月別アーカイブ: 2018年8月

雑記 & 本について

上京した頃にブログを書いて、それから早半年も経ってた。
しょうもないことを定期的に垂れ流してたので、こんなに開くのは久しぶりかも。

と言っても、実はこれまで、何度か書きたいことや書こうと思ったことはあった。
けど、なんか頭の中に文章を作り出しては壮大になりすぎて、「これは3時間かかるな〜」とか思ってると、なかなかやる気にもならなかった。デザインもだけど、どうせなら気分が乗ってパワーが余ってるときにやりたい、無くなる直前の歯磨き粉で歯を磨くより、たっぷりつけて磨きたいですよね。まぁそのスレスレのラインで思わぬものが生まれることもありますが。
っていつ余ってんねん!ってなると平日の日中とかなんで、普通に仕事してます。
僕は結構仕事に120%以上のものを注ぎ込む系の人間なので、帰って来て一休みしてまた仕事!みたいなことを繰り返してるとなかなかね〜。でも忙しい忙しいって言い訳はできるだけしたくないので、グラフィックデザインには頻繁に向き合っておりますよ。

文章を書くのは僕の趣味の1つでもあります。
というか、そもそもこのブログは誰に見せるわけでもなく、自分のその時感じたことを文章にして書き留めていくのがメインです。ふんわりと浮かんでいるような違和感や解決法が、こうやって文字を書くことによって整理されていくんですね。
公開するのは、自分の思いを外に打ち出すことで、ビッグマウスってわけじゃないですけど…後に引けないようにする意味があったりします。あとはなんかこうじゃないのかな?ってことに気づいてそれを伝えたいとき。ちなみに、覚悟を宣言したいとき、何かを説明したいときや怒ってるとき、気持ちによって文体が変わります。今日はこれ、グッダグダ書く系のモードですね。そういえば、前述の「伝えたいとき」これはいつか書いた旅と本の話に繋がるな。

何行もの行数を使って今日書くテーマを見つけた。
ぶつくさ言いたい気分なので、久しぶりに書いてみます。

本について

本って読みますか?
はじめに、誤解を招くことを覚悟で言いますが、嫌いなタイプの読書家がいます。
今からずっら〜とそれについて書くので、ぶっ飛ばすなり見るのやめるなりしてくださいね。

結論からいうと、「本を読んだ気になってる奴」が嫌いなんです。

世の中の物事にはイメージがありますね。

ひまわりは明るいイメージ、
ナイトプールはパリピのイメージ、

では本は?インテリですね。

普通に生きてきた日本人なら読書家=インテリジェンスなイメージはあるはず。
そんな自分を演出するために本を読んでる人が苦手なんですよね。
SNSにあからさまにUPしたりしてる感じの…。
普段から読んでて、備忘録やレビューとして載せてる人は全然いいんですよ。

突然パッと出て来て、さも普段から本読んでます〜な感じ出す人ってすぐわかりますよね。
マジでやめてほしい。基本SNSってそんな超日常的なこと乗っけないですよね。

今日はトイレ行きました!とか書きます?

ちょっとトイレは極論過ぎたとしても、読書が習慣づいてる人はそれが日常的なことなんで、あんまUPしたりしないですよね。そらたまに僕だってあげますけど、ああいう感じの人の投稿は「本を読んでることを自慢しよ」って思ってあげてるのが見えちゃうから、もう少しうまくやってくれないかなってよく思います。

「本買う前からその感想用意してましたよね?」みたいな。
そういう人を総称して「本を読んだ気になっている奴」と僕は勝手に呼んでます。

さて、ぐちぐちタイムを乗り越えたので、本について書きます。
僕は結構本を読みます。別に読書家ってわけじゃないですけど。
文章を読むのも書くのも子供の頃から好きなので。

まぁあまり人には言わないんですけど、メガネ×読書の暗いイメージって凄いですよね〜。
マイナスな雰囲気は出まくってますが、プラスに傾く気配はありません。
なのであんまり言わないですが、好きなんです。

何が好きって、本には作者の人生が詰まってるんですよね。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
っていつか習った言葉を僕は強烈に覚えていて、何かをして歴史に名を残したビスマルクさん(なにした人かは覚えてない)の言葉なんですが、要は「何事も経験って言うやん?それは間違いじゃないけど、人生でこの世の全ての行為が経験できるわけでもないし、今までそれを経験した人の失敗とか成功を見て判断した方がええんちゃう?」ってことですね。

