが世界で唯一の水上都市。

IMGP8229.JPG最初に見えた運河、ついにここまできた!と、1日かかった移動の疲れなんて吹っ飛ぶ。IMGP8238.JPGIMGP8249.JPG運河に架かる橋の上から撮った1枚、水の反射がきれい。

IMGP8267.JPG映りこむ建物を見ると、ベネチアっぽい写真だなー、と思う。IMGP8277.JPG
路地1つ取ってみても、とてもいい写真が撮れる。

散策しまくって、1キロほどの距離にある、ベネチアの中心地。サンマルコ大聖堂の近くにあるホテルにたどり着くまで、1時間以上かかってしまった。

IMGP8297.JPGホテル「ベッラ ベネチア」4つ星ホテルで、泊まった中で1番グレードの高いホテル。

ホテルについて、荷物を置いたら、またすぐに街の散策を開始!

IMGP8301.JPGホテルにほど近いところにいたマルコポーロさん。黄金の国ジパングを見つけてくれてありがとう。IMGP8303.JPGイタリアはピザとかは安いけど、飲み物が高い。コーラで大体2ユーロ(260円くらい)で、ビールと同じくらいです。水とコーヒーが1ユーロ(130円くらい)で、同じくらいの値段。生活にコーヒーが密接してるから、カフェでもどこでもこの値段。ちなみにコンビニはありません。

IMGP8305.JPG海まで出てきたところIMGP8315.JPG夕焼けの時間になってまいりました!IMGP8323.JPGこっち見んなIMGP8327.JPGカジノを発見!なんと港にカジノ行の送迎船なども…全額かけたかったけど初日のため断念IMGP8332.JPGお気に入りのサンセット写真IMGP8338.JPG夜になってくるとゴンドラの料金が高くなりますIMGP8349.JPGIMGP8295.JPGIMGP8360.JPGIMGP8364.JPGIMGP8365.JPG日もすっかり落ちてきたところIMGP8370.JPGIMGP8372.JPGIMGP8376.JPGそろそろ飯の時間だなーと歩き回っていると、運河沿いに、いい感じのお店を見つけた。IMGP8383.JPG

水上タクシーが浮かぶ運河を横目に、チキンステーキを注文!ここのスタッフのイタリア人のおっちゃんが面白くて、微妙に日本語を話せる。
「ジャパニーズ?」と聞かれて、受け答えしてたら、「すごーいすごーい」と言いながら手元のスマホを触って何か出してくる。なんだと思えばコスプレイヤーの写真のスライドショーwwベネチアまで来て日本人のコスプレイヤーを見せられるシュールな状況に笑ってたら、また「すごーいすごーい」と言いながらタブレットをいじって何か出してくる。今度は中学くらいの頃?昔ジャンプに載ってたトラブルっていうエロいアニメwww
サービス精神旺盛なおっちゃんとのひと時を楽しんで、1日目を終えました。

サービスでもらったオレンジジュースの横に鎮座するおっちゃんのスマホ(トラブル上映中)

2日目の朝、移動の疲れも思ったよりもなく気持ちよく起床!夕方にはフィレンツェへの移動を控えていたものの、この日は事前から予告されていた鉄道ストライキの日。とりあえず旅行会社の現地支店まで一度電話してくれと言われていたので、携帯からかけようとするも、通話料が馬鹿ほど高くなるかもしれないし、とりあえず別のプランを練ることに。
しかし、ホテルの電話は外線につなぐ操作方法がよくわからず、公衆電話でも使うかな、とチェックアウト。とりあえず公衆電話を発見し、お金を入れるが…入らない。明らかに入れる場所はあっているのに…入らない。