これは絶対に正しいわけではなくて、経験はもちろん何より大事ですし、既にある常識を疑うことだって時には必要です。バカ正直にまともに受け取って賢者(笑)になろうとする奴は、頭でっかち豚野郎です。

だけど、人生はやりたいことや知りたいことを求めるにはあまりにも短い。
そんな時、「歴史に学ぶ」ことで、あからさまに飛び越えられない溝や、絶対に倒せない敵を、わざわざ挑戦して自分の時間を削らずとも知ることができます。

そうやってショートカットすることで、その時間を別のことに使えますよね。
その時間で別の経験がまたできるようになるし、常識を打ち破ることに当てることもできます。効率ばかりが人生じゃありません。したい苦労もあります。が、毒にも薬にもならないようなしたくない苦労もありますよね。

つまり、時間や土地を飛び越えて、赤の他人である作者の生きた歴史から知識を学び、自分の人生を潤滑に進めていくもののことを、ビスマルクさんは「賢者」と称したのでしょう。

もはやなんの時に言った言葉なのかなんなのか全くわかってないので、これだけ大口叩いて違うかったら蔑んだ目で僕のことを見てくれて構いません。でもこの言葉が本来違う意味だとしても、実際に僕は色んなものを得てきたので、良い一説ではあると思います(めげない)

ってわけでまともに本の魅力でも少し書きます。

上に、しれっと「赤の他人である作者の生きた歴史」って書きましたが、本にはこれが強く出ているんですね。僕はなんだかんだ物語というものが好きなので、小説をよく読むけれど(小難しいのは読まないですごめんなさいね)、劇中に現れる、作者が人生で得た気づきや教訓からは、何かをつかみとることができる。
だから僕は「様々な経験をしている人」の文章を読む。若くして世界中を旅しているような人や(インスタモデルを除く)、それなりに歳を重ねて社会の善悪をたくさん見てきたような人が書く文章に強く惹かれる。

そこには、僕がきっと一生を費やしても得ることのできない知識が散りばめられている。
本からは、見たこともなければ行くこともない、顔もわからない赤の他人が、人生のどこかでたまたま気づいた真理のようなものまで感じ取ることが出る。

どうやったって自分の一生は自分の一生でしかない。
自分の人生をしっかり生きても、できないことややりたかったのに無理だったことは必ずでてくる。それを経験した人の話が1000円とかそこらで得られる、こんな魅力的なものはないですよ。

あとは、落ち込んだときにも特効薬になる。
これは人によるだろうけど…人に相談して楽になったり、飲みに行ったり、大声を出したり、まぁそれぞれ自分を立ち直らせるために何かしらのことをするでしょう。

僕は本を読みます。

相談とか飲みに行くとかってなんかガラじゃなくて、どうしても傷を舐めてもらって解決すると思えない性格なので、何かの答えを探すわけです。問題が起こった、こうやって解決はしたが、自分の中ではまだモヤモヤしている。感情の落とし所がないなー、そんなときありますよね。

そういう時は本屋に行って、インスピレーションで「これからは何かを得ることができるだろうな。」ってものや、自分の境遇に似ている主人公が出ている小説(自己啓発本はNG)を手に取る。

人間にはそういうものを見つけ出すセンサーがついているものなので、だいたい何かしらのヒントを得ることができる。そこから、新たな価値観や気づきで自分の感情を整理していくことができる。

そういえば…社会人になったころなんて、本ばっかり読んでた気がする。
同期とは仲良かったけど、ただ傷を舐め合うなんて真っ平御免だった。
一瞬の気休めにはなるけれど、現実逃避だけじゃ答えは見つからない。

本は、現実逃避しながら答えを見つけ出せる最強の娯楽なんです。

っと。良い時間になっていたのでそろそろ寝ますね。

話は最上部に戻りますが、気づいたことを伝えるってことで今日は書いていました。

本は人に何かを伝えるもの。
そこからいろんな知識や気づきを僕が吸収してきたように、僕の短い人生から得た少ない知識やしょうもない気づきも、誰かに伝える事で何かになれば嬉しいです。
それがブログを公開する1つの意味でもあります。

いつにもましてこんな乱文・長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。