「使い方調べろよ!」とお思いの皆さま。なんとベネチアではモバイルWi-Fiがほとんど機能せず、昨晩の帰り道も地図は使えず、なんとなくの記憶で帰ったのです。

使い方が記載されている感じのステッカーも、さすがはイタリア。なぜかゴリゴリにはがされており、全く読み取れない。かろうじてクレジットカードのロゴが読み取れたので、カード入れてきなところにクレジットをぶち込んだけど、さっぱり反応はない。結局30秒で終わらせようと携帯で書けると、「え?スト?今日はないっすよ」 あ、そうですか。イタリアクオリティ。IMGP8393.JPG問題の公衆電話。後から知ったけど、イタリアの公衆電話はほぼほぼ壊れていて小銭が使えず、郵便局でテレフォンカードを買わなきゃいけないとのこと。俺がクレジットを突っ込んだのは、テレカ用のさし口だったとさ…

気を取り直して、ベネチア観光2日目!ホテルのすぐ近くにあるサンマルコ大聖堂のある、サンマルコ広場へ。息をのむほどの絶景が広がっていて、圧倒的な異国感。天井に大天使ガブリエルが乗っている、高くそびえたつ鐘楼に上り、ベネチアの街を見下ろして、その絶景に、本当に来てよかったと100回くらい言った。多分この時点で累計500回くらい言ってた。

鐘楼の上に、日本にもよくある記念メダルの自販機があって、1枚2ユーロで売ってたから、せっかくだから買ってみた。俺は普通に買えたけど、友達は間違えて3ユーロ入れてしまって、おつり返却ボタンを押すも…出てこない。画面のクレジットには[1 EURO]と表示されたまま。仕方ないから横の飲み物の自販機で2ユーロ硬貨を崩すべく、1ユーロの水を買っておつり返却バーを押すも…また出てこない。結局おつりが帰ってくることはなく、呑まれたままで終わるので、イタリアに行った際は自販機に気を付けてください(旅行中、合計4ユーロくらい呑まれました)IMGP8398.JPGサンマルコ広場にて

IMGP8509.JPGサンマルコ大聖堂、近づくと圧倒的な迫力がある。IMGP8512.JPG彫刻もいちいちすごいIMGP8394.JPGこれが上った鐘楼!IMGP8508.JPGもちろん名前通り鐘もついているIMGP8493.JPG鐘楼から見たベネチアIMGP8496.JPGサンマルコ広場の対岸、海の向こうに浮かぶ協会。サンタマリアマッジョーレ教会。IMGP8497.JPG建物はオレンジの屋根で統一されているIMGP8503.JPGサンマルコ広場を上から見たところIMGP8505.JPGサンマルコ大聖堂を上から見たところ

一通り広場を見渡して堪能したところで、ついにゴンドラに乗ることに。ベネチアのメインイベントだ。ベネチアにはいたるところに「ゴンドリエ」というゴンドラ漕ぎの人らがいる。チケットとかはなく、その人らに声をかけて交渉して乗り込むというのが一般的な乗り方だ。基本的に何人乗っても同じ料金のタクシーシステムなので、一緒に乗る人数が多いほど安くなる。1隻出すのに、25分で80ユーロ、40分で120ユーロ、1時間で160ユーロが相場だった。長くなればなるほど、通るのが難しい狭い水路も通るスペシャルコースになっていく。ただ、2人で来ていたし、どうするかなーと考えていると、サンマルコ広場で知り合ったペルー人の夫婦と再会。彼らもゴンドラに乗るというので、一緒に乗ろうぜ!ってことで、1番長いプランでGO!
ゴンドラに乗りながらペルー人との会話を楽しんだ。彼らはどこから来たのか聞いてきて、日本だと答えると、東京に行ったことがあるという。また行きたいなと言ってくれた。俺もどこから来たのかと聞いて、ここでペルーからと知った。
ペルーと言われて、俺は必至で頭に検索をかけたけど、何もヒットしなかった。かろうじて後から遺跡があったな…とは出てきたけど「ペルー=○○」みたいなのがなかった。俺はそれがすごく申し訳なくて、逆に、日本の話をポンと出してくれることが、とても幸せなことに思えた。

それはここだけに限った話じゃない。出会う人出会う人が、俺らのことを一発で日本人だと認識してくれて「ジャパニーズ?」やら、「コンニチワ」やらの言葉で挨拶してくれる。アジア人はたくさん来ていて、中国人や韓国人も沢山いるのに、間違われることは旅行を通して一度もなかった。ガイドなしのフリープランだったから、本当にいろんな人と話したのにもかかわらず。小さな子供でさえ「日本の街から着たの?ぼくも行きたいんだよ」と言ってくれる。遠く離れた国の人が、自分たちの国を、都市を、どんな人間が住んでいるのかを、理解してくれている。さも自然に。それに感動した。あ、ちなみによくいる「トモダチダヨナ!!」と話しかけてくるアメ村ちっくな押し売り黒人は除きます。
で、きっとそれは、自分の前の世代、その前の世代が、「日本人は、かくあるべき。」みたいなものを世界に示してきてくれたからで、自分たちの世代でそのイメージを壊すわけにはいかない。とすら思った。なんたって、こういう観光都市は割と並んだりする。ベネチアは並ぶといっても、この聖堂か鐘楼ぐらいだけど、バチカンとかは何をするにも並ぶ。そこにいる中国人たちは、少しでもスペースを見つけたら前へ前へ進んでいく。彼らにとって、行列は障害物競走でしかない。そんなんばかり見ていると、真面目に並んでいる自分が馬鹿みたく思えてくる。自分も行ってやろうか、と一瞬思ったけど、こういう小さな点で少しずつ日本人が評価されているのかもしれない、と思って、出した右足をひっこめた。

俺は日本が好きだけど、鎖国時代から続く、なんとなく閉鎖的な国民性や、いわゆる出る杭は打たれるという風潮は大嫌いで、どうにかならないものかなーとなんとなくずっと思ってた。
ただ、海外志向を持つ人たちは「世界では、世界では」といつも世界を引っ張り合いに出して、俺をはじめ、海外に行ったことのない人にそんなこと言ったって、うまく伝わるわけないのにと考えていた。「よそはよそ、うちはうち」という言葉から何も学んでいない。
井の中の蛙大海を知らずという言葉があるけど、そういう人は少し外の世界に出てすべてを知った気になっているだけで、俺が感じたのは、日本は、このままの姿で十分美しいのかもしれない。ということ。どこか窮屈で、どこか臆病で、繊細だけど優しい人間が住んでいる国。きっと諸外国からはそんな風に思われている。

そりゃ、なめられているところはどうにかしなけりゃならないし、時間をかけてでも直さなきゃならない。出る杭は打たれるという風潮も、たくさんの才能をつぶすだけだから、少しずつ取り除いていけないもんかな、と思う。ただ、世の中の変化は始まっていて、出過ぎた杭は打たれないこともある。現にきゃりーぱみゅぱみゅなんかが実際にそうで、そういった人が少しずつ世に出ている時点で、すでに日本は、時には今までなかったようなものも受け入れて、いい方向に(別にきゃりーぱみゅぱみゅを推しているわけじゃありません)向かっているのかもしれない。

どこぞの海外志向の人間が言う、世界のどこかの国がいいなら、そいつがそのどこかの国に住めばいい話で、日本がその国の模倣をわざわざする必要なんてない。外の世界から見た日本は、今のままで十分に美しく、思った以上に愛されている。あとオタク文化はやっぱり海を越えてしまっている…。俺はイタリアでそれを感じて帰ってきました。

IMGP8407.JPG青空の下、キラキラに輝くゴンドラ乗り場。IMGP8408.JPG出発の準備をするゴンドリエ(漕ぎ手)!IMGP8409.JPGいざ!出発!IMGP8410.JPGIMGP8411.JPG同乗したペルー人の夫婦IMGP8414.JPG海の向こうに見える教会がしぶい。IMGP8420.JPG船上で撮ったお気に入りの記念写真IMGP8424.JPG街の中も水路が網目のように通っているIMGP8431.JPG器用にゴンドラの合間をすり抜けていくIMGP8435.JPG橋の下も通り抜けていくIMGP8448.JPGIMGP8461.JPG「マルコポーロの実家だよ!」とゴンドリエが教えてくれたIMGP8466.JPGイタリアには町中にアナーキーマークが点在している。IMGP8475.JPGそして国旗をめちゃくちゃ愛している、どこにでもある。IMGP8483.JPG案内してくれたゴンドリエ、渋いおっさん。IMGP8490.JPG通称「ため息の橋」尋問室と牢獄を結ぶ橋で、ここを通る囚人が、ベネチアのこの景色を見れるのも最後か…とため息をついたことが名前の由来になっている。

1時間のゴンドラタイムも終わり、最高の気分で最後にベネチアを散策することに。ここは仮面カーニバルというお祭りが有名で、誕生は1162年に戦争に勝利したとき、仮面をつけて仮装し、誰もが身分にとらわれずにサンマルコ広場に集って踊るということを起源に始まり、今では300万人が訪れる世界的な祭りになっている。毎年3月のはじめくらいまで行われていて、俺が行ったときはもう終わっていたけれど、仮面を売っている店は年中営業している。面白い祭りだなーと町中の仮面屋を見ていると、仮面が好きすぎて自分で仮面を作っているおっさんの店があった。IMGP8516.JPG俺らが行くと、喜んで仮装をするおっさん。

おっさんは仮面を作るのに凝りすぎていて、相場より少し高い値段で売っていたから、まともな仮面を買うのは厳しかったけど、どうせ何か買うならこの店で買いたいと思い、小さい仮面の置物を買った。商品をそのまま渡されることが多いイタリアで、このおっさんはプチプチでまず包み、新聞紙を4,5枚巻きつけて梱包するという、完璧な梱包をして見せた。本当に仮面が好きで、大切にしているんだろうなと思った。好きなことを仕事にしている人は、どんな国でも輝いている。


帰ってきてから自宅のぬいぐるみにつけさせて、みた図。次はでかいの買う!

早めに駅に到着して、フィレンツェへ行く電車が電光掲示板に出ていることを確認して、一安心。最後に駅前をぶらついて、名残惜しくベネチアを去る。本当に素敵な町だった。自動車もバイクも使えない、というのは、住人からすればかなりきついはず。なのに、そこで生活する人々はとても生き生きしていて、みんなこの町が好きなんだろうな、と思った。絶対にまた行きます。

俺らの乗った電車、「AV 9445 ROMA TERMINI」行きIMGP8517.JPGベネチア唯一の駅「サンタ・ルチア」IMGP8520.JPG色んな路上アーティストがいる。IMGP8530.JPGホームの高さは0、まぁまぁビックリする。フィレンツェへGO!!

以上、ベネチア編でした!次回はフィレンツェ編を書きます!アリーデベルチ!!(さようなら)

やりたいこと

冬の夜中の覚書です。あのときこう思っていたと残すための。公の場に公開するという、ある種宣言でもあるので、お暇がある人は見てください。

俺には、昔から好きなことが死ぬほどあります。きっと、好奇心旺盛ってやつだと思います。

テレビでなにか面白そうなことしてるのを見たら「これやりたい!」綺麗な風景が映ってたら「ここ行きたい!」って言い出す、そんな子供でした。

小さいながらに、それは簡単にできないってことは理解していて、「いつかタイミングが来るかな」なんて思ったりしていました。

少し歳を重ねて、少年と青年の間くらいになった頃、「待ってたって、タイミングなんてこない」と気づきました。もちろん、全てがこないわけではなくて、こないタイミングだってあるんだ、ということです。

きっかけは、たしか部屋の片付けをしていて「これはいつか使う」とか思って置いてたものを、何年か後に掘り出して捨てた時に感じたんです。「こいつを使うタイミングなんて、結局こなかった」って。

もうそれが、何に使うものだったかは忘れてしまいましたが、あの時俺が、行動を起こし、それを使っていれば、その時点で「タイミングはきていた」のです。タイミングは待つものじゃなく、作るものだと意識するようになりました。

さらに言うと、人の記憶には優先順位があります。今日思っていた些細なことを、明日覚えていられるか、なんて自分じゃわからない。言い換えれば、何かをしたいなと感じた時、今日しなければ、明日できるかはわかりません。タイミングはどんどん逃げていく。やはり、タイミングは思いついた時に作るんだと決めました。

そう確信した俺は、人生の夏休みと言われる学生時代、色んなことをやってきました。

「好きなことをやる」簡単なようですが、これが難しくて。なぜなら、俺はどこぞのバンドマンのように、どっかのネジが取れてるような人間ではなく、いわゆる「普通の人」です。

変わってると言われることも時たまありますが、客観的に自分を見ても、平均的な日本人男性だと思っています。思考も行動も。普通だと思ってるから、変わってるなんて言われると、少し嬉しかったりするんだと思います。天然気取りが天然と言われて喜ぶみたいなw 別に変人気取りしたことは一度たりとてありませんが…

で、そんな俺が、何か好きなことに手を出すとき。

もちろんやましいことをするわけじゃない。誰も俺のことを見ているわけじゃないし、監視しているわけでもない。そんなことはわかっているのに、本当にやってもいいのかどうか。タイミングは作るものだ!と決めた頃の俺は、どこかで悩んでいました。

きっとそれは、全ての責任は自分にかかるから。自分がやりたいと思ったことを、自分で準備して実行する。うまくいかなかったとき、ケツを拭いてくれる人も、気持ちの上の保険なんかもないから。とにかくどっかでビビってました。でも、ビビってばっかじゃいられないから、「自分で選んだ道からは逃げない。」ってことだけは決めました。

少し成長して、「自分にはもう自由な時間があまりない」と、前に思ったことがあります。

音楽が好きなのですが、好きと得意は全然違って、昔からとにかく音楽ができませんでした。

成績は、普通の教科と体育(この見た目の割に)はそこそこでしたが、とにかく音楽だけは、何を習ってるときもいい評価がついたことがなかった。いつも実技で死んでたので、筆記テストに全力を注いで、生き残って来ました。

そんな俺が、音楽は壊滅的だけど、ずっとやりたかったギターを買って、毎日基礎練習して、人の10倍は遅いペースで少〜しずつ弾けるようになったとき、バンドを組もうとしましたが、あまりうまくいかず。

「逃げない」の決意通り、ギター自体は今も毎日やっていますが、大学2年当時、今からバンド組んでも、まともに活動できる時間なんてないんだろうな、自分には、もう自由な時間はなくなってきているんだ。とおぼろげながら思いました。

そして実際に、あと何ヶ月かで俺の自由な学生生活は幕を閉じることになります。

来年から社会人になる同級生は、口を揃えて「社会に出たくない」と言います。

もちろん俺だってそうです。出なくていいなら、出たくないんです。本音は。

続けて、彼らは「社会は辛く厳しいから、出たくない」と言いますが、そこは違う。もちろん自分でも、その理由がウェイトを占める部分はありますが、俺としては何より、「好きなことをする時間がなくなる。」それが辛いです。

未だに、テレビを見てこれやりたい!ここ行きたい!こんなことできないかな?って、毎日思ってます。どうにか現実にする方法はないかって、すぐに調べてます。色んなものを創ってます。

「好きなことだけやって、生きていけるわけじゃない」ってのはわかってますけど、「生きていく中で、できるだけ好きなことをやっていきたい」んです。

こんな考えの俺は、きっと社会を、仕事を舐めてるんだと思います。

でも、仕事だけに人生を注ぐ大人もかっこいいけど、好きなことやって仕事もしてる大人や、好きなことを仕事にしてる大人だって、俺はかっこいいと思うんです。

悩みに悩んだ就職活動は

・好きなことをできる時間を確保できる職業

・好きなことを仕事にできる職業

この2つで死ぬほど悩みました。

そして、内定が周りでポロポロ出だす頃まで悩んだ上で、好きなことを仕事にすることにしました。

俺は、欲を言えばグラフィックデザイナーになりたかった。それは、大学の学部のこともあって、叶わなかった。

だけどそれは、高校のとき、デザイン方面に進みたいと進路相談で伝えた時、当時の担任に「死ぬほど厳しい」と言われて、「考えが甘かったんだ」と、諦めてしまった自分の責任。しがみつけばどうにかなったかもしれないのに、知識がなさすぎました。

そして進んだ、今の大学から選んだ、この先の道。

俺は、デザイナーではないけれど、デザインする営業マンになります。

デザイナーになりたいと話したら、専門に進めばいい、と言われました。でも、それは自分の中で、やると決めた就職活動からの逃げでした。

好きなことが好きなだけやりたいなら、フリーターになればいい。そう言われもしましたけど、男目線で言えば、ここまできていきなりそれは、人生からの逃げに思えました。

投げないこと、逃げださないことは一番大事と誰かも歌っていましたから、俺はこの就職活動の結果を抱えて、来年の4月を迎えます。

最初に言ったように、俺は「普通の人」なので、「普通の人生」を大きく逸れるようなことはできません。

小中高大と出て、社会というレールに乗る。鉄板も鉄板です。自由に生きる人から見れば、しょうもない人生でしょうが、俺は「出る杭」になれる存在ではないんです。打たれたくないですw

ただ、生きていく中で、できるだけ好きなことをやっていきたいと思っているので、「普通の人生」のレールに、好きなことの駅を沢山作っていく、そんなバランス感覚には自信があります。

振り返った時、好きなこと、やりたいことも沢山詰まっている、「普通の人生」のレールを作れるように、楽しく社会人生活を過ごしたいところです。

俺には、まだまだやりたいことがあります。

4月から、きっと時間は著しくなくなっていって、余裕もなくなって、思いついても何もできなくなって、気力もなくなる時期が来るんでしょう。

それでもきっと、未来の自分が好きなことをやってくれるよう、ここにこうして書きました。いつかこの文章をまた読んで、自らの手でタイミングを作って、そこから、逃げ出さずにいてくれることを祈ります。

With the kids make out the future.

FIGHT BACK x ISCREAM 7 SHOWERS 新曲CD-R付き、コラボチャリティTシャツに、本当に皆さんの沢山のご協力、ありがとうございました!

今日までで、売れた枚数が107枚。
経費を抜いた売り上げが118350円です。

自分たちでも思った以上の額になって、びっくりしています。額の大きさが全てじゃないってのはもちろんわかってるけど、現実的に、やはりお金があった方ができることは広がります。本当にありがとうございました!

忘れもしない。去年、NOT A NAME SOLDIERSの火影で、ISCREAM 7 SHOWERSが出演したとき、俺がまだFIGHT BACKのデザインをする前。

NOT A NAME SOLDIERSxFIGHT BACKのチャリティTシャツを、FIGHT BACKリーダー、ソウさんから買うI7Sシンノスケさんの姿を見て、俺はISCREAM 7 SHOWERSとチャリティTシャツを作りたいと思い立ちました。

そして、1,2度しか話したことのないシンノスケさんに、思いを伝えるメールを送ってから動き始めたことが、1年半の歳月をかけて、東北地方、岩手県は大船渡で、ついに形になります。

題して、
“With the kids make out the future.”
訳すと、「子供達と未来をつくる。」
ちょっと長いかもしれないけど、これしかないと思いました。今日のブログも、タイトル同様長いと思いますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

さて、いつか、Tシャツを販売したときのブログにも書きましたが、初めてI7Sのスタジオに1人でお邪魔したときは、(そのときは本当に1人で動いていて、まだFIGHT BACKでやることも決まっていませんでした。)自分はNBC作戦に売り上げを寄付しようと考えていました。しかし、そのときメンバー皆さんと話して、「FIGHT BACKとWネームにして、自分たちだからこそできるような支援をしよう。」と方針を決めました。2013年、7月のことです。

時は流れ、2014年1月。
震災から時間が経ち、自分たちの目で様々な場所を見ましたが、復興のスピード、人々の元気さ、ほんとに場所によって違うことがわかってきました。

その土地その土地で求められている支援内容も違う。自分たちにできることは、家を建てるとか、仕事を紹介するとか、そんな大それたことではない。

やっぱり物資を持って行くか?と考えもしましたが、そこは「自分たちらしい支援」とは反する。

自分たちらしいとはなんなのかを改めて考えました。俺は、FIGHT BACKのデザイナーをやらせてもらっています。
FIGHT BACKはチャリティブランド、自分たちで作ったものを人様に買ってもらい、そのお金で様々な支援をしています。

「自分たちで作ったもの」
ここがキーワードになると思いました。
俺は、FIGHT BACKのデザインをちょこちょことやらせてもらい、フェスやライブで出店するときは手伝いをさせてもらっているだけですが、リーダーのソウさんは、基本的にTシャツを自分の手で1枚1枚刷っています。(チャリティシャツは枚数が多いので違いますが…)

もう、これしかないと思いました。
皆さまの協力で集まったお金で行う支援はこれです。

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子供たち一人一人にTシャツづくりを通して、ものづくりの面白さを伝える。
志したものは、心の復興です。

嫌なことがあって、落ち込んで、ライブハウスにきて、そんな気分も晴れて…そんな体験がきっと、このTシャツを買ってくれた人たちならあると思います。
それに近い体験ができたら、と思い、このイベントを考えました。

俺は上に書いたみたいに、バンドで勇気や楽しみを与えることはできないけど、自分がずっと、こうやってものを自分で作るのが好きだったから。
そして、FIGHT BACKのリーダー、ソウさんもずっと、様々なものを自分で作ってきた人だったから。
作ってきたものの形は違えどきっとISCREAM 7 SHOWERSも。

当日は、子供たちにいくつかある中から好きなデザイン(この日のために作った新しいデザイン!)を選んでもらい、一緒にTシャツにシルクスクリーンでプリントをして、それを子供たちにプレゼントします!

小さい子には保護者の方も同席してもらって、一緒にしてもらいます!
用意した服は赤ちゃん用のロンパースから、中学生が着る大人サイズまで様々!
大きな年齢制限は設けず、子供たちみんなに楽しんでもらえるようにします!

できたTシャツは、形として思い出に残るし、子供たちにとってもそうそうないことだから、喜んでもらえるかな、と!

これが考え抜いた最終の形で、まさに「自分たちらしい支援」そのものです。

日程は9/27。場所は最初に書いたように、岩手県の大船渡。

十三FANDANGOの村上さんがリーダーとなって、何度も行っている復興支援先の一つで、大船渡中学校の校庭に仮設住宅が建っています。

今回の支援では、どうしても現地の人の協力が必要でした。
自分たちが頼んだのは、そこに住む夢ママという人。写真中央の人です。

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この人が本当に凄い人で、自分のやっていた花屋さん、そして自宅も津波によって流されて、震災から1年半が立った今も、大船渡中学校の仮設に住んでいる人なんですが、とにかくとてもパワフルです。ずっといろんなボランティアに協力しているので、どこかで名前を聞いたことがあるという人も、とても多いと思います。

そして、その中には「ありがとう」という文字で「夢」が書かれているミサンガをどこかで見た、もらった、という人もいるんじゃないでしょうか?
そのミサンガも夢ママの作品です。

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9/23、PROUD GROOVE OSAKAにて大船渡から遊びにきていた夢ママと、神戸のISCREAM 7 SHOWERSのシンノスケさん。初の顔合わせ。
夢ママから渡されたプレゼントのミサンガを受け取ったシンノスケさんは、いつもつけている自分のモデルのスタッズブレスを夢ママへプレゼントしていました。自分の始めたことが、色んな人に助けてもらって、繋げてもらって、ここまできたよっていうバトントスに見えて、見ているこちらが感無量でした。

一歩進んで二歩下がり、三歩進んで二歩下がる。何度も何度も壁は現れましたが……最後の壁。

本当に子供たちは集まってくれるのか。
とても不安に思っていましたが、ママのご協力のおかげで、集まってくれた人たちは実に31人!
そして、場所も用意してくれました。
本当に感謝しかありません。

また、Tシャツとは別に、お菓子やちょっとしたプレゼントなども買っていけたらと考えています。

今日は9/24、もう現地へ行くまで3日ですが、自分も目一杯楽しんでやってきます。

さらに、支援内容はこれだけではありません!
詳しくはFIGHT BACKのリーダー、ソウさんのブログに書かれていますが、岩手を中心に主婦の方を対象に、サロンを開き、安らぎの場を提供しているまんまるサロンという団体に寄付を行います。

東日本大震災をきっかけに岩手県に住む女性達と「つながろう」と2011年10月から始まった交流・サポートの場です。
主催は岩手県助産師会「まんまるチーム」の助産師達で、直接被災・り災は一切関係なくどなたでも参加して頂けます。

女性を支える専門職の助産師と他の参加者とのおしゃべりを「ゆったり」「ほっこり」楽しみながら、日常の疑問や不安などを気軽に聞いて「ほっと安心」して頂き、楽しい時間を共有したいと思っています。

こんなことやってます!

赤ちゃんの体重測定
母乳相談・子育て相談
オリジナルブレンドアロマオイルによるハンドマッサージ
身体と心にやさしいナチュラルスイーツとハーブティの提供
ママ同志の交流
妊娠・出産・産後や女性のこころとからだの悩み相談
支援物資の提供(主に女性・子育て用品)

この団体に、特に主婦の方達に人気なハンドマッサージに使うオイル代1年分を寄付し、FIGHT BACKxISCREAM 7 SHOWERS presentsと冠を置き、ハンドマッサージを行っていただきます。

このサロンは岩手県各地、久慈、宮古、大槌、釜石、遠野、花巻…
様々なところで開催されるので、支援が
多方面に行き渡ります。

そして、リーダーのソウさんが書いているように、自分たちが直接行う支援ではありませんが…

被災地で家をなくしたママさん。
旦那さんを亡くしたママさん。(本当に多いようです。)
ただでさえ、俺には想像もつかないほど大変な子育てを、さらに大変な環境で続けるママさんたちに、少しでも安らげる時間を、与えられたらと思い、支援先としてここを選びせていただきました。
これも心の復興に繋がります。

スケジュールの関係で、今回はこのサロンの日に自分たちは居合わせられませんが、代表の方とお話しする時間は設けられるので、また話を聞いてきて、このブログにも書こうと思います。

さらに、後ほど、この支援の内容、報告をフリーの冊子という形にして、皆さんにお配りします。

目的は現地の状況を伝えること。
それを読んでくれた誰かが、どこかの募金箱になんとなく小銭を入れる日がくるかもしれない。もっと国について考えるようになるかもしれない。
誰かの0を1に変えれるようなものを作ります。

子供たちと未来を作って行きましょう。

最後に…
実際に支援活動として東北へ連れて行ってくれて、夢ママを含むたくさんの方と繋げてくれた、FANDANGO 村上さん。

20(当時)にもなってないガキの言葉に耳を傾けてくれて、「断る理由はないよ。」と言ってくれた、ISCREAM 7 SHOWERS シンノスケさん。

そして、自分のバンドのTシャツなのに、お金を出して買ってくれた。俺がいないときは物販もしてくれた、メンバーの皆さん。

FIGHT BACKの名前を使ってISCREAM 7 SHOWERSとチャリティTシャツを出したいと持ちかけたとき、快諾してくれて、お金周りや通販業務もしてくれた、FIGHT BACK ソウさん。

いつもいつも気にかけてくれて、子育てに家事、忙しいはずなのに、誰よりも動いてくれる夢ママ。

俺が挫けかけたとき、そばにいて支えてくれたFIGHT BACK 宣伝隊長のひか。

そして、俺の手から、ソウさんの手から、I7Sメンバーの手から、Tシャツを買ってくれた皆さん。本当に、本当にありがとうございました。

今回、9/27,28と東北へ行きますが、これだけでは終わらせません。
Tシャツも引き続き売って行きますし、支援活動も向こうがもういい!っていってもしつこく続けようと思っています。

本当に東北っていう地域は、いいところなんです。機会があれば支援じゃなくても、それこそ旅行とかでも行ってみてください。何度も行く理由がわかります(笑)

長くなりましたが、どうしても伝えたいことがたくさんあったので…お時間を取らせてしまい申し訳ありません。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